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◆◇◆◇
「ようこそ、百合《ワタシ》と蓮夜《カレ》を巡る世界へ」
百合の耳に、ふと聞きなれた声と、聞きなれない言葉が入ってきた。
そろりと周りを見渡すと、暗くて、黒い場所だ。自分すらも侵食しようとする闇にまみれたこの場は、ほんの一瞬前まで居た場所とは違う。
「誰? ここ、どこ?」
声の主を探すために、辺りを見回しながら尋ねる。
……ほどなくして、声の主の返事よりも先に、百合は相手を見つけた。
周りの黒に溶ける、真っ黒なセーラー服に、真っ黒なセミロングの髪。暗闇に浮かび上がっているように見える色白の顔は、百合と瓜二つだ。
「ここの名称は、何とでも言えるし、何とも言えないの。フィルムであり、記憶であり、無であり、過去であり、今である」
声の主は、一歩、百合に近づく。
「流行に乗るのなら、いつ見るの? 今でしょ! 的な」
「乗れてないし、言いたい事が分からない」
「まぁまぁ。そしてワタシは、貴女なんだよ。百合」
「生き別れの姉妹なんていなかったと思うけど」
相手の言っている事が全く分からない。百合は眉を顰めて、真意を探ろうとする。
「生き別れなんかじゃないよ。ワタシと百合は、死別だから」
「そう。他の皆は?」
真意は、探れなかった。百合が、探る事を速攻で諦めたからだ。
飲み込めない状況下でも、無理やり飲み込んで次に進める。
これは、主人公としては正しい行動であり、素質であると言えるのかもしれない。故に、百合の今の行動も言葉も、主人公《ヒロイン》という肩書に動かされたに他ならない、とも言えない事もなさそうだ。
本人に一切の自覚も無ければ、例えば誰かに諭されたとしても「ふぅん」と流してしまいそうだが。
「うーん、簡単に説明すると、百合だけが違う世界に隔離された、って所かな」
「わからない」
「でもそういう物なんだよ。分かってよー。そして、ワタシになんかいい感じの初対面の台詞言わせて」
「……ん。わかった」
本当は全部分からなかったが、とりあえず進めることにした。
百合に瓜二つの少女は、こほんと咳払いをすると、百合に向き直った。
「ようこそ、百合《ワタシ》の世界へ。一緒に今までの百合《ワタシ》と蓮夜《カレ》の日常を観ていくよ」
「おー」
よく分からないが、とりあえず百合は合いの手を入れておく事にした。無反応は寂しいかもしれないから、というのが理由だったが、この場に蓮夜や茜音が居たならば「そんな場合ではない」と言われていた事だろう。
「異論は認めません! ワタシもアナタも同じ《百合》だから、とりあえずワタシの事は黒百合と呼んでね。便宜上、必要でしょ? 質問はない事にして、ちょっとワタシと歩きましょう。道の途中で壁に穴が開いている所があるから、ちゃーんと覗いてね。百合《ワタシ》と蓮夜《カレ》の素敵なお話が見れるよ。それじゃあ、楽しんで生きましょう!」
「おー」
合いの手、第二弾。
「……聞いてた?」
「ん。聞いてた」
便宜上の黒百合は、不安そうに百合を見た。
「ついてきてくれる?」
「何故?」
「そういうルールなの! ついてきて従ってよ!」
「何故?」
「その、子供のナゼナゼ攻撃みたいなのは何なの!?」
どうにも百合を相手にすると調子を崩すようで、黒百合は頭を抱える。
「あーもう。じゃあ簡単に。百合が一緒に行ってくれなかったら、百合は真っ暗な中で一人オロオロするだけになっちゃうよ。ワタシ、百合の事置いていくもん」
「じゃあ、ついていく」
「穴が出てきたら見るんだよ」
「ん。わかった」
ようやっと話が進んだことに安堵してか、黒百合は胸を撫で下ろした。
「じゃ、行こうか」
黒百合は百合の手を引いて歩き始めた。
真っ黒で、真っ暗な中を。
どうやら道は曲がりくねっているようで、百合の方向感覚は行方不明になってしまう。色彩感覚はとっくの昔に家出していたが。
「はい、じゃ、穴を覗いて。さくさくいくよ。さくさく」
やがて黒百合は足を止めて、横に開いている小さな穴の方を見た。
穴だと分かる理由は、そこから光が漏れているからだ。子供が障子に悪戯で穴をあけた位のサイズのものが、目の間隔で二つずつ。
「見た瞬間、中から針とか飛び出さない?」
「物騒! そんな事ないよ!」
「ん。安心した」
百合は頷くと、穴に近づいた。
「得体の知れない人の言葉を容易に信じないでよ。心配だなぁ」
「飛び出すの?」
「飛び出さないけど」
黒百合は、頭を抱えながら返す。
「向こう側から知らない人が覗いてるとか?」
「大丈夫。えーと、映画やドラマ感覚で、過去的なアレを見られるアトラクションだとでも思って」
「ん。わかった」
大分大雑把な説明だったが、百合は頷いて穴に目を近づけた。隣で、黒百合もそうやって穴を覗いた気配がした。
――わたしときみのきろく――
家出した色彩感覚が戻ってきた。鮮やかな世界は、雨模様だった。
本来であれば鮮やかとは言えない色合いであるのだろうが、黒にまみれた世界から見れば、無彩色以外の光景と言うだけで鮮やかに見える。
さぁぁ、と硬いコンクリートや、弾力のある傘、柔らかな肌を雨が叩く音が聞こえた。
『こんなところでどうしたの?』
《百合》が、道の隅に座り込んでいる《蓮夜》に声を掛けた。
『……俺が、見えるの?』
『見えるって? 変な事を言う人ね』
雨の中に居るはずなのに濡れていない《蓮夜》と、ビニール傘から水滴を滴らせている《百合》。二人が話す光景は、現実的でありながら、非現実的だ。
『寒くないの?』
『何も、無いから』
《百合》の質問に、《蓮夜》は暗く、ボソボソとした声で返す。
『……名前は?』
『……無い』
「これ、何?」
尚も続く会話の中、百合は黒百合に尋ねた。
「百合《ワタシ》と蓮夜《カレ》の出会い。タイトルをつけるのなら、第一章・雨の中で子犬を拾うかのように人間的でそうじゃない少年を拾う、かな」
「長い」
「じゃ、出会いは唐突に、でいいや」
流れる光景を眺めながら、百合と黒百合は会話を続ける。
お互いの姿は見えないが、なんだか映画館での小声のお喋りのような状況みたいだ。
「タイトルは理解した。でも、こんなの記憶にない」
「記憶になくても記録にはあるんだよ」
「記録は取ってない」
「だって人間の記録は、神様が取る物だもの」
黒百合の答えに、百合は眉を顰めた。勿論、相手には見えていないが。
そうしている間にも《映像》は流れ、百合が蓮夜を家に連れ帰っている。男女で一つ屋根の下とは、中々扇情的な光景だが、《映像》にはエロスのエの字も無い。
「意味不明。人に伝える気の無い言葉に、何らかの意味があるようには思えないけど」
「えー、あるよー。なんかあるぞーあるぞー、って、盛り上げる役割とか」
「盛り上がってる?」
「盛り上がってないね、残念ながら」
百合の質問に、黒百合はため息交じりに返す。
「意味、ある?」
「意味はあるよ! もっとぐいぐい来てくれれば!」
百合は、「うーん」と小さな声で唸った。見ている世界では、《百合》が濡れていない《蓮夜》を拭いていた。普通に見ていれば、平坦で、物事が動かず、さぞ退屈な物だろう。
「じゃあ、これ、いつまで続くの?」
「え!? 男女の逢瀬を見るのは嫌?」
「ダルイ」
「ダルイって、酷い!」
普通にみていれば、に、百合も該当されていた。彼女は退屈そうな声をだし、おまけに欠伸までした。
勿論、相手には見えていないが。
「映画とか、ドラマとか言ってたけど、早送り出来ないの? あるいは、オチを教えて貰えると簡単かと」
「新作映画観に行く前に、レビューでネタバレ見てから行く?」
「ん。まぁ、それはそれで」
「楽しめちゃうタイプの人か。いや、ワタシだけど」
話は進み、何やら植物図鑑を眺めている二人を前に、百合と黒百合も話し続ける。
「でも違うよね。わたしは、わたし。黒百合は、黒百合」
「でも同一だよ」
「違う。色も形も」
黒百合の発言に、百合が反論する。
「外見的な事だけ言われても、納得できない」
「性質も違う」
「例えば?」
黒百合も負けじと聞き返している。
《映像》の平坦さと比較すると、随分と感情的な会話にも思える。二人とも、声のトーンは平坦だが。
「わたし、黒百合ほどの積極性はない」
「そりゃあワタシだって、百合程のボケボケっぷりはないけど」
「ほら、違う」
「でも、同じ主人公《ヒロイン》じゃない」
百合は首を傾げる。誰にも見えていないと知りながらも、長年の癖と言うのは抜けない物だ。
「……例えば、少年漫画の主人公と、少女漫画の主人公が同姓同名だったとして、同一だと言える?」
「同姓同名何てありえる?」
「……サトウイオリ、とか」
「具体的にきたね。ていうか、イオリって男性名じゃない?」
「最近は女の子にも多いから。アイドルの女の子とか」
《百合》に、強引に植物図鑑を見させられている《蓮夜》が、《映像》には映っている。
一方で、黒百合は低く唸った。
「……そう言われると、確かに地味にありえるけど」
納得したらしい。
「片や、平凡だけどある日突然不思議な力を手に入れて、モテモテになった男の子。片や、とっても地味だったけど、学校で人気の男の子と恋人になっちゃった女の子。この二人を、同一と言えるのなら、黒百合の言い分を認める」
「言えないけど、そもそもの存在が違うじゃない」
百合の例え話に、黒百合は首を振る。これも、相手に見える行動ではなかったが。
「そもそも違うのと、あとから違うの、なにか違うの?」
「それは――」
『じゃ、今日からあなたの名前は蓮夜ね。わたしの名前は百合だから、同じ植物で』
黒百合の言葉を遮るように、百合の耳には今まで興味を抱かなかった《映像》の声が届いた。
『……いいの?』
『いいよ。よろしくね、蓮夜』
『うん、よろしく……百合』
どこかで見た光景、聞いたセリフが、百合の中に入り込む。
そう……これは、茜音と樒の会話だ。
そして、《映像》は消える。
「これ、何?」
百合は覗き穴から顔を離して、黒百合を見た。
彼女もまた、覗き穴から顔を離して、百合を見ていたようで、目が合う。
「これが、初めて、なんだ」
一瞬だけ無表情で、黒百合が答えた。
「ほら、次に行こう!」
直ぐに笑顔を浮かべた黒百合は、百合の手を掴む。そして、真っ黒で真っ暗で、色彩感覚が再び家出した世界を歩き始めた。
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