第六章 貴族、バイトする
第六章 貴族、バイトする
「バイト?」
「はい。テレビで見ました。居候の身で家賃を払えないなら身体で返すしかないと。だから働かないといけません。」
「なんの番組だ!?ちょっとその知識は色々と間違ってます。でもバイトはいいと思うよ。いい経験になるし、まあ僕がいない時間帯は猫の姿じゃないってことなので、光熱水費や食費もいただけるなら助かるな。」
あの出会いから数日が経過した。
あれからヴァンパイアたちの集いはまだ行われていないらしい。
どうやらユナは亜美が眷属魔となったことにかなりのショックを受けていて、木村とまともに会話をするのに数日時間が必要ってことだ。
「でもどんなバイトをすればいいのか・・・あまりこちらの世界のことがわかりませんし、どうやったら働けるのかも・・・」
「だったらちょうどいいところがあるよ。駅へ向かう途中のカフェでバイトを募集してたから、そこの面接を受けてみたら?ユナならきっと合格だよ。」
「カフェ?食事をするところですか?料理はしたことがないんですけど。」
「料理を運んだり、料理の注文を聞いたりする仕事だよ。そんなに難しくないと思うけどな。それに駅からそんなに離れてない場所だから、色んな情報が聞けるかもよ?ほら、ヒズミだっけ?ちょっと変わった現象があれば誰かが噂するかもしれないし。」
「なるほど、それはいいアイディアですね。シェリルも誘っていいですか?」
「うーん。シェリルちゃんは面接通るかなぁ?容姿は完璧だと思うんだけど、年齢的に無理かも。」
「シェリルはああ見えて秋人より年上ですよ?」
「え?あ、まあ人間と比べることがおかしいのか。ちなみにいくつ?」
「秋人、女性に年齢を聞くことはこの世界でも失礼にあたるのではないですか?」
う、うぐ。悪魔でもそんな礼儀作法があるとは。ちょっと気になるが我慢しておこう。
「とりあえず2人とも面接を受けに行こっか。明日仕事が休みだから、カフェの開いている午後からみんなで行こう。シェリルちゃんには亜美を通じて連絡しておくよ。」
ということで、僕、ユナ、シェリルの3人に加え、なぜか木村も一緒についてきた。
ちなみに亜美は今日は仕事だ。
カフェに入るとさっそく店長が面接してくれた。
そして僕の心配を余所にユナとシェリルは2人とも即採用となった。
店長はあまりの逸材が2人も同時に入ったので興奮していた。
そう、このお店は服装が少しメイドっぽい感じなので、美人で外人みたいなユナは大歓迎され、また見た目が幼女のようなシェリルはそれはそれで大歓迎だったのだ。
こうしてめでたくバイト先が決まった2人は研修後に週4日ペースくらいでシフトに入ることとなったらしい。
「そういえば木村は働かなくてもいいのか?お前だって居候だろ?」
「私は貴族だぞ?そんな奉仕活動などしたことないのだよ。」
「それはあの2人だって一緒だろ?ったく、このニートヴァンパイアめ。」
「おい、私をニートと呼ぶんじゃない。世界が違うのに社会不適合なのは当然ではないのか?」
「よ、よく意味をご存知で。」
「ふん。テレビを見て勉強しているからな。」
そう言った木村は偉そうにふんぞり返っている。威張ることじゃないんだが。
「あー、やっと終わったぁ。まさか今日から研修とは思ってなかったなぁ。でもシェリル、メイドの才能があるみたいだぞぉ。あ、ごめんユナ。」
「ん?どうしたの?」
「私にはメイドの才能がないらしいのです。お皿は割るし、お水はこぼすし・・・」
別にメイドの才能なんて必要ないと思うのですが。真剣にバイトを考えていたらしいユナはがっくりと落ち込んでいた。逆にシェリルはこれからのバイトが楽しみで仕方ないようだ。
「じゃあ今日は帰ろうか。あ、そうだ、シェリルちゃんは亜美の家までの道って分かる?亜美から送って行くように言われてるんだけど。」
「うーん、ちょっと自信ないかな?お願いしていーい?あっ!そうだ、ユナはどこに住んでるの?シェリル心配してたんだよ?」
「ま、まあね、いい人が見つかったから問題ないよ。でもラインハルト様も言っていたように、迷惑をかけたくないから詳しいことは言わないことにしようと思ってるの。」
「そっかぁ。それなら仕方ないか。じゃあとりあえず秋くんに送ってもらうことにするよ。ユナは電車乗るの?」
「いや、私は電車に乗る必要がないからここでお別れかな。またバイトの時にね。」
そう言うとユナは一人で僕の家の方向へ向かって歩いて行った。
「じゃ、駅へ行きますか。木村も行くんだろ?」
「う、うむ。私はここの駅ではないからな。」
そして3人で駅に向かって歩き出した。もう日が暮れ、辺りは暗くなっている。思っていた以上に時間がかかってしまった。
「おいっ!痛てーなコイツ。何しやがんだっ!」
駅への道中、気付くと木村が酔っ払いのオッサンにからまれている。まったく、このトラブルメーカーには困ったもんだ。
「ちょっと何してるんですか!?コイツが何かしましたか?」
「おいおい秋人、私は何もしていない。この方がフラフラと私にぶつかってきたのだ。」
「おっ?コイツ日本語しゃべれるのか?生意気な野郎だ。いいナリしやがって、ちょっとワシに恵んでくれや、お?」
タチの悪い酔っ払いにからまれたようだ。
さっさと逃げたいのだが、ああ、木村が不敵な笑みを浮かべている。
「貴様はこの私に喧嘩を売っているのだな?」
「おうおう、そうだよ、テメーみたいなボンボンはぶん殴ってやらねーとこのムシャクシャはおさまんねーよ!」
「ふっふっふっ、貴様はもうお終いだ。相手が悪かったな。キンバリウム家が長男、このラインハルト様が少しばかり遊んでやろうじゃないか!」
「こらこら、酔っ払い相手に何するつもりだ。」
「そうだよお兄ちゃん、放っときなよ。」
しかし木村はまったく聞く耳を持っていないようだ。
僕やシェリルの声を無視して酔っ払いのオッサン相手にしゃべり続けている。
そして小瓶のようなものを取り出した。
「これが何か分かるか?これは我が一族に代々受け継がれている秘宝、邪龍の血だ。これを飲めばあらゆる知識と力を得ることが出来ると言われている。喜べ、貴様は犠牲者第一号だぁっ!」
「ちょっとちょっと、木村くん?相手は酔っ払いの人間ですよ?そんな秘宝は使わないでいただけませんか?」
「秋人よ、獅子は兎を倒すのにも全力を尽くすと言うであろう?」
「君、ホントにこっちの世界で育ったんじゃないよね?」
「お兄ちゃん、それ使っちゃダメだよ。ってか使えないよ?」
「心配するなシェリルよ。この邪龍の血、時に暴走して身を滅ぼすというが、私は乗り越えて見せようではないかっ!」
そう言うと木村は小瓶の蓋を外し、そして大きく開けた口の真上で逆さにした。人間相手に何をするつもりなんだか。
「あれ?出ない?」
「お兄ちゃん、それ、血液が凝固してるの。だから使えないって言ったのに。」
「ぶはっ!木村かっこ悪っ!」
「う、うるさいっ!こんなものなくても私の力を見せてやろうではないか。」
・・・・・なんだこの状況は。
「うぎゃー!いてててて!わかった、わかったからもう止めてくれっ!」
悪魔は酔っ払いのオッサン一人すらも倒せないくらい弱かった。
ホントに悪魔なのかコイツは。
馬乗りにされて殴られるのを必死に抵抗している木村を見て僕は思った。
「おい木村、警察呼んでやろうか?」
「秋人、たっ、助けてくれっ!そして警察は止めて!以前に酷い目に合ってるのだよっ!」
「もうお兄ちゃんったら仕方ないなぁ。」
シェリルはそう言うと酔っ払いに向かって歩き出した。
あの弱い木村の妹だぞ?しかも見た目幼女だし。いくら悪魔とは言え、人間とあまり変わらないのだから止めるべきか?
「シェ、シェリルちゃん?危ないから止めた方が・・・」
そう言った僕に振り向いたシェリルの目は綺麗な青ではなく、いつか見た木村の目と同じ赤黒い目に変わっていた。
その姿は外灯に照らされ、とても恐ろしく、まるで悪魔のように見えて、ん?そうだ。悪魔だったっけ。
「お?なんだお嬢ちゃん、今度は・・・」
酔っ払いもシェリルの異様な雰囲気に飲まれたのか言葉が出なくなった。そして馬乗りになっていた木村から立ち上がり、不意に右の拳を振り上げ、シェリルに殴りかかった。
バンッという乾いた音と、ゴキッという鈍い音が同時に響く。自分の身長の倍近くある酔っ払いの拳を、シェリルはまるで蝿を払うかのように左手で軽く払い飛ばしたのだ。
そしてそれだけで酔っ払いの腕が折れたのだろう。変な方向に曲がった腕を押さえながら酔っ払いはその場に崩れ、叫び、そしてのた打ち回った。
あのちっちゃいシェリルが、どこにそんな力を秘めているのだ、と考えた僕だったが、そうだ、彼女はヴァンパイアであり悪魔なのだ。
木村があまりにも弱すぎて本来の方向から物事を見れなくなっている僕である。
「ちょっとおじさん、五月蝿いよ。シェリルを見なさい?そして黙りなさい。」
シェリルを見た酔っ払いは突然叫ぶのを止め、放心状態に陥った。
「そう、いい子ね。座りなさい。あまり好みのタイプじゃないけど、あなたの血、いただいてもいいかしら?」
尋ねるシェリルに、酔っ払いはコックリとうなずいた。そしてシェリルはその首筋に唇を這わしていった。
やっぱりヴァンパイアなのだ。
その光景はなぜか怖いものではなく、少し妖艶でエロティカルだった。吸血されている酔っ払いの表情は恍惚としていた。
そして吸血が終わると酔っ払いはゆっくりその場に崩れ落ちた。
「シェ、シェリルちゃん?まさかそのオッサン、死んでないよね?」
「大丈夫だよ。シェリルそんなに飲めないよ。ちょっと眠っただけだからそのうち目覚める、はずだよ。」
「それにしても木村さぁ、なんでお前だけそんなに弱いわけ?」
「秋人よ、あれは私が弱いのではない。私には分かる。あそこに倒れている男、アイツはきっとメフィストあたりの上級悪魔の血を引いている。」
「はいはい。そんなわけないだろう。亜美が眷属魔となってお前の力の1割を得てるって言っても、お前がそんだけ弱いんだったら亜美がまったく変わっていないのも納得できるな。」
「わ、私だって、やれば出来る子なんだ。」
「ありがとうシェリルちゃん、おかげで助かったよ。ん?どうした?」
「はれぇ?なんか変れすぅ、頭がフワフワするぅ・・・あの人の血ぃ、はぅぅぅ・・・」
そう言うとシェリルはペタンと座り込んでしまった。なんかニヤニヤしてる。
さっきまでの雰囲気がすっかりなくなっていて安心したけど、これは一体?
「うむ。おそらくアルコール、だな。酔っ払いの血を吸ったからシェリルも酔っ払ったのだろう。だから私は吸わなかったのだ。まったく考えもなしに行動して、これだから未熟者は困る。」
「おい、お前は美女の血しか吸わないって言ってたからじゃないのか?」
「あ。覚えてました?」
「どうするんだよシェリルちゃん。これじゃ亜美のところへ連れて行けないぞ?そうだ、木村、お前が、あれ?木村?」
さっきまでそこにいた木村の姿はいつの間にかなくなっていた。
あの薄情者め、自分の妹だろうが。
ったく、仕方ない。とりあえずは連れて帰ろう。
家にはユナもいるから大丈夫だろう。
僕はシェリルをおんぶして家まで歩いた。シェリルはとても軽く、こうして見ると本当にただの幼女にしか思えない。
吐息が首筋にかかるのが少しくすぐったい。はっ!?寝ぼけて噛まれたりしないだろうな?そんな不安の中、なんとか無事に家までたどり着いた。
「ただいまぁ。よいしょ。あれ?白猫ぉ?どこ行ったぁ?シェリルちゃんがいるぞぉ。」
ユナが猫に変化していることを知られてはいけないので、猫に話しかけるフリをしてユナにシェリルの存在を知らせておく。
するとベッドがもぞもぞと動き、ユナ、というか白い猫が出てきた。
「ニャ、ニャー。」
慣れない鳴き声のマネをするユナ。ちょっと面白い。僕はシェリルをベッドに下ろした。
「ふぁ、ふへー。あれぇ?ここはどこれすかぁ?」
「お、目が覚めたか?ここは僕んちだ。さっき酔っ払いの血を吸って、それでシェリルちゃんまで酔っ払ったんだってさ。とりあえず亜美のところまで行くよりこっちがいいかなって思ったから連れてきた。」
「ありあとござますれすぅ。」
白猫がトトトッと風呂の方へかけて行き、僕に手招きしている。
「秋人、どういうことですか?」
「実はさっき・・・」
僕は小声でさっきの出来事を簡単に説明した。
ユナが言うにはあっちの世界にもお酒のようなものが存在しており、シェリルは飲んだことがなかったのだろうということだった。人間と同じで放っておけばそのうち元に戻るそうだ。
「じゃあ僕は今日はコタツで寝るから、シェリルちゃんはゆっくり休んでね。亜美には連絡しておくから。白猫はベッドの隅で寝ればいいから。」
そうして僕は2人のヴァンパイアとともに就寝したのだった。
「ん?なんだ?」
何かもぞもぞする。
コタツで寝ていた僕は胸元に違和感を覚え目が覚めた。暗がりの中を見ると、そこにはシェリルがいた。
「なっ、なんでここにシェリ、んぐっ!」
そう言い掛けるとシェリルが僕の口に人差し指をあて、シーっというポーズをとった。
「へへへぇ。シェリルねぇ、秋くんのことちょっとタイプなんだぁ。ね、ちょっとだけ吸っていい?」
そう言うとシェリルの目の色がどんどん変わっていった。
あの酔っ払いの時と同じだ。この目、この雰囲気、逆らうことの許されない絶対的な空間、これが悪魔、なのか?
僕は全身の自由を奪われたような感覚に陥り、気付くとシェリルの問いに対してうなずいていた。
「いただきます、秋くん。」
シェリルの唇が僕の首筋に近づき、その吐息があたる。全身が気だるくなり力が抜けていく。シェリルの小さな舌がペロリと僕の首を舐めると、勝手に身体中の血が暴れまわるようになり熱くなった。
気付くと僕は力の入らない腕で、出せる限りの力でシェリルを抱きしめていた。脳も身体も僕の言うことを聞かない。シェリルを抱きたくてたまらない。
しかし、シェリルが優しく僕の首筋を噛むと、徐々に僕の意識は薄れていった。




