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1-1 日常

 40代


 それは、これまでの人生の「答え合わせ」をされる年齢だ。


 出世しているか。家庭を持っているか。まともな肉体を保てているか。


 20代の頃は、そんな採点基準なんて気にも留めなかった。30代の頃は、鼻で笑って気にしないふりをした。だが、40代の坂に足をふみ入れた今、現実の数字は否が応でも目の前に突きつけられる。


 新卒で一緒だった同期は、いつの間にか「課長」の肩書きを背負っている。SNSを開けば、大学時代の友人が二人の子供と笑う写真が嫌でも流れてくる。おまけに、健康診断の判定Aは年々減り、代わりに再検査の文字がのぞくようになった。


 これまで何を選び、何を捨ててきたか。その履歴書が、容赦なく突きつけられる。


 ちなみに佐藤 (42歳)の履歴書は、こうだ。


 既婚歴: なし

 役職: 工場の班長 (平社員に毛が生えた程度)

 必需品: サロンパス、関節サポーター


 まあ、そういうことだ。満点からは、ほど遠い。




「佐藤さん。石黒さんから連絡あったんですけど、この物件、納期がさらに前倒しになったみたいで・・・」


 若手の事務員が、毒を盛られた報告書でも渡すかのような手つきで受注書を差し出してきた。


 佐藤は目を細め、かすみ始めた目で数字を追う。受注書の余白には「ASAPで、最短納期厳守!納期短縮お願いします!』」という、営業の石黒の殴り書きが踊っていた。


「・・・は? あいつ、ふざけんなよ・・・」 


 佐藤の口から、隠しきれない苛立ちが漏れた。


「繁忙期で土曜出勤が決まったばかりだぞ。これじゃ日曜まで回せってことじゃねえか。機械は魔法で動いてるんじゃねえんだぞ」

「すいません。石黒さん、先方には『なんとかします』って言っちゃったみたいで・・・」

「あの野郎・・・アメリカ人とのハーフか何か知らねぇが。外国人特有のポジティブシンキングを日本の町工場に持ち込むんじゃねえよ」


 あのアメリカ人の父親譲りの、彫りの深い顔立ちと無駄にいい体格。本社からやってくる度、大振りなジェスチャーで「現場の皆さんが日本のものづくりを支えてます!」と握手を求めてくる石黒の姿が脳裏をよぎる。


 悪気がないのは分かっている。しかし、あの合理主義という名の丸投げは、泥臭い現場の人間にはただの災害だ。


「・・・わかった。あとで電話して、納期延ばせないか聞いてみるわ」

「すいません。お願いします」


 去っていく後輩の丸まった背中に向かって、佐藤は今日何度目かわからない溜息を吐き出した。


 無理を押し通す営業、高騰を続ける樹脂原料、ガタの来始めた古い押出成形機。


 ここは栃木県にある、どこにでもあるプラスチック包材のメーカー。窓の外には広大な田畑が広がり、遠くの那須連山が五月の陽気でぼんやりと霞んでいる。


「はぁ・・・休みまであと2日、か。日曜が消えなきゃ、だけどな」


 独りごちる声は、うなるエアコンの微かな稼働音にかき消された。


 立ち上がるだけで、右膝の皿がコキリと小さく音を立てる。佐藤は重い身体を引きずりながら、昼休みを告げるチャイムに合わせて食堂へとたどり着いた。



 古びた電子レンジの中に、昨日コンビニで買った「幕の内弁当」を放り込む。ターンテーブルの上で虚しく回転する弁当を眺めていると、テレビから聞き慣れた、無機質な電子音が響いた。


 『――番組の途中ですが、臨時ニュースをお伝えします』

「臨時ニュース。またか・・・」


 佐藤がレンジの前でボソッと呟く。


「佐藤リーダー。また首都圏に『魔獣』らしいですよ」


 先に席に着いていた部下の高橋が、カップラーメンの蓋を親指で押さえたまま振り返った。


「また魔獣か・・・嫌になるねぇ・・・」


 ヘリコプターからの空撮映像が映し出される。


 画面の中で潰れているのは、つい最近完成したばかりの複合商業ビルだ。その瓦礫の中を、紫色の不気味な瘴気を纏った「非合理の塊」がのっそりと進んでいた。


 ーーー魔獣


 奴らが異界の門から現れてから、もう十年が経つ。


 生物としての有機的な造形を無視した、まさに「非合理の塊」。奴らが這い出てきたあの日から、この星の前提は狂った。


 どこから来たのか、なぜ襲うのか、人類は未だに何一つ解明していない。神の気まぐれか、あるいはただの自然現象か。魔獣は、ただそこにある文明を「邪魔な障害物」として踏み潰していく。


 魔獣による被害は甚大で、十年で世界人口の一割が失われた。地球に突如として追加された地震や台風に次ぐ正に「新しい天災」だ。


「・・・随分とデカいな。東京の方か?」

「みたいですね。レベル4らしいです。いやだなー。来週東京行く予定だったのに」


 高橋はため息をつきながら割り箸を割った。


 テレビの中では、自衛隊の戦車部隊が豆鉄砲のような砲撃を繰り返している。だが、巨大な質量を持つ魔獣は、それを鬱陶しい羽虫を払うかのように一蹴する。


「・・・これ、また国道、封鎖されるんじゃねえかな」


 佐藤が油を吸って変色したテーブルに目を落とし、ぽつりと言った。


「勘弁してくださいよ。原料明日の昼までしかないですよ。午後イチの便が遅れたら現場止まっちゃいますよ」

「たしか倉庫に予備の原料あったはずだろ。それ今日のうちに持ってきてもらうわ。確か5tくらいあったはず」

「それなら何とか半日くらいは・・・」


 画面の向こうで繰り広げられている命のやりとりの一方で、食堂の時計は、いつもと同じ速度で針を進めていた。


 その時だった。


 ――その、澱んだ日常の延長線上にあった画面が、突如として爆ぜた。


 煤煙と瓦礫に塗りつぶされた灰色の世界の片隅。逃げ惑う群衆の濁流に逆らい、信じがたい速度で肉薄する「一点の違和感」を、ヘリの空撮カメラが辛うじて捉える。


 次の瞬間、食堂の古びたテレビが悲鳴のようなハウリングを起こした。


 スピーカーの音割れを置き去りにして、テレビ画面の全ピクセルが、暴力的なまでのピンク色の閃光に明滅する。強烈な衝撃波を食らったヘリのカメラが上下に激しくのけ反り、ホワイトアウトしたノイズの向こう側から、世界の理不尽をさらに上書きする「異質」が舞い降りた。


 ホワイトアウトした画面が徐々に焦点を結ぶ。そこには、吹き荒れるビル風に長いツインテールをなびかせ、フリフリのレースを纏った少女が一人、地獄のような戦場にぽつんと立っていた。


「おっ!!サクラメルちゃん来ましたよ!!」


 高橋がスープを少し零しながら、今日一番の大きな声を上げた。


 サクラメル


 それが画面の向こうで不敵に微笑む、少女の愛称だった。


 ――魔法少女。


 それは十年前、魔獣の出現とほぼ同時期に、世界中の十代前半の少女たちの中から突如として発現し始めた特殊能力者の総称だ。


 なぜ彼女たちなのか、なぜあの可憐で不条理な衣装を纏うのかは分からない。


 ただ一つ明確なのは、国家が莫大な予算を投じて彼女たちを「特別防衛人材」として囲い込み、芸能人のようにプロモートしながら前線へ駆り立てているという事実だけだった。


 カメラのレンズに向かって、サクラメルと呼ばれた少女が小さくピースサインを掲げる。


 直後、彼女が空中で指をパチンと鳴らした。


 刹那、コンクリートの裂け目から最新のCG映像さながらに鮮やかなピンクの花びらが吹き上がり、画面を覆っていた紫色の禍々しい瘴気を一瞬で霧散させていく。


 その瞬間、食堂の空気が目に見えて弛緩した。


「・・・これで一安心だな」


 佐藤は、温まりきっていない弁当の底を指で確認し、ようやくチキンカツを口に運びながら、深く背もたれに身体を預けた。


 それまで「明日の生産はどうなる」「東北道が止まる」と張り詰めていた若手たちの肩からも、一斉に力が抜けるのが分かった。


 魔法少女が来た。それはすなわち、この天災による被害の「天井」が決まったことを意味していた。


 これ以上のインフラの損壊はない。これ以上の物流の麻痺もない。なにより、明日の朝の通勤電車が止まる最悪のシナリオは回避されたのだ。


 テレビの中では、十五歳にも満たないであろう少女がステッキを振りかざし、可憐なポーズを決めている。彼女が放つ「キラキラ」とした魔力の粒子は、魔獣の強固な皮膚を叩くたびに派手な爆発エフェクトを生み出し、あれほどおぞましかった化け物の咆哮を、彼女の高音の決め台詞で塗りつぶしていく。


「相変わらず派手だな。一体どういう現象で、あんなビームが放たれるんだか」

「いやー。ホントっすよね」


 高橋は感心したように口を半開きにしている。

 画面の中の少女は、カメラ目線でウィンクを決め、巨大な魔獣の腕を軽々と受け流していた。

 それは、佐藤たちの日常とは何万光年も離れた「聖域」の光景だった。


「・・・命懸けの仕事をあんな幼い子がするなんて、やるせないよなー」


 佐藤は箸でたくあんを口に運んだ。


 テレビの中で華やかに舞う少女たちの「キラキラ」が、脂ぎった食堂のテーブルに虚しく反射している。


「でも佐藤リーダー、じゃあ俺たちに何かできますか? 戦う力もない、魔法も使えない。結局、あの子たちに任せるしかないじゃないですか」


 高橋は特に深い意味もなさそうに、ラーメンのスープを啜った。


「まぁ・・・それはそうなんだけどさ」


 佐藤はポケットからスマホを取り出し、慣れた手つきでブックマークを開いた。『厚生労働省・特別防衛人材公報』のページだ。


 そこには、戦死した魔法少女たちの本名と年齢が、無機質な明朝体で淡々と並んでいる。


 二ヶ月に一人。ひどい時は、一ヶ月で20人。


 スクロールしても終わらない、十代前半の少女たちの名前の羅列。


「はぁ・・・」


 スマホをポケットに押し込み、首を一度、ゆっくりと横に振った。時計を見ると既に昼休みは5分を切っていた。


「ごちそうさん。・・・さて、石黒に電話すっか」


 膝が小さく悲鳴を上げる。

 午後からの現場。栃木の空は、遠くで暴れる魔獣の吐き出す煙で、少しだけ濁っていた。

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