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「彼はエルフ族であり、変革者のアマツと変革者の炎王の近しい血族だ。白き神はうってつけの者を当てがおうとしたのだろう」
しかし、それもまた邪魔が入り、彼が聖女ビアンカの番として名を連ねることはなかった。
そう、賢者ユーリウスは討伐戦に参戦することはなかった。
「しかし、結果はナオフミによる暗殺。未だに賢者ユーリウスの死は実験の失敗による塔の倒壊となっている」
それは真実を知っている者たちが口を噤んでいるためにだ。
真実を知るものそれは勿論、勇者ナオフミをけしかけたシェリーに、同じく勇者に殺されたオリバー。
そして、ギラン共和国の裏の支配者であるダンジョンマスターだ。彼が知らないわけがない。
「くくくっ。見たまえ。悠長に構えていた者が焦って、逆転を始めている」
そう言ってオリバーは再び空へと目を移した。そこはいつもと変わらない空の風景が広がっているだけで、オリバーが笑うことの物はない。
ただ日が長くなり、屋敷の影で見えないものの太陽は春の日差しを地上に届けている。それだけで、何も変わり映えしない風景だ。だが何か違和感はある。それが何かはわからない。
しかし、オリバーに指摘される以前から空を見あげていたシェリーは大きくため息を吐いた。
「てっきり、レイアルティス王に頼んだ所為で空島が逆に動き出したのかと思っていかけど、レベリオンの所為ね」
そう何も変わらない風景に違和感をおぼえた理由。それは空に浮かぶ空島がいつもとは違う方向に動いているからだった。
シェリーはそれを気にして空を見上げていたようだ。
「さて、空島の動きを変えるのは簡単だという馬鹿もいるが、決められた動きを変更することは容易ではないだろう」
その馬鹿とはこの場には居ないシュロスのことだ。魔術を教えてもらっているはずなのだが、やはりシュロスの言葉を理解できないことから、このような表現になっているのだろう。
「その焦りはわからぬでもない。大魔女エリザベートは世界の異変に気づいていたのかもしれぬ。『心神の改変の呪』は全ての人に多大なる影響を与えている」
シェリーはこの約二ヶ月間ダンジョンに篭っていたためわからないが、オリバーはその変化を感じとっていたのだろうか。同じく引きこもりだったにも関わらず。
「どういうこと?」
シェリーとしては、黒への忌避感を払拭したかっただけにすぎない。しかし、それ以外への影響があるとオリバーは言っている。
「それね。一つは空島が見える人が多くなってきているんだよね」
それには陽子が答えた。確かにオリバーより人々の動向を把握できるのは、この王都メイルーンの半分程をダンジョン化している陽子の方が詳しいだろう。
「あとちょっとした諍いごとが減った。たぶん心を不安定にする要素が働いていたんじゃないのかって大魔導師様が言っている」
「心の不安定?」
「そもそもだ。シュロスが掛けていた術が問題だったのだ」
シュロスが世界に施した術。心を力に変える術のことだろうか。
「それに手を少し加えれば、世界中の人々に影響を与えてしまう術など、創る方が馬鹿なのだ」
いや、常に影響を与え続ける巨大な魔術の陣を築いたのを駄目だしされている。
「我々は未知なる存在に恐怖し、戦う者と戦わざる者とに別れた。だが、戦況が見えぬ中の戦いは不安を強い、逃げ去る者も少なからずいた」
オリバーは何かを語りだした。それは討伐戦のときのことだろうか。
「そこで人々の希望として現れたのがあのナオフミだ。何故か皆はアイツに熱狂した。俺から言わせれば、どこで逃げ出そうかと虎視眈々と狙っているようにしかみえなかったが」
恐らくオリバー自身としては番であったビアンカのこともあったがゆえ、面白くなかったのだろう。とても嫌そうに眉を顰めながら語っている。
「ナオフミは魔王を倒し、英雄となった。喜ばしいことだが、俺にとってはとても腹が立った。無性に腹が立った。だが、おかしなものだと思わないかね?ビアンカの番としてのナオフミではなく、勇者としてのアイツに腹が立ったのだ」
今まで、ナオフミとビアンカの相思相愛に嫉妬してオリバーはビアンカを連れ去ったのだと認知されていた。だが、実際は英雄として祀り上げられている勇者ナオフミに嫉妬したと言うではないか。
「君たちの行動を見て、やはりあの時の俺の感情はおかしなものだと思わされた」
そう言ってオリバーはカイルに視線を向ける。
カイルの行動は少し行き過ぎなところもあるが、全てシェリーに対して起こることに反応しているのだ。
「なぜ、あの時ビアンカは俺の番だと言わなかったのか。異界から来た貴様がおかしいのではないのか。そう言わなかったのは何故なのか」




