表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦わずに世界を変えた男――教育と物流で“循環国家”を作ったら、宗教国家まで改革された  作者: 慈架太子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

182/322

180話:文字

奴隷都市ガデア。


解放から三日。


都市の空気は、少しずつ変わり始めていた。


まだ痩せている。


まだ怯えている。


まだ人々は、物音に肩を震わせる。


それでも。


確実に違うものがあった。


子供の泣き声が減った。


夜中の怒鳴り声が消えた。


配給列で殴り合いが起きなくなった。


病人が路地で死ななくなった。


そして。


都市中央広場の片隅。


そこに、小さな学校ができていた。


土属性魔法で形成された石造りの建物。


粗末だ。


豪華ではない。


だが。


窓がある。


机がある。


椅子がある。


そして何より。


“入っていい”。


それが、この都市では奇跡だった。


朝。


子供たちが恐る恐る集まってくる。


裸足。


痩せた腕。


ぼろ布の服。


でも目だけは違う。


昨日より、少しだけ光がある。


入口にはピーターが立っていた。


優しく笑う。


「おはよう」


子供たちが固まる。


挨拶されることに慣れていない。


今までの人生で。


名前で呼ばれたことがない。


優しく声を掛けられたことがない。


だから反応できない。


ピーターは急かさない。


しゃがみ込む。


目線を合わせる。


「怖くないよ」


「今日は文字を書く」


子供たちがざわつく。


文字。


その言葉だけで周囲の大人たちも緊張する。


奴隷国家では。


文字は禁じられていた。


学ぶことは禁止。


本は禁止。


教育は禁止。


なぜか。


理由は単純だった。


知れば。


考えるから。


考えれば。


従わなくなるから。


だから。


文字は恐れられた。


ピーターは教室へ入る。


子供たちが後ろをついてくる。


壁際には大人たちもいた。


奴隷たち。


老人たち。


母親たち。


みんな見ている。


信じられないものを見るように。


教室中央。


ピーターが土属性魔法を使う。


石板形成。


さらに白い石筆を作る。


子供たちが息を呑む。


魔法。


それも。


生活のための魔法。


破壊ではない。


殺すためではない。


作るための魔法。


その光景だけで。


価値観が壊れていく。


ピーターは石板にゆっくり文字を書く。


『なまえ』


「これは、“なまえ”って読むんだ」


静かに言う。


誰も喋らない。


ピーターが続ける。


「今日は、自分の名前を書く」


空気が止まった。


自分の名前。


奴隷たちは番号で呼ばれてきた。


荷物番号。


所有番号。


商品番号。


それだけ。


だから。


“自分の名前を書く”という言葉が理解できない。


教室後ろ。


一人の老人がいた。


痩せ細っている。


白髪。


焼印。


曲がった背中。


名をガルドスという。


いや。


昔はそう呼ばれていた。


もう五十年以上。


誰にも名前を呼ばれていない。


ずっと番号だった。


老人は震える。


ピーターが気づく。


「おじいさんも、やってみますか?」


老人が慌てる。


「む、無理だ……!」


「ワシは……」


「字なんか……」


声が掠れる。


恥だった。


知らないこと。


できないこと。


ずっと笑われてきた。


殴られてきた。


だから怖い。


ピーターは笑わない。


ただ石板を差し出す。


「大丈夫です」


「ゆっくりでいい」


「失敗しても怒る人はいません」


老人の目が揺れる。


怒られない。


その言葉が。


信じられない。


周囲の奴隷たちも息を呑む。


誰も怒らない?


間違えても?


そんな世界があるのか。


老人の手が震える。


石筆を持つ。


ガリッ。


石板を削る音。


線が歪む。


子供たちが見守る。


大人たちも見守る。


静まり返る教室。


老人は震えながら線を書く。


一文字。


また一文字。


途中で何度も止まる。


汗が落ちる。


呼吸が乱れる。


それでも。


書く。


ずっと。


欲しかった。


“自分”。


そして。


石板に、歪な文字が並んだ。


『ガルドス』


老人の手が止まる。


教室が静まり返る。


ピーターが微笑んだ。


「書けましたね」


その瞬間。


老人の顔が崩れた。


石板を抱き締める。


震える。


涙が止まらない。


「……ワシの……」


「ワシの名前だ……」


声にならない。


五十年。


番号だった。


家畜だった。


物だった。


でも今。


名前を書いた。


“自分”を書いた。


老人が崩れ落ちる。


泣く。


子供みたいに。


止まらない。


周囲の奴隷たちも泣いていた。


母親が口を押さえる。


若者が涙を拭う。


誰も笑わない。


笑えるわけがなかった。


分かってしまったから。


名前を書く。


それは。


人間になることだった。


教室外。


ミネルバがその光景を見ていた。


隣にはセレス。


ミネルバの目にも涙が浮かぶ。


「……こんなことで……」


セレスが静かに答える。


「こんなことじゃないわ」


「今まで奪われてたの」


「名前も」


「言葉も」


「学ぶ権利も」


セレスは教室を見る。


老人はまだ泣いている。


石板を離さない。


まるで宝物みたいに。


セレスが小さく呟く。


「教育って怖いわね」


ミネルバが見る。


セレスは苦笑した。


「だって、“人間を人間に戻す”んだから」


その頃。


都市北区。


旧貴族館。


逃げ遅れた旧奴隷商人たちが震えていた。


窓の外を見る。


学校。


子供。


文字。


全部見える。


商人の一人が青ざめる。


「終わる……」


「全部終わる……」


別の男が怒鳴る。


「文字ごときで何が変わる!」


老人商人が震える声で言った。


「変わる」


「文字を覚えると……記録が残る」


「契約を読む」


「数字を知る」


「騙せなくなる」


空気が凍る。


さらに。


「教育は比較を生む」


「比較は不満を生む」


「不満は支配を壊す」


誰も反論できない。


それを。


彼らは一番知っていた。


だから教育を禁じていた。


だから本を焼いた。


だから教師を殺した。


知識を恐れていた。


なぜなら。


知識は。


剣より強いから。


夕方。


グロマールが学校へ来る。


子供たちが文字を書いている。


『あ』


『い』


『う』


歪な文字。


それでも。


みんな真剣だった。


グロマールは静かに見る。


何も言わない。


ピーターが近づく。


「……始まりました」


グロマールが頷く。


「そうだな」


教室奥。


老人ガルドスがまだ石板を持っていた。


何度も。


何度も。


自分の名前を書く。


消して。


また書く。


涙を流しながら。


グロマールはその姿を見る。


そして静かに言った。


「名前を書くと、人は変わる」


ピーターが聞く。


「どう変わるんですか?」


グロマールは答える。


「自分を、自分だと思えるようになる」


風が吹く。


窓から夕陽が差し込む。


石板に書かれた文字が光る。


『ガルドス』


ただの名前。


それだけ。


それだけなのに。


その老人は。


人生で初めて。


“人間”になれた気がしていた。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ