7. 願望から確信へ
セレーナとシリルは、最初の街の宿を出て、乗り合い馬車を使って南の街まで移動した。
この辺りは街と街との距離があまり離れておらず、馬車に乗れば一刻ほどで隣街に着く。なお、一刻は、一日を十二等分した時間だ。
南の街で馬車を降りたら、人の多い場所を選んで、食事をとったり、買い物をしたりして過ごした。あえてたくさんの人に自分たちを目撃させるのだそうだ。
外のレストランで食事をするのも、商店に入って品物を眺めるのも、セレーナにとってはほぼ初めての経験である。
「わぁ、見て、ビーズのネックレス! 可愛い……!」
「初めて見る食べ物だわ! どんな味かしら?」
「ねえ、これは何? どういう風に使うの?」
「はは、あんた、見てて飽きねえな。そんなに面白い?」
「うん、とっても……!」
シリルは、どこへ行ってもセレーナがいちいち大げさな反応をするのが面白かったらしく、終始機嫌良く笑っている。
セレーナは、自分が現在進行形で誘拐されていることなどすっかり忘れて、街でのひとときを楽しんだ。
昼過ぎになって、セレーナとシリルは街道沿いの馬車乗り場へ向かった。
「なんだ、もう馬車出ちまったのか」
「ごめん。レストランに長居しすぎちゃった?」
「仕方ねえ、隣街まで歩くか」
シリルとセレーナは、乗り合い馬車を逃してしまった風を装って、あえて人前で大きな声でそんなことを話す。隣の街までは、歩いても行ける距離だ。
街道を歩いている途中で、すれ違う人がいなくなったところで、シリルは道を逸れ森に入った。
シリルはウィッグと眼鏡を取ると、鞄の中に適当に放り込む。
「さて、ここからは東へ向かうぞ。日暮れ前までには森を抜けられるはずだが、次の街に着くのは無理だ。悪いが、今日は野宿になる」
「うん、わかった」
セレーナが即座に頷くと、シリルは紫紺色の形良い目をぱちぱちと瞬かせた。
「……やけにあっさりしてるけど、あんた、野宿に抵抗ないの?」
「だって、野宿したことがないもの。でも、レストランとかお買い物と一緒で、初めてのことだから……どっちかっていうと、ちょっとだけ楽しみ、かな」
「はは。やっぱり、変わったお姫様だな」
セレーナは、元来、好奇心が旺盛だ。離れでの暮らしも、だからこそ乗り越えられた部分もある。
ジーンやダブと一緒に毎日試行錯誤して、少しでも暮らしを快適にしようと道具や服を手作りしたり、色々な野菜を育ててみたり、図書室の蔵書を読んで妄想を膨らませたり。
特に、読書はセレーナの知らない世界を見せてくれるので、とても好きだった。
中でもお気に入りだったのは、画家が描いた『世界のお祭り』という旅行記と、『怪盗王子の溺愛姫』という少女向けの物語だ。
怪盗王子が真っ白なタキシードを着て仮面舞踏会に潜入し、悪徳商人に攫われたお姫様を助けるシーンには、憧れたものだ。何度も読み返してはうっとりしていた。
——と、過去に思いを馳せていたセレーナだったが、あることに気がついて、斜め前を歩くシリルの顔を見上げる。
「……怪盗王子……」
「ん? 何か言ったか?」
「う、ううん、何でもない」
ちらりとこちらに視線を向けて首を傾げるシリルに、セレーナは慌てて首を横に振った。セレーナの呟きは、草を踏みしめる音にかき消されて、届かなかったらしい。
セレーナたちはそのまましばらく歩き、森を抜け、今は使われていない川沿いのキャンプスポットで野宿をすることになった。
結論から言おう。セレーナは野宿を舐めていた。
用意周到なシリルが簡易テントを張ってくれたとはいえ、虫は寄ってくるし、布を敷いただけの地面は壊れかけのベッドよりもずっと硬くて身体が痛くなるし、動物の鳴き声がして不気味だ。
結局全然寝付けず、シリルと一緒に火の番をしながら、たくさん話をして過ごした。
シリルは聞き上手の話し上手で、気づいたらセレーナは自身の境遇をすっかり打ち明けてしまっていた。
一方シリルは、自身のことを聞かれても、うまくはぐらかしてしまう。そのためセレーナは、彼のことについて、まだほとんど何も知ることができていない。
シリルは特に、五年前から現在に至るまで――伯爵家からジーンがいなくなってしまってから婚約が決まるまでの話を、たくさん聞きたがった。
最後まで話し終わると、シリルは「頑張ったな。もっと早くあんたを連れ出せてれば良かった」と言って、セレーナの頭を自身の胸にあずけさせ、ぽんぽんと優しく撫でてくれた。
シリルの手は大きくてあたたかくて、その胸はなんだか懐かしいような香りがして、セレーナは無性に胸が苦しくなる。
そして、セレーナは、シリルの胸を借りて、少しだけ泣いたのだった。
泣いているうちにセレーナは眠くなってきて、シリルの腕の中で眠った。
眠る前に、「おやすみ、セラ」という優しい声音が聞こえたような気がする。
セレーナはその夜、ジーンの夢を見た。
朝目覚めると、セレーナはテントの中に移動させられていた。けれど、何故だか相変わらずシリルの腕に抱かれたまま。
シリルは、セレーナが身じろぎをしたことで目覚めたようだ。
朝の清浄な光の下で見るシリルの表情は、やけに優しく穏やかだった。美しい顔立ちに、柔らかな笑みをたたえている。
「ん……おはよ」
優しい声色で、髪を撫でられる。セレーナは、それが心地よくてうっとりと微笑んだ。
セレーナを抱く腕の力が、少しだけ強まる。
シリルも、目尻を下げて幸せそうに頬をゆるめている。彼は横になったまま、セレーナの顔に柔らかく落ちるストロベリーブロンドの髪を、耳にかけた。
目の前には、甘く熱を帯びた、起き抜けの美男子の色っぽい微笑み——。
急激に心臓が早鐘を打ち始めたセレーナの顎に、シリルの指がかかる。彼はセレーナの顔を引き寄せるように、優しく力を込めた。
あと数センチで触れてしまうのに、セレーナの心も身体も、彼の優しい力に抗えなかった。熱を宿した彼の瞳から、どうしても目が離せない。
――そんな時。
テントの隙間から、突然、白い鳩がバサバサと音を立てて乱入してきた。
「わっ!?」
セレーナは驚き、慌てて起き上がる。一方、シリルは「ちっ」と舌打ちをして、寝転がったまま不貞腐れた表情をしていた。
真っ白な鳩はセレーナの周りをぐるりと飛んで、シリルのおでこを嘴で思い切りつつく。
「痛って! おいおい、勘弁してくれよ……」
シリルは悪態をつきながら、鳩の足についていた手紙を取り外す。その間、真っ白な鳩の赤い目は、セレーナをじっと見つめていた。
手紙をシリルが外すと、鳩は再びセレーナの周りを一周し、嘴を指に優しく擦り付ける。
シリルがテントの入り口の布を押し開けると、鳩は再び飛び去っていった。
今のは、おそらくシリルの飼っている伝書鳩だったのだろう。
「ふふ」
赤くなったおでこをさすっているシリルを見て、セレーナは笑った。
「じろじろ見んな、バーカ」
シリルはふいと顔を背けた。セレーナは、その横顔をじっと観察する。
ダークブルーの髪に、紫紺色の瞳……いなくなってしまった友達、ジーンと同じ色。
いなくなってしまったジーンのところから手紙を届けてくれていた、真っ白な伝書鳩。
そして、セレーナの髪を結い、幼い頃の愛称である「セラ」と呼んだシリル――。
「ねえ、あなたって……、ううん、やっぱり何でもない」
セレーナは、尋ねようとして、結局訊けなかった。シリルが、ギクリとした表情を見せたこともあるし——何より、セレーナ自身が、彼から否定されてしまうのが怖かったのだ。
今はまだ。そう思って、セレーナは口を閉ざした。
シリルと出会った瞬間から、その『願望』は、セレーナの頭の中に、ずっとあった。
目の前の美しい怪盗が、「絶対にまた会いにくる」と約束していなくなった彼の姿と、ぴったり重なる。
セレーナの『願望』が、『確信』に変わった朝だった。




