92話「解明」
一体、岩石群最奥地の地面には、どんな内容が綴られているのか。マジュは声を張り上げてユーシャに訊ねた。
「それでー⁉ どんな事が書かれてるのー⁉」
「岩壁に彫られたのと同じだから俺にはわかんないー!」
岩壁に彫られてる字と同じ──フアムの指摘通りと言うからには当然の結果である。地面に書かれた文は、旅人が残したものと同様に、ここ周辺の地域で昔使われていた言葉だった。ユーシャは何かの文章だとはわかるものの、肝心の文字を読めなかった。
マジュ──! ユーシャが地上の彼女に声を掛ける。
「ちょっとこっち来てくんないー⁉」
「無理に決まってんでしょうがー!」
とんだ無茶振りであった。身体能力が図抜けている自覚がまるでない厄介な男は、仲間に同じ注文を要求し、それを拒否された事が理解できずにきょとんとしていた。
「えー⁉ なんでだよー!」
「あんたと違ってか弱い乙女だからそんな所まで行けないのー!」
「……? えー⁉ 何ー⁉ 『わい、オットセイ』って言ったかー⁉」
「そんな事言っとらんわー! あんたみたいに異常じゃないから無理って言ってんのよー!」
「誰が異常だコラ―‼」
……自分が異常呼ばわりされた事だけはしっかり聞き取れていた。傍で佇んでいたエーダが、不意に閃く。そしてユーシャに声を掛けた。
「ユーシャーっ! ちょっといいーっ⁉ そこから指示してほしい事があるのーっ!」
「えー⁉ 今の声エーダか⁉ 何か言ったー⁉」
ユーシャとマジュとで、ある程度会話が成立していたのだが、どうやら二人の声量ありきだったようだ。上空に吹く風にも邪魔され、二人に比べてか細いエーダの声はユーシャに届かなかった。エーダはその事実が少し不満だったようで、眉尻を上げ、もっちりとした両の頬を膨らませた。
「もうっ! よーし! もっと大声出すために脱いじゃうんだからっ!」
「服の着脱関係あるの⁉」
マジュのツッコミに続くように、上空から声が聞こえた。
「だーかーらー! それはやめろって言ってんだろー‼」
何故かエーダの脱衣宣言だけははっきり聞き取れていた。
「エーダが言いたい事をマジュがユーシャに伝えればそれで解決するよ」
既に身に付けているローブに手を掛け、谷間から下腹部辺りまで見えているエーダを食い止めながら、フアムは最善策を提示した。パーティー最年少がこの場で一番冷静で大人だった。
「わ、わかったわ。マジュちゃん、ちゃんと聞いてね」
「うん。でも、その前にちゃんとボタン留めてね」
観念しながらも執念は消えないエーダは、自身の提案をマジュに伝えた。そして、腹の底から出た声でマジュがユーシャに伝える。ユーシャは伝わっているのかいないのかよくわからない表情でマジュの言葉を受け取っていた。
「──オッケー! エーダ! フアム! マジュ! こっちはいつでもいいぞー!」
どうやらしっかり伝わっていたようだ。ユーシャの声を聞き、地上の三人は互いに目配せをする。そしてすぐさま作戦の実行に移った。
「そうー! そこをそのまま真っすぐいって一文字目は終わりー! 二文字目は──」
エーダは地面に描かれた線を丁寧に、しかし遅すぎない速度でなぞりながら歩を進めた。そんな彼女に岩壁の頂上から見下ろすユーシャが声を掛ける。
エーダの提案は言葉にすれば至極単純である。地面にしるされた文字をなぞっていき、その動きを見て、読める大きさに書き起こす。
発案したエーダが地面の文字──線をなぞっていく。上空のユーシャは、なぞった文字が一字終わる毎に合図を出し、次の文字の位置について指示を出す。そしてエーダの動きを見て、マジュが字を書き起こしていく。言語と字はわからないが、地にしるされている文字のサイズでも、ある程度頭の中で咀嚼できているフアムは、マジュをアシストする役割を担っていた。
「エーダ―! 下の横線も含めて多分一文字だから次は下ー!」
暢気な性格で普段は頭を使っていなさそうなユーシャだったが、意外にも指示は的確で、作業は順調に進んでいた。
「初めての……共同作業だね……ぬふ」
「おっとりねっとり言うんじゃない。気持ち悪いわ」
肝心の書き起こしを担うフアムとマジュは、軽妙で軽薄なやり取りをしながら作業にあたっていた。
等身大の文字を見て修正部分を指摘するフアムと、言語の解像度が高く、エーダの動きに対して文脈を読みながら補完して書き起こすマジュは、即席ながらもいいコンビであった。
作業そのものは止まる事なく極めて順調である。気掛かりなのは、文字を起こしていく毎にマジュの表情が曇っていく事であった。おそらく難しくない単調な文で、内容が推測出来ているのだろう。それでもまずは最後まで──作業を遮らずに淡々と字の書き起こしに終始した。
「そこから右の線をなぞって──それで終わりー!」
ユーシャの宣言とともに、マジュはがっくりとうなだれた。大きな岩壁に囲まれた最奥地を縦に横に動き回っていたエーダは火照った顔を手うちわで扇ぎながらふうっと息を吐く。そして、地面に膝と手をつくマジュを見るやいなや、足早に駆け寄った。
「ど、どうしたマジュ! 何が書いてあったんだ⁉」
フアムの背後からユーシャがマジュに声を掛けた。先程まで岩壁の頂上にいたはずの彼は、まるで最初からそこにいたかのように地上の三人のそばで佇んでいる。どうしたのかと問うユーシャの移動速度の方がわりかしどうかしていた。
「単に文字が並んでただけだったとか?」
フアムが、マジュがうなだれている理由を推察する。
「ううん。無駄な文字なく、ちゃんと文章になってるわ……」
「じゃあ何で……っ、まさか──」
ううん──エーダの言葉を遮り、否定した。最後まで聞かずとも、最初からただの噂で、ここには精霊が存在しなかったのではないかというエーダの疑問を読み取れていたからであった。しかし、マジュは否定した。そうではない。確かに、ここには何者かが存在していた。何故マジュはこんなにも意気消沈としているのか。沈痛、というよりかは呆れ返った表情で、そして先程とは打って変わってか細い声で地面に書かれた文を読み上げた。ユーシャ達は思わず固唾を呑み、耳を傾ける。
「……地面には、こう書かれていたわ……。人が──」
──人が全然来てくれなくて寂しいので場所変えます──。
……。
…………。
……。地面にしるされた模様、いや、文字は数百年前に品性下劣な旅人が訪れた時から存在していた。つまり、その時点で既に字をしるした主はマーヨ・テ・マウーテ岩石群を離れていた事になる。伝聞にはよくある事なのか、現代に残る伝承は精霊の情報が一切更新されていなかったようだ。ユーシャは堪らず声を上げた。
「そんな釣るポイントを変えるみたいな気軽さで精霊が移動すんなよ‼」
少年のツッコミがこだまする。
天然の迷路の果てに辿り着いた神秘的な奥地で、ユーシャ一行の精霊探しの旅は振り出しに戻ったのだった──。




