悩める男
俺は、ペンを置いた。
来たる夏休み。
高3の俺は部屋の勉強机にへばりつき、その愚かな時間をつぶしていた。
偉大なる傑作『ナザレの水域』の執筆に悩み、その難しさに頭を抱える。
なぜ小説はこんなに難しい?
春から書き始め、数ページ進めたのち、見返しては気に入らず、何度も話を練り直す。
7番目のプロットもいよいよ30回目の手直しに突入。
書いては思いつく展開のせいで伏線の修正、その修正のおかげで言葉を選び直し、文章はやり直し。
予定ではナザレに因んで730ページを計画……
これ書き上がんのか?
皆が将来を見据えて頑張っている中、バカな俺は端から諦め、作家への道に賭けていた。
処女作にして至高の大作、若干18歳にして、この壮大で思慮深い文学を書き上げてしまうという凄さで周りの連中をギャフンと言わしたい。
どういう話か?
それは俺もずっと考えてる。
だがわからない。
そもそもなんでこの題にしたかっていうと、なんかカッコイイから。
まず響きが渋い。
加えて宗教的な何か荘厳なものを感じさせる。
だからまあ、おおよそ神がどうとか……そういう感じにしたい。
だからこの題は外せなくて……ただイスラエル北部キリスト教の聖地にも、ポルトガル中部巨大なリゾート地にも興味はなくてなかなか困ってる。
いい加減書き終えないと成人になっちまう。
俺は天を仰いだ。
そんな苦悩をよそに、のんきでふわふわとした声が聞こえてきた。
「シ〜ンちゃん、なにしてんの? え、勉強っ?! エラいねえ!」
形だけのノックと共に姉の琴音が入ってきた。
「だから姉ちゃんさあ、ノックの意味が」
「みてこれ! 渋谷だけの限定コラボ! やっと買えたんだあ」
「ああうん、よかったねえ」
「で、勉強は捗ってるの?」
「いや勉強じゃなくて」
「ダメだよ! 勉強はしなきゃ! じゃね〜」
「あ、ちょっ」
まったく……なんてマイペースなんだ。
思えば俺が読書に興味を持つきっかけをくれたのが姉だった。
姉とは6つ離れていて、きょうだいというよりは小さな母に思えた。
姉の観ていたドラマや聴いていた音楽にもろに影響を受け、趣味は合い、だから仲はすごく良くて、姉も俺のことが可愛くて仕方ないらしい。
だけどやっぱり俺は男で、自我が芽生えると、少し背伸びをしたくて、本当に好きだと思うものより無骨で芸術的なものを無理に気に入っているようみせる節があった。
それまでと同じく、わかりやすいポップなエンタメを楽しめばいいのだが、ひねくれた俺の性格がそれを許さない。
対して姉はなんでも楽しんだ。
何より姉は要領よく器用で、好きだと思ったものは自由に取り入れた。
そしてただのマネじゃなく自己流に咀嚼して色を作るのが上手い。
今日のコーデも、推しのモデルをマネた“色はモノトーンで生地はゆるふわ”スタイルがどうとかこうとか言ってたが、なるほど、確かに似合ってる。
そして最も悔しいのがその賢さで、俺が頑張って小難しげな本や映画をわかった風で気取っているのに、姉は事も無げに簡単に理解してしまう。
その上それが特別カッコイイことでないと知っていて、幅広いジャンルをこなすから俺は太刀打ちできない。
ドアが開く。
「あ、チョコパイ買っといたからあとで一緒に食べようね〜」
「あ、ちょっと。相談? ていうかなんつーか……」
「ほう!」
妙に嬉しそうな反応。
「実は、小説を書いてて」
「いいね!」
「うん。だけど全然書けなくって……まあそんな相談されても困るだろうけど」
「あ〜。小説なんてチョー簡単じゃん?」
「は?!」
「いや簡単だよ」
「いや、簡単じゃねえから!」
「ん〜そうかな?」
「いやいやいやいや。書いてみろって」
「え、いいよ!」
「はあ? あのあれだよ、AIに書かせてとかそんなんダメだよ」
「AIなんか使わないって!」
「マジで?」
「うん! あ、でも3日くらいはちょうだいね」
「え、3日で?! いやいいよもっと掛けて。つか掛かるだろ普通」
「シンちゃん、こーゆーのは勢いだから」
「はあ……」
「じゃ、お姉ちゃん、負けないから!!!」
「あ、え? 負け……な、なに??」
「だから〜、お姉ちゃんとシンちゃんで、どっちが面白い話を書けるかって勝負、ぜっっったいに負けないから!」
なに?!
「あ、ちょちょちょちょちょちょちょちょ、話聞いてた??」
「うん! 聞いてたよ!!」
「あのさあ、書けないって相談をしたの。書けるわけないじゃん?」
「え、だって書きたいのはシンちゃんなんだよね? お姉ちゃんだけが書いてそれを見せるの? ヘンなの〜!」
なんだコイツ!
「いやだって……」
「お姉ちゃんだけに見せるつもりならさ、気楽に書けるでしょ?」
「ええ……」
まあでもそうか、俺が書けなきゃ意味ないか……。
いやどんなの書きゃあいいんだ?!
……姉ちゃんは、どんなのを書いてくるだろう? それはそれで興味深い。
乗るか?
「うーん……」
深い溜め息をゆっくりと吐く。
ここはある種修行の一環、なんかしら書いて見せるっていう経験をしておく必要があるか。
「どう?」
「う〜ん……わかった! でもせめて1週間にしないか?」
「いいよ! じゃあ1週間後に見せ合う、これで決まりね?」
「うん……」
「よし!!」
この自信はどっから来る?
姉ちゃんに相談したのが間違い……と思いつつ、こうなることが予測できないわけではなかった。
俺は俺で期待していた??
「シンちゃん、“ありがとう”は?」
「え? ああ、書いたらな」
「違う違う、チョコパイのお礼!」
「あ、それは、ありがとう」
「よし!」
こうして1週間後約束通り、互いの作品を渡し合い、各自部屋で読み終えてからリビングに集まった。
先に俺、後に姉ちゃんの順番で見ていきたい。




