170話:若皇帝
帝都ヴァルディス。
かつて世界最大の権力都市だった場所は、今、別の熱を帯びていた。
怒号ではない。
恐怖でもない。
人の声だ。
学ぶ声。
議論する声。
働く声。
帝都中央大通りでは、朝から人が動いていた。
農業官が地方行きの荷車を確認する。
教育官が教材を抱えて走る。
衛生官が水路検査の指示を飛ばす。
以前なら、あり得なかった。
帝国貴族は現場へ来ない。
汗を流さない。
民を見ることもない。
それが当然だった。
今は違う。
若い官僚たちが泥だらけで走っている。
帝国が、自分で変わり始めていた。
帝城ヴァルディス宮。
中央議会大広間。
巨大な円卓を囲むのは、帝国中枢。
レオハルト。
フェルド・レイヴン。
地方官代表。
教師団代表。
農業官。
物流官。
衛生官。
そして。
玉座の前に立つ、一人の青年。
若皇帝アレクシス・ヴァルディス。
まだ若い。
二十代前半。
だが、その目は静かだった。
浮つきがない。
民衆人気に酔っていない。
世界が変わったことを理解している目だ。
広間が静まり返る。
アレクシスが口を開いた。
「……始めよう」
その声に威圧は無い。
だが、不思議と全員が耳を傾ける。
「本日より、帝国改革第二段階へ移行する」
書記官たちが一斉に筆を走らせた。
「まず」
「貴族特権を縮小する」
空気が張る。
だが、反論は出ない。
既に時代は変わった。
「徴税免除特権を制限」
「労働義務免除を廃止」
「領地放置貴族は接収対象とする」
以前なら内乱だった。
今は違う。
民衆支持がある。
教育支持がある。
食料供給が安定している。
そして。
帝国自身が動き始めている。
アレクシスは続ける。
「次に農地再編」
「未使用地を再測量」
「農業官を各地へ派遣する」
フェルドが地図を広げた。
「東部未開拓地、開墾可能区域多数」
「南部湿地帯は水路改修で大規模農地化可能です」
地方官が続く。
「西部山岳地帯も、段々畑整備で収穫量増加が見込めます」
以前の帝国なら。
こんな会議は成立しない。
貴族が面子だけで怒鳴る。
責任押し付け。
現場軽視。
数字軽視。
それが帝国だった。
今は違う。
全員が現実を見る。
数字を見る。
民を見る。
教育が人を変えた。
アレクシスが静かに言う。
「帝国はもう、“生まれ”だけで回す国家ではない」
「育った者を使う」
レオハルトが目を細めた。
成長している。
若皇帝は。
誰かの操り人形ではない。
自分で考え。
自分で決めている。
「続いて」
アレクシスが立ち上がる。
「帝国は本日をもって」
「教育国家化を宣言する」
空気が震えた。
教師団が息を呑む。
「読み書きを義務化」
「地方学校を全領地へ設置」
「属性魔法教育を標準化」
「農業・衛生・物流教育を必修化」
誰かが呟いた。
「……本当に変える気だ」
アレクシスは止まらない。
「帝国はもう、無知を放置しない」
「教育が無かったから、人は育たなかった」
「ならば教育を与える」
その思想は。
確かにグロマールから始まった。
だが。
今喋っているのは皇帝自身だった。
継承。
それが、この瞬間だった。
一方。
帝都外周。
巨大教育施設。
ピーターが教師たちへ指示を飛ばしていた。
「地方別教材を分けてください!」
「農村部は農業優先!」
「港湾部は物流教育!」
教師たちが走る。
帝国教師団。
その数、数千。
以前は農民。
難民。
奴隷。
文字すら読めなかった人間たち。
今は帝国を支える。
ピーターが深く息を吐く。
「……すごいな」
隣でミネルバが笑った。
「ピーターが育てたんですよ」
「違うよ」
ピーターは首を振る。
「みんな、自分で頑張ったんだ」
ミネルバは優しく笑う。
そこへ子供たちが走ってくる。
「先生ー!」
「文字書けた!」
「見て!」
ピーターがしゃがみ込む。
「すごい」
「上手だ」
子供たちが笑う。
以前の帝国には無かった光景。
教育が当たり前になる。
それだけで国は変わる。
一方。
地方都市。
旧貴族街。
ある老貴族が酒を飲んでいた。
「終わりだ……」
窓の外を見る。
民衆が学校へ向かっている。
官僚が働いている。
以前なら考えられない。
「民が賢くなれば」
「もう騙せん……」
それが真実だった。
教育とは。
支配者にとって最も怖い。
一方。
中央軍事演習場。
メタルビレッジ狩り部隊が帰還していた。
剣神ゼクト。
剣豪バルグ。
剣聖エルグレイ。
槍神ディアス。
槍豪グラン。
槍聖エルディン。
拳神ドグラム。
極神ヴァルト。
極豪ダンテ。
極聖ラウル。
全員が巨大魔物素材を降ろしていく。
歓声が上がる。
「拳神だ!」
「ドラゴン殺し!」
子供たちが騒ぐ。
だがドグラムは眉をひそめた。
「やめろ」
「英雄扱いすんな」
子供たちが止まる。
ドグラムはピーターを見る。
「俺たちは先生に育てられただけだ」
剣神ゼクトが頷く。
「強さだけじゃ国は変わらん」
「教育が必要だ」
槍聖エルディンが笑った。
「昔の俺たち、文字も読めなかったからな」
周囲が笑う。
それでも誇らしげだった。
恥ではない。
育った証だから。
帝都ヴァルディス。
夜。
皇帝執務室。
アレクシスが一人、窓の外を見ていた。
灯りが広がる。
学校。
工場。
農地。
水路。
人。
帝国が動いている。
自分の意思で。
「……陛下」
レオハルトが入室する。
「各地の改革、順調です」
アレクシスが静かに問う。
「怖くないか?」
レオハルトが笑った。
「怖いですよ」
「でも止めた方が終わります」
アレクシスが目を閉じる。
「グロマールは口を出さない」
「全部、帝国自身で決めろと言った」
「厳しいな……」
レオハルトは即答した。
「期待されてるんです」
沈黙。
やがて。
アレクシスが笑った。
若い。
まだ未熟。
それでも。
逃げない目だった。
「ならやるしかない」
「帝国を、自分たちで変える」
その言葉に。
もう誰の影も無かった。
グロマールが始めた循環は。
今。
帝国自身の意思へ変わり始めていた。




