5
何気ないそのつぶやきを、誰が耳にして、怯えたのだろうか。
私はそのときの彼の恐怖を、知らないままでいたのだ。
ここにいたら良いのに、とアレクは言った。私は瞬いて、その少年の顔をじっと見つめる。
「だって、ファナ、皆と違う。俺とこんな風にお喋りしてくれる。いろんなこと知ってる。ねぇ、もっと教えて。ファナが知ってること、好きなこと、知りたい」
真っすぐな眼差しに、私は目をそらした。見える範囲にある植物は、おあつらえ向きに、薬草学の初期に用いる単純な魔法薬の材料ばかり。
「アレクには、生かせる機会がないかも」
なんといっても、王子様なのだから。宮廷魔導士や、典医に任せればすむことだ。
「でも、ファナ。ここにいつまでも、なんて、いないんでしょ」
ずっといてくれたら良いのに、と言ったのと同じ口で、同じ調子で、少年は独り言のように囁いた。
「怪我が治ったら、ファナは帰るんだ……」
それまででいいよ、とアレクは言う。
「俺がいつかここを出て、王様になった時、ファナはどこでなにをしているのかな。僕たち、また会えると思う?」
「会えるよ」
その返事は咄嗟にだった。慰めかなにかを口にしているのかと、疑う視線に、力強く返す。
「私、お城を目指してるの。いつか、お城で働くの。そのために学校に入って、勉強して、資格を取って、研究して、認めてもらって。そしていつか、王様の、為に……」
アレクを閉じ込めている、王様の、為に。
「……その、王様が、アレクだったら良いのにな」
私のつぶやきも、きっと、アレクの呟きと同じだ。言わずにいれなかった、独り言のような、囁き。
いいね、と少年は頷いた。実現するかなんて分からなくて、途方もない夢物語、仮定の話、他愛無い空想を、二人で続ける。
「……それなら、もしも、その時まで見つかってなかったら。ファナの白い王様、探してあげる」
思いも寄らない申し出に、その真意を問いたかった。けれど、アレクが私にもたれかかってきたために、その表情は分からない。
「ファナリアって、今度こそ呼んでもらおうよ」
呼んで、もらえるだろうか。
その時までも、ルゥを忘れていないであろう陛下に、「ファナ」を見てもらえるだろうか。
そんなことより、名乗った時の、あの、言葉を、この少年は今まで覚えてくれていたのか。傀儡の王になるのだと言うには、あまりに悲しすぎる、優しさだった。
軽く寄りかかるにしては増した重みに、私はアレクが睡魔に抗いきれていないことを察した。
「アレク、部屋に戻ろう? ここで眠るのは良くない」
うんと、アレクは頷いて、私の手を握ったまま立ち上がる。つられて私も立ち上がった。二人で向かい合って、アレクが問う。
「でも、ファナは?」
「私は、もう少しここに……」
「怖い夢、眠れないんでしょ?」
覚えていたか、と苦笑する。そうだねぇ、と返せば、それならね、とアレクが私の手を引きながら歩き出す。
「一緒に寝てあげる。俺、得意なんだよ」
自慢げに言いながら、部屋へ連れて行こうとする少年に、私は戸惑いを隠さなかった。子どもとはいえ、いや、けど、でも。
「ベアトとも、よく寝るの」
それは、ベアトも眠れない夜があるということだ。
彼も、そんな日々を送っているのか。それは、一族が多くいる彼個人の事情なのか、敵が多いと言う、アレクに関わる事情なのか。
「大丈夫、怖くないよ。夢って、楽しいんだよ。だって、ファナの夢は、お城で働くことでしょう?」
夢って、そういうものでしょ、と、アレクは言う。
「それでも怖いなら、ファナにお守りをあげる」
「お守り?」
うん、と、アレクは笑う。
「俺の守り石、ファナにあげる。きっと、悪夢からも守ってくれるよ」
無邪気で優しいけれど、強引に、アレクは私を自分の寝室へと導いて、同じ毛布を被って横になった。ここで頑なに拒否するのも大人げなくて、私は苦笑しながら少年に従う。眠りに落ちるまで、アレクはいろんなことを聞いてきた。
私が好きな物。植物のこと、薬草のこと、薬学のこと。専門的なことをどう分かりやすく説明しようかとつっかえつっかえになる私の言葉を、アレクは楽しそうに聞いていた。
お城で働けるようになって、どうするの。と彼は聞く。
家を立て直したいのだと、私は答える。家を継ぐべき兄は病弱で、家督はきっと私にゆずられる。だから、そのために。家を継ぐまでに、行けるかぎりの高い所まで行かなければならないのだと。
家を継いだ所で、何の繋がりも、力も、後ろ盾も、実績もないのでは、話にならないから、と。
とうとうアレクは眠りについて、私はつられるようにして、意識を落とした。
眠りに落ちる瞬間、ふと、怖くなる。
意識を失うということ。
陛下に会った自分と、ここにいる自分は、いったいなにがどうしたのかと。
目が覚めて、また、違う場所にいたなら。今度こそ、私はいったいどうなるのかと。
そんな、恐怖を、抱いた。
日の光で目が覚めて、傍らで眠るアレクを、思わず抱きしめる。なあに? と嬉しそうに笑うアレクに、なんでもないよ、おはよう。と笑いかけて。ふと、首にかかる光に息をのむ。
「それ、俺の守り石」
ファナに、あげるよ。と少年は誇らしげに笑う。
その、宝石。
それは、まるで、国の至宝のような輝きを、はなっていた。




