最終話
「——で? 今日は何の用?」
カルナのギルドのカウンターで、ニナさんが、いつもの気だるげな顔に戻って言った。世界を救った英雄二人が相手でも、この人の受付は変わらない。それが、ありがたかった。
「パーティの、登録に来ました」
「登録? 変更じゃなくて?」
「うん。『熊と花と矢と光』は——《《殿堂入り》》。あの名前は、四人のものだから」
ニナさんは、少しだけ黙って、それから、新しい羊皮紙を出した。
「……いい判断ね。で、新しい名前は? 言っとくけど」
ニナさんは、じろりと私たちを睨んだ。
「——《《今度は、増やさないでよ》》」
私とノエルは、顔を見合わせて、笑った。
「増えません。——《《二人で、完成なので》》」
「……あっそ」
ニナさんは、それはもう盛大に、にやにやした。羽根ペンを構えて、「はい、名前」と促す。
私は、言った。二人で決めた、その名前を。
「——《《残心》》」
「ざんしん。……聞いたことのない響きね。どういう意味?」
四年前と、同じ質問だった。あのときは「秘密です」と答えた。教えてくれた人はもうこの世界のどこにもいなくて、意味を分かち合える人も、いなかったから。
今は、違う。
「射った後も、姿勢を解かずに、心を矢の飛んだ先に残すこと。そこまでが、一本の射——っていう、遠い国の弓の言葉。……つまりね」
隣のノエルが、続きを引き取った。二人で決めた名前の、二人で決めた意味を。
「《《いなくなった人たちに、心を残したまま、前へ歩く》》——という意味です」
ニナさんの羽根ペンが、一瞬、止まった。
それから彼女は、何も言わずに、綺麗な字で登録簿に書いた。パーティ「残心」。所属、二名。備考欄に、小さく一言——《《当支部いちばんの、面白い子たち》》。
「……備考、それでいいんですか」
「私の登録簿よ。文句ある?」
*
出発の朝、カルナの街道には、見送りが並んだ。
ドルグさんは「春の便で戻ってこいよ! 説教がまだだからな!」と怒鳴り、結局最後は泣いた。おばちゃんは保存食を一抱え押しつけてきた。タエばあは、船主への紹介状と、湯の素を一袋くれた。「ヤマトに着いたら、まず湯に入りな。あっちの湯は、世界一だよ」
そして、荷馬車には——暖簾が、積んであった。
「灰熊亭」の、あの暖簾。おばちゃんが縫った、父さんの宝物。形見分けの日、みんなが「これはあんたたちが持つべきだ」と言って、譲らなかったのだ。
「……ノエル。灰熊亭、継げると思う?」
「シチューの味は、三年かけて舌で覚えました。焼き加減は、まだ修行中です。……でも、大丈夫です」
ノエルは、胸を張った。
「《《秘訣は、愛だそうなので》》」
*
港までの街道は、春だった。
雪解けの水が光って、気の早い花が咲き始めていた。私たちは歩いた。荷馬車を引いて、暖簾と、梓と、祈祷書と、両親の墓の土を少しだけ包んだ小さな壺と——それから、新しい祈祷書を積んで。新しいリストの一行目は、もう書いてある。
——ヤマトの桜(四人ぶん、見てくる)。
「ね、リノ」
「ん?」
「船って、揺れるんですよね。二ヶ月も」
「揺れるよ。たぶん、ノエルは三日酔う」
「〜〜っ、う。……で、でも、その後は? 酔いが終わったら、何があります?」
「水平線。どこまでも。あと、夜は、海の上に星が全部降りてくる」
「〜〜〜っ、それ! それを楽しみに酔います!」
ノエルの手が、私の手を探して、指が、絡んだ。もう何百回目かの恋人繋ぎ。それでも毎回、この子の耳は赤くなるし、白状すると、私の耳も赤くなる。慣れたら終わりな気がする、とはよく言ったものだ。——終わらせる気は、お互い、ないらしい。
街道の先に、海が見えた。
「……ねえ、ノエル。私の人生はね、だいたい弓で説明がつくんだ」
「はい」
「九割が弓で、一割がスイーツ。……そのはずだったんだけど」
私は、繋いだ手を、少しだけ持ち上げた。
「二回目は、配分がおかしい。弓と、家族と、シチューと、温泉と、飴の半分こと、桜の予定と——あと、隣の治し手で、もう、勘定が合わない」
「ふふ。……いいんじゃないですか、合わなくて」
ノエルは、笑った。出会った日の夕陽と、同じ顔で。
「勘定の合わないぶんは、ぜんぶ——《《これから取りに行く》》んですから」
潮風が、吹いた。
弓を構えてもいないのに、世界は静かで、まっすぐで、遠くまでよく見えた。矢の飛んだ先に、心を残して。手を繋いだまま、私たちは、歩いていく。
どこまでも。
(第四十六話・了/完)
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