87話「祠への道」
マッカチョッカ大陸西側の港町、ホクシーの町外れから辺りを見渡す。少し動いただけで体が熱を持つ温暖な気候だが、佇んでいる今は穏やかな風が気持ちよかった。
「それで、精霊の祠っていうのはどうやって行くんだ?」
良く言えば近接戦闘に特化しているユーシャ一行は、それを補い、強力な力を手に入れるべく、精霊の祠への道を探していた。この大陸圏で暮らし、メイドから精霊の伝承を耳にしていたマジュが少年の質問にあっけらかんと答える。
「簡単じゃない。西の方向に行けばいいのよ」
「いや、それはわかるんだけどさ、それはどっちで、どの道から行くんだ?」
マジュは顔に一切の感情を浮かべず、少し黙った後、周りをきょろきょろ見渡した。
「うーん、そうね……あっ、じゃあ、あっち行こっか!」
「今じゃあって言ったか⁉ じゃあって何だじゃあって‼」
……。今の一言に、マジュが何故道に迷うのかが集約されていた。
港町に背を向けているエーダが、向かって右側を指差す。眼前にある温泉の町ヌクインに続くルートが真南で間違えていなければ、ぴんと伸ばした右手の人差し指の先が西という事になると彼女は言った。しかし、ユーシャ達の位置からは、青々とした空と煌々とした太陽しか見えないほどに背の高い台地の岩壁が広がるのみで、人が立ち入れるような道、それどころか僅かな隙間さえあるようには見えなかった。
フアムが不意にマジュの肩を揉む。そしてそのまま彼女に訊ねた。
「ゴリエットから祠までの道のりの具体的な言及はあったかい? お嬢さんや」
「生まれて十数年の娘からおよそ出ない口調ね。でも! いい質問よお嬢さんや」
「どういう口調なんだお前ら」
祠への道に待ち構える天然の迷路の前にキャラクターが迷走していた。
いい質問──そう言ったマジュは、得意気な顔をして、お茶目な百面相・フアムに言葉を返した。
「『いいですか、マジュ様。大陸西側は迷いやすく危険なので、間違ってもお一人で行ってはなりませんよ』って言ってたわ」
「いい質問の答えが全くもってよろしくないんだが」
そもそも具体的ではなかった。親譲りの旅好きで、向こう見ずな行動を取る令嬢へのただの注意喚起でしかなかった。
エーダは上の空へ目線を向け、自身のあごに上品に手を添えて、思案に耽る。彼女の頭の中には前日に辿った港町ホクシーから温泉の町ヌクインへの道のりが描かれていた。真南のルートから東に向かって弧を描いた道。道なりにそのまま進めば一本道といえるのだが、途中には歪に高くそびえた岩壁の陰に隠れた細い枝道がいくつかあったのだった。
「でも、枝道も全部向かって左側だったから、東の方に行く道って事よね。西側に出る道ってなかったと思うんだけど」
「もしかしてヌクインの町から回り込まないといけないって事かな」
エーダの発言に続いて言ったフアムの推測は、正にその通りであった。ヌクインの南に広がる山々の合間の標高の低い野道を進んでいくと、かつて大陸中を支配したといわれているウィズアルド王国跡──現在はその血筋のウィズアルド家領主達が暮らす屋敷がひっそりと構えている。屋敷のある大陸南部から西方に伸びる、勾配の激しい長い山道は、精霊の祠に行けるルートの一つなのである。メイド長ゴリエットがマジュに注意喚起をしたのは、屋敷からすぐに見える安易に足を踏み入れられるその山道が、好奇心旺盛な令嬢の冒険心をくすぐる場所だったからなのだろう。
「そうとなると、一旦ヌクインの町まで行かなきゃって事か」
ユーシャの言葉に表情を曇らせたマジュは、力なく呟く。
「つまり……強力な力を手にしたいのであれば地獄を通らなきゃいけないって言うのね……」
「じ、地獄? 一体何の事だよ」
「あなたも行った事あるんでしょ? 人間が阿鼻叫喚する温泉地獄のヌクインへ!」
「主語がでけえな! 自分が風呂嫌いってだけだろうが!」
……。マジュの頭には、入りし者の肌を血の如く赤く染める灼熱の池に、罪なき我が身を突き落とさんとする筋骨隆々の地獄の使いの姿が色濃く残っていた。ざっくり翻訳すると、様々な健康効果があるヌクインの湯に浸かって疲れを取ってもらおうと、筋骨隆々のメイド・チョードリーが甲斐甲斐しく湯浴みの世話をした、という話である。
待って──そっぽを向いて、海を眺めているように見えたフアムが、そう声を上げた。
「あっちから祠に行けないのかな」
フアムが眺めていた方向には、海岸線と高地の間にある、先端鋭い草が雑多に生い茂った、道とは言えない陸地が続いていた。方角としては確かに西で間違いない。だが、例によって歪にくねくねと曲がる岩壁が邪魔をして、ユーシャ達がいる位置からは道があるようには見えない。
それでも、確認しておいて損はないと、マジュがユーシャに声を掛けた。
「とりあえず行ってみましょうよ。ダメなら引き返すだけの話でしょ?」
「──だな。よし、道がないか見にいこうぜ」
そう言ってユーシャ達は港町から西の道なき道を進んでいった。海に落ちないようにね──フアムの何気ない発言で、マジュはエーダにぎゅっとしがみつき、エーダは、生い茂った草に頭まで隠れたフアムがはぐれないようしっかりと手を繋ぐ。草がこよりとなって出たユーシャのくしゃみは、びゅうびゅうと吹き荒ぶ風の音にも負けていなかった。一行は能天気な顔をして歩くユーシャを先頭に、つつがなく歩みを進めた。すると──。
「おっ! 皆、あった! 道があるぞ!」
歩く事数百メートル。ユーシャ達の身長ほどもある草々を抜けて、一転して乾いた岩地をしばらく歩くと、西方へ大きく盛り上がっていく丘陵地帯の手前に道が見えた。
一行の目には、至る所に転がる大小様々な落石したと思われる岩々が映る。目線を上げれば反り返っていたり、段々になっていたりと、一層凹凸が激しい高低入り混じった陽光を遮るほどの大きな岩壁。湾曲した壁に阻まれて十数メートル先も見通せない道。入り口から見ただけでも、マッカチョッカ大陸西方の荒廃した大自然は、中央部よりも遥かに険しい事が瞭然としていた。
「この先に……精霊の祠があるのね」
エーダが、音を立てて唾を飲み込み、呟く。フアムが遠くを見据えて言った。
「下手をすればここが私達のお墓に──」
「縁起でもねえな!」
「心配ないわ。いざとなれば私がゴリエット達を召喚して──」
「あの人達って精霊⁉ 筋肉の精霊なのか⁉」
──かつて悪と戦う人間に力を貸したという伝承も残っている高尚な存在。自然を司る精霊が祀られていると云われている祠を目指して、ユーシャ一行は複雑怪奇な天然の迷路──マーヨ・テ・マウーテ岩石群に足を踏み入れた。




