第19話
「──っ!?」
慌てて飛び起きると、僕は暗闇の中で横たわっていた。
直前まで目の前に繰り広げられていた光景を思い出す。無意識に鼓動が早くなり、息が荒くなる。
「はぁ、はぁ……」
半ば焦る気持ちを押さえて周りの状況を確認する。
僕はどうやら、薄い布団の中で眠っていたようだ。この布団はスラム街で毎日使っているものなので、匂いと感触からすぐにわかる。そして僕の隣では、豪さんが何事もなかったかのようにすやすやと眠っていた。
「──夢、か。もう何度目だろう……」
小さくため息をして呟くと、隣で眠っていたはずの豪さんがもぞもぞと起き上がった。
「奏多君、眠れないのかい?」
「豪さん……すいません、起こしてしまいましたか?」
僕が少し頭を下げると、彼は起き上がって部屋の明かりをつけ、優しく微笑んだ。
「いいや、大丈夫だよ。ボクはキミの方が心配だけどね」
優しい口調でかけられた彼の言葉を受け、僕は気が付くと口を開いていた。これも彼の能力なのだろう。
「……最近、よく夢を見るんです。あの日の出来事を、そっくりそのまま──僕の手が兄さんを、目の前で殺めてしまう夢を。その後、彼は光に包まれていなくなってしまうんです。まるで、最初からこの世界に存在していなかったみたいに」
僕が言い終えると、彼は少し大きく頷いた。
「最近のキミは、僕達も驚くほど頑張り過ぎている。きっとその疲れが出たのだろうね。けれど、それ以上に……」
言いかけた彼の言葉を首を振って制すると、僕は小さく笑みを作って応えた。
「当たり前じゃないですか、だって僕は兄さんの弟ですから。血は繋がってなくても、それ以上の絆は確かに存在していますよ」
そう言うと同時に、兄さんの笑った顔が不意に脳裏をよぎり、僕は思わず顔を伏せた。
「豪さん、僕……いつか本当に、兄さんのことをきれいさっぱり忘れてしまいそうで怖いです。彼が生きていた証も、絆も、ぜんぶ光に包まれて……」
突然目頭が熱くなり、僕は言葉を切った。顔を上げると、何故か目に映るすべてがぼやけている。
「あれ……おかしいな、豪さんの顔がぼやけて……」
そう言う間にもどんどん視界は悪くなり、世界のすべてが混ざり合う──直前、豪さんが僕の体にそっと両腕を回した。
「……奏多君、やっぱり君はすごい子だよ。蒼梧君だけじゃない、愁さんだってきっと、キミのことを誇らしげに思っているはずだ。だから今は、たくさん泣いていい。気が済むまでボクを叩いていたっていい。動き出すのは、その後でも遅くはないと思うよ」
「……!」
耳元で囁いた彼の言葉に、気が付くと僕は彼の胸に両手を打ち付けていた。
「……怖いです豪さん、僕をおいて皆いなくなっていってしまいそうで……僕がアビスウイルスの副産物として生まれてこなければ、こんなことには……っ!」
夜遅いのも忘れ、僕は豪さんに向かって大声で叫んでいた。彼は片方の腕を僕の頭の上に置き、ゆっくりと撫ではじめた。
「キミのせいじゃない。それに、ボクはここにいるよ。もちろん、智子や進、彰三に隆羅……それに千夜だって、キミのもとを離れていくようなことはしない」
「豪さん……」
「それに、愁さんも蒼梧君も、ここにいるだろう?」
そう言うと、豪さんは僕の胸を指差した。
「──!」
そう──たとえ会えなくても、2人は僕達の記憶の中で生き続ける。僕達が彼らのことを忘れない限り、本当の意味で彼らが死ぬことはない。
たまった涙を拭い、僕は再び笑みを浮かべた。今度は、心からの感謝とともに。
「……そうですよね。ありがとうございます、話を聞いてくれて」
僕が深々と頭を下げると、豪さんは僕の胸から手を離し、両腰に手をあてて言った。
「メンタルケアも医師の仕事のうちだからね、これぐらいどうってことないよ。しかし……」
僕から視線を外すと、彼はうって変わって真剣な表情を作った。どうやら何か考え事をしているらしい。
「光に包まれて消える、か……」
「……?」
彼の独り言は、僕にはよく聞こえなかった。
* * *
──この前だって、お前の父親と会って話したばかりだぞ。
東京市セントラルタワーに乗り込んだ際、隆羅さんが私に言っていた言葉が頭をよぎる。果たして彼の言葉は、こうして現実のものとなった。
「パパ……」
思わず呟くと、目の前にいる男性──私の父親である輝場裕也は片方の眉を吊り上げた。
「実の親がここにいると知ってなお、大した反応も見せないとは……」
「そりゃ、少しは驚いてるっスよ。けど、パパが東京にいるっていう話は聞いてたっスから」
私が少し早口になりながら答えると、彼は小さく頷いた。
「それなら話が早い。さて……少しだけ昔の話をしよう」
そう言うと、彼はどこか遠い場所を見るかのように、視線を私から外した。
「私がここに住むようになったのはいつからだったか……しかしその目的ははっきりしている」
それは、私も知っていた。彼の言葉に続くように、腕を組んで答える。
「『ママのびょうきをなおしたい』、っスよね?送られてきた手紙に、何度もそう書いてあったっス」
私の言葉に、彼が再び小さく頷く。
当時の記憶はほとんどないが、私の母親は16年前にアビスウイルスによって亡くなっている。私も同時期に感染したが、医療施設に入れられたのは私だけだった。
今の私に残ったのは、何度も頭にこだまする彼女の声だった。ごめんね、ごめんね、とただひたすらに──
「お前の記憶通りだ。当時の私は彼女の身体からアビスウイルスを取り除こうと躍起になっていたのだよ。それでカメラマンを辞め、ここで働き始めたわけだが──」
そこでいったん言葉を切ると、彼はさながら大企業の社長が新商品のプレゼンをするかのように両手をゆっくりと上げた。
「──ここにいる者たちの話を聞いているうちに、そんなことなどつゆと消えていったよ。アビスウイルスは人智を超えた力を与えてくれる、きっと人類が進化するための鍵となってくれるだろう、とな」
「……」
私は何も言わなかったが、彼が話を止める原因にはならなかった。
「それならば、彼女の病気を治してしまうよりも、これからの社会と人類への福祉のためにあえて経過の観察をするべきなのでは──私はこう考えるようになった。今になって思い返してみれば、全く愚かな考えだったよ」
「……愚か、っスか」
私の言葉に再び頷く彼の様子は、どこか落ち着いていて、しかしどこか楽しそうでもあった。
「あぁ、愚かだったとも。何しろ当時の私は、研究に没頭するあまり周りが見えていなかったからね。だから……」
彼はさらに両手を広げ、上から見下ろすような眼差しを向けてきた。その瞳に宿っていたのは、狂気の輝きと、快楽の色のみ。
「私はよりよい社会を作るため、そして公共の利益を生み出すために研究テーマを変えたのさ。アビスウイルスが与える力自体の研究ではなく、それを応用した『人類の半永久的運用法』へと、な」
まるで子供のように目を輝かせて話す彼に思わず嫌悪感を抱き、自然と私の顔は険しくなった。
「まるで道具のような言い草っスね。永遠の命は必ずしもいい結果に結びつかないって、パパも知ってるんじゃないっスか?」
「愚問だな……人の命とは尊いものだ。それ故に永久保存しておこうという考えを、お前はどうして理解しない?」
うっすらと気味の悪い笑みを浮かべたまま問いを投げかけてくる彼に、私は思わず大声で言い返していた。
「それこそ愚問っスよ!パパ──いや、もう私の知っている"パパ"は死んだっスね」
軽く頭を振って、再び目の前の男を見据える。そこにいたのは私の父親などでも、人でもない。人を模した、心なき悪魔だ。
「輝場裕也、あんたは分かっていないっス──人の命は、時の移ろいに流されて、少しずつ散っていくから儚く尊いものだってことを!」
私がそう言っても、彼の薄ら笑いが消えることはなかった。
「フッ……酷い言われようだ。人が永遠を手にしたとき、また一歩我々は神の領域に近付けるというのに──所詮、凡人には分からぬ考えだということか。悲しいものだな、我が娘よ」
我が娘──この化け物は今の状況になってなお、まだ私のことを同族だと勘違いしているのか。
「このカメラは、儚くも美しい誰かの物語と、自分の憧れを写してくれるもの……けれど、憧れはこの瞬間に消えたっス」
私は持っていたカメラを彼に向けてパシャリ、と一枚の写真を撮った。
きっとこれが、最後の一枚になるだろう。皮肉なものだ、まさか始まりと終わりが同じ人物になろうとは──
「無理にでも、そこを通してもらうっスよ。自分はまだ、やりたいことが山ほどあるっスから」
そう言って、私は彼に向かって銃を構えた。しかし、今まで散々引き金を引いてきているのに、今更になって手の震えが止まらない。相手は父親でもなければ人でもないというのに、まだ私はこの男に向かって情けをかけているとでもいうのか。
そんな私の様子を見た彼は、その場から全く動かずにほくそ笑んだだけだった。
「ふっ、向こう見ずな性格は彼女にそっくりだ。その臆病なところも含めてだが……さて、父親であることを禁じられたこの身であれば躊躇は要らない。せめて私の手で、あいつのところへと送ってやろう」
* * *
「……静かね。嵐の前の静けさ、ってとこかしら」
セントラルタワー49階──実質的な最上階となったこの部屋には私しかいない。部屋に響くのは、私が揺らすグラスの中のアイスコーヒーに入っている氷が、グラスに当たる音だけだ。
しかし、その静寂もすぐに破られることとなった。
私の目の前のエレベーターが音もなく開き、その中から少し大柄な影が歩み寄ってくる。全身を鎧で覆っているかのような風貌の人物は、私の前で跪いた。
「会長、例のものの解析結果が出た」
「ありがとう、ヌル。……それで、彼はやはり?」
軽くねぎらったのち、声のトーンを低くして訊ねる。私に引っ張られたのか、ヌルも合成音声であるはずの声が少し低くなった──気がした。
「もう1つの資料も考慮に入れたが、断定していいだろう──あの男は間違いなく、"造られた人間"だと」
最後まで読んでいただきありがとうございます!
今回はようやく間に合わせることができました!昨晩妹が「朝ご飯を作っておけ」とうるさいから、、、
そんな話は置いといて、今回も本文の話をちらりとやっていきます。「どうせあとがきで書くようなエピソードがないんだろ」とか思わないで…
前回も話したかもしれませんが、今回のお話は今までよりスローペースです。この緩め(?)な流れがあと1,2話分くらい続きます。そこからは一気にラストまで駆け抜けていくのでどうか最後まで読んでいただきたく!"ハロウィーンの断罪"の日に起こったさらなる真実も少しずつ明かしていく所存です。
それでは次回、遂に千夜さんと父親である裕也さんが激突します!その戦いの果てに彼女が掴んだものと、その先に待つ戦いを最後まで見届けてください。では、次回もお楽しみに!




