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「次はエルフの姫に相談されてね。あの英雄殿が、姫の話に耳を傾けることがなくなったというのよ。英雄殿は姫をとても可愛がっていたのにね」
「あの……予想はできますが、英雄とは誰のことですか?」
英雄の名。エルフの姫という言葉から予想はできるが、もしそれが本当であれば、シェリーの考えも変えることになるだろう。
「確か名前は……プラエフェクトよ。世界に初めて白き神の声を聞く聖女が顕れたと、勘違いしていた英雄殿よ」
その名を聞いたシェリーは目を見開いてエリザベートを見ていた。歴史の生き字引と言っていい魔女。
黒のエルフのアリスと交流があったことは、モルテ国でわかったことなので、嘘は言っていないだろう。そもそも嘘を言う必要はない。
「そんな風に、洗脳って言えばいいのかしら?それまでと人が変わったかのようになる人が時々いたのよ」
エリザベートは空中に陣を描き、そこに手を突っ込み、何かを取り出した。そして、それを手狭なガーデンテーブルの上に置く。
「これは空島の制御石なのよ」
コトリと置かれたこぶし大の白い石は、確かに王城の地下にあったものと同じ魔石に見える。
「これに接すると、おかしな行動を取っていた者が今まで通りに戻ったのよ。ああ、ラフテリアは違うわよ。魔人化の暴走だったと後でわかったからね」
「もしかして、魔人化の概念を定着したのはエリザベート様だったのですか?」
シェリーは疑問に思ったことをエリザベートに尋ねる。
そもそも魔人の暴走に関して、誰かが魔人の暴走を止めたという逸話は存在していなかった。
ということは、人々は魔人の暴走に対して嵐が通り過ぎるのを待つように、魔人が立ち去るのを待っていたのではないのか。
だったら、誰が魔人の生態を調べようとしたのかという話になる。
暴走の原因。その原因が存在しなければ、暴走は起こらない。
これはいったい誰が定義づけたのか。
「概念の定着はわからないわ。だけど、何故か毎回北の海岸に魔人が送られてくるでしょう?それも暴走している状態で。それは殺すか沈静化させるかの二択になるわね」
送られてくる魔人。送りつけてきたのは、唯一その海岸に立ち、ラフテリアの暴走から逃れるためにラフテリアを北の海岸に戻した教皇という者だ。
その者にレベリオンの疑いがかけられているが、それも歴史の闇の中だ。
「でも放置していれば、暴走が収まったので、それは何故かって思うわよね。まぁ、それは横に置いて、この空島の制御石よ」
エリザベートは白い魔石を指し示す。
赤き魔女が空島の残骸から何かを探していたのは有名であり、ロビンがエリザベートが空島の落ちた場所を記していたと言っていた。
だから、エリザベートはこの魔石に何か意味を見出したのだろう。
「これおかしいのよ。調べても、いくら調べても、おかしいのよ」
そう言って、もう一つ同じような白い魔石を出した。
「一つだと何も起こらない。こう二つ並べると空間を隔離する結界を発生させるの。そして三つ並べると意味不明なキラキラとしたものが降ってくるのよ。こんな物で人の洗脳が解除される不可解さ」
グチグチと言いだしたエリザベート。
魔石を中心にドーム状に張られた結界の内側は鱗粉のような金色の粉が降ってきている。
その中でシェリーは段々と目が据わってきており、陽子はエリザベートに同情するように頷いており、オリバーは『理解することは無駄であろう』と言葉を漏らしていた。
「あの、小さな物しかなかったのですか?」
目が据わったままのシェリーが尋ねる。
元の大きさはシュロスが、とあるものを再現しようとしたために、正八面体だったはずだ。
「これは小さいのかしら?私が探し出したものは全てこの大きさよ」
全て同じ大きさというのもおかしなものだ。それはどこぞの誰かの意思が介入しているのかもしれない。
「そうですか。それで調べてもわからないモノを再現しようとしたのですか?」
「しないわよ。こんなもの。そもそもできないわよ。こんな仕様を構築する意味がないし、理解もしたくないわ」
エリザベートはきっぱりと言いきった。
否定している割には、集めていたエリザベートの行動も理解し難いものである。
「ただ、この結界内に入れば、すさんだ心を浄化してくれるのよね。もし、全ての空島が現存していれば、今よりも世界は平穏だったのではないのかしら?まぁ、これは空島の軌道が陣を描いている説が合っていればの話なのだけど」
そう言いながらエリザベートは空を見上げた。自分が言った説が合っているのか確認したいのだろう。
しかし、人の目にはその陣というのは映ることはなく、ただただ青い空が広がっているのみ。
「え?」
そんな空を見たエリザベートが声を上げた。きっと空島が逆に移動していることに驚いているのだろう。
「空が輝いているわ」
エリザベートはおかしなことを口にしている。それはガーデンテーブルの上にある白い魔石の所為ではないのだろうか。未だに結界が張られ、鱗粉のような光が降り注いている。
「空が光に満ち満ちている。これはなに?今まで見ていた空はいったいなんだったの?」
シェリーが同じように空を見上げても、春の少し薄い青い色が頭上に広がっているだけだった。




