第968話 シージの切り札
壁の中の通路はすぐに階段となり、地下へと続いていた。
ひたすら歩く音だけが聞こえる。
「罠の気配はないわ」
「分かった。そのまま警戒してくれ」
フィンが小声で伝えてくる。
念のために警戒してもらっているのだ。
いざとなればアズが壁を吹き飛ばして逃げればいい。
この通路は最低限の照明による明かりだけで、外からは一切自然光を取り込んでいない。
冷たい空気のせいか肌寒く感じる。
隠し通路という言葉が頭に浮かんだ。
王城などもそうだったが、やはり重要拠点にはこういうものが付き物なんだな。
スワン公国で拠点にしている屋敷にも取り入れた方がいいのだろうか。
ユーペもそういうのは好きそうだからノリノリで導入しそうだ。
どれくらい降りたのだろう。
階段を降りた数を考えると、もう間違いなく地下のはず。
元採掘場ということは、この辺りは元々迷宮だったのか。
「この先が目的の場所です。決して口外なさらないようにお願いします」
「約束は守りますよ」
「結構。シージにこれ以上混乱が起きれば作戦の成否にも関わりますので」
ノラスは鉄の扉に鍵を差し込み、開錠する。
ゆっくりと扉を開けると、そこは部屋だった。
かなり広めで、家具などもある。
一人くらいなら不自由なく生活できそうだ。
「奥に」
ノラスが進むのを追いかける。
ここには生活感があった。
誰か住んでいるのか? 窓もない地下のこんなところで?
扉を開けた先にある奥の部屋には、大きなバスタブが真ん中にドンと置かれていた。
それ以外は棚や台があるだけで、部屋を埋め尽くすようにポーションが並べられている。
半分くらいは空のようだ。
「なに、ここ? ポーション酔いしそう」
扉を開けた瞬間から薬草のツンとする独特の匂いが流れ込んでくる。
部屋の中はこの匂いが充満していた。
鼻のいいフィンが顔をしかめる。
ミーリアも鼻をつまんでその場に座り込む。
ラミザさんの実験室でもこれほど濃くなるのは珍しい。
「これは一体……」
「スワン公国から購入したポーションの大半をここに運び込んであります。そのため怪我人への配給が間に合っていません」
道理でここの地表部分が病室代わりになっていたわけか。
外に調達する役目を負っている兵士よりも優先するものがここにあるというのか。
バスタブの中には一人の女性が裸で液体に浸かっていた。
液体の色から察するに、ポーションを敷き詰めているのだろう。
ポーション風呂……ラミザさんから聞いたことがある。
高ランクの冒険者など、並外れた体力や魔力を持つ者は怪我をしてもポーションを一個使う程度では治療しきれない。
そういう対象が重傷を負った時はポーションに浸けて治療することがあるのだと。
うちの場合エルザが強力な回復スキルを持っているので、ポーションは緊急時に使うくらいで済んでいる。
しかしここには司祭もいなければ魔導士もいない。
回復はポーション頼みになるというわけか。
裸の女性は青い髪をしており、なによりも特徴が目立った。
羽と尻尾、だ。
ドラゴニュートである特徴を備えている。
「この女性は……」
「お察しの通り、ドラゴニュートです。最後に残った、ね。ああ、失礼。そちらのルーケさんもハーフでしたか」
「私にはお構いなく」
「たしか全滅したという話では?」
「実は彼女だけなんとか連れ去られずに救出できたのです。しかし一命は取り留めたものの傷が深く、表面の傷は癒えたもののずっと目を覚ましません」
「一人でも生き残っているなら、公表しなかったのですか?」
「……先ほど獣人の歴史についてお話ししましたが、付け加えると我々はドラゴニュートに依存しきっていたのです。彼らが居れば安心で、平和はずっと続いていくものだと。しかしそんなことはあるわけない。寄りかかる壁がなくなってようやく獣人たちは自分の身を自分の身で守ることを思い出しました。遅すぎましたがね」
皮肉にも、守護者であるドラゴニュートがいなくなってようやく自立心が芽生えたというところか。
それに水を差したくないようだ。
「しかし彼らが力の象徴だったのなら士気も上がる気がします。少なくとも対抗手段が増えるのですから」
「折を見てそうするつもりです。ただ彼女が目を覚ますことが必要ですが」
ぬか喜びは士気を下げるからなぁ。
そういえば作戦があるといっていたな。
このドラゴニュートの女性が鍵を握っているというわけか。
……見た目はポーションの効果によってか傷一つない。
しかしそれでも目を覚まさないということは、普通の治療では難しいのだろう。
「うちの司祭が診ても構いませんか?」
「ええ、お願いします」
「エルザ、頼む」
「分かりましたー」
エルザがバスタブに近づき、そっと胸に手を置く。
それから目を瞑り、何かを探っているようだ。
「ふむふむ。原因が分かりました」
「本当ですか!?」
あっさりと言うエルザにノラスが驚いた。
目を覚まさせるために色々と尽力していた様子だし、こんなに早く分かるとは思わなかったのだろう。
「どうして目を覚まさないんですか?」
「うーん、説明するとなると難しいから、アズちゃんちょっときて」
「なんですか?」
呼ばれたアズがエルザの隣に立つ。
「私の手の上に右手を重ねて。……そう。それでアズちゃんの力を流し込んで」
「えと、こうです?」
言われた通り、アズが魔力を流し込む。
アズの魔力はタダの魔力ではなく、神の力でもある。
エルザを通してその魔力が流れ込み、ドラゴニュートの女性へと伝わっていった。
ノラスがハラハラとしながら見ていると、ゴホッと女性が咳をして白い塊を吐きだす。
何度か咳をして全てを吐きだすと、起き上がってすぐさまエルザの手を掴んだ。
「ここはどこだ!」
「落ち着いてください。私は敵じゃありませんよ」
ミシミシと力を込めている。
だがエルザも見た目にそぐわず怪力だ。
怯まないエルザを相手に、口を開いてブレスを吐こうとするがその前にアズがうなじを叩いて気絶させる。
とりあえずなんとかなった……か?




