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ルゥは、どんな風に陛下を救ったのだろう。
真夜中に目が覚めて、ここが黒の森の離宮であることを理解すると同時に、ため息を吐く。
ここでの毎日も、なんだかふわふわしていて嫌になる。私、どうしてこんな風にここにとどまって、過ごしているの。
あたりは当然まだ暗く、こんな時間に目覚めると、いやでも背を斬りつけられたあの夜を思い出す。喉が干上がっているようで、水が飲みたくて寝台を抜け出した。
からのままだった水差しを持ち、部屋を出る。いつもだったらきちんと注がれているのに、なぜ今日に限ってと毒づきそうになって、首を振った。
歩きながら、考えるのは夢のこと。ルゥと、陛下のことだ。ずいぶん長く一緒にいたのに、私はあの人のことを何も知らない。あの人が、どれだけルゥを思っていたかどうかしか、知らない。
ルゥの存在を、救いにしていたか。
それと同時に、呪いにしていたか。
庭を覗ける廊下に差し掛かって、思わず私は足を止める。
月光が、薬草にそそがれ、彼らは喜ぶようにざわざわと葉を揺らしていた。吸い寄せられるようにして、私は庭に降り立った。
「ファナ?」
いつまでそうやってただ立っていただろう。背後から不意に声をかけられ、はっと我に返った。
「アレク?」
振り返って、廊下の端に佇む少年の姿に、笑みを与える。どうしたの? と問いかけたつもりだったけれど、それは向こうも同じのようだった。
「ファナ、何してるの?」
「別に。何も」
いつかと逆だ。思い出して、懐かしんで、空を仰ぐ。
「眠れなくて」
ぽつりと呟くと、アレクは打てば響く鐘のように調子よく返した。
「怖い夢を見たの?」
それが妙に核心的で、誤魔化すのも大人げなくて、私は近寄ってきたアレクをじっと見下ろす。なんだか、陛下が頭に浮かびながら、腰をおった。小さな黒い王子様に、そっと目線を合わせる。
「うん」
そうして頷いて、取り繕うこともせずに、私の情けない顔があらわになった。
「嫌な夢を、見たの」
「眠れない?」
そうだね、と頷いた。これからまた寝台に戻ることを考えれば、この庭を眺めている方が、ずっと易しい。
じゃぁ、俺もここにいよ、と、小さな少年は呟いた。振り返る私と目があって、にっこりと笑う。
幼い少年のはずなのに。
子ども特有の無垢な瞳が、見透かすように見据えてくる。
ありがとう、と言葉にせずに、この王子様の幸せを、祈った。
私がただ立っているのを見かねてか、少年は私の手を引いて、座れる場所まで導いた。近くには丈の低い植物が多く植えてあって、その一つ一つを私は眺めて行く。どれもこれも、初歩的な薬学に用いる薬草だった
「なにを考えているの?」
アレクが不意に聞いてくるから、私も何気なく返した。
「あったこともない、女の人のこと。強く、強く、たった一人から愛された人のこと」
少年が何か言いだす前に、あのね、と無理矢理言葉を続けた。
「人の魂は、魔法植物に宿ると言われているの」
驚く少年の気配に、その様子を伺いたくて振り返る。じっと見つめてくる褐色の瞳は健気で、思わず手を伸ばして頭を撫でた。
「魔力を宿す、魔法植物は、その多くが月下で花を開く。そのとき、開いた花弁から、溜め込んだ魔力を吐き出すの。魔力は小さな光の球となって、天に昇って行く。吸い寄せる性質を持つ、魔系の貴族の赤子や、その胎児を宿す妊婦にもよっていく性質があるために、そんな噂が生まれたみたい」
だから、ルゥの魂を探していたのだ、とは。言えなかった。
「根拠はないけれど、愛された人の魂は、巡るのだ、と」
そんなおとぎ話を、魔系の貴族の子どもたちは聞かされて育つのだ。
「魔系に特化した貴族の研究者は、それを捕まえて、研究するのよ」
誤魔化すようにそんなことを付け足して、子ども特有の柔らかな頬を撫でた。
「優しいものがたりだね」
そう言って笑うのは、アレクだ。優しいのはどちらなのかと、甘やかしたくなる。何気ないこの少年の言葉に、何度も救われている。
「知の貴族も、魔法薬を勉強するの?」
ぽつりと問われて、しまったと思った。私は本来魔の貴族。その頂点。四大貴族、魔の一角。魔力が覚醒していないことを幸いにして、知の貴族を名乗っていたのに。魔法薬について、つい語ってしまった。
「知識が、足りないのよ」
嘘と真実を、少しずつ混ぜる。
「知の文献も、魔の文献も、同時に見て行かなければ、理解もできないし、疑うこともできない」
だから私は、どちらも学ぶ。
本当は、覚醒していない私は魔の分野について学べることはあまりに少なく、それならばと知の分野について勉強に励んでいただけだ。
「どっちも知ってるんだね」
すごいな、とアレクは楽しそうに笑う。いいなぁ、とまぶしそうに、私を見ている。
「ファナが、ずっといてくれたら良いのに」
何でもないことのように、少年はそう呟いた。




