798
「コーヒーでいいかな?」
シェリーと陽子が話しているところにカイルが珈琲を持ってやってきた。それも黒い色の珈琲なので、炎王から調達したものだろう。
この世界の珈琲はアマツが広めたローズヒップティーの色をしているのだから。
「ありがとう。竜の兄ちゃん」
陽子はカイルに礼を言って、珈琲に口をつける。
「それでさぁ、エルフの兄ちゃんはまだ素直だからいいのだよ。問題は猫と犬と鬼。今まではニャーニャーワンワンとウザかっただけなのに、鬼の兄ちゃんが猫並に強いやつと戦わせろ感が酷くなっているのだけど?」
陽子は一週間の鬱憤を吐き出すように、一気に話しだした。それを聞きながらいつものことだとスルーするシェリー。カイルはため息を吐きながらシェリーの隣に腰をおろしている。
「ウザいのはいつも通りですが?」
「違うんだよ。なんかこう!やる気が出ている分いいのだけど、斜めに突っ走っている感が酷いの!」
やる気が出ているのはきっとラースの言葉が原因なのだろう。陽子のダンジョンを攻略すると獣化できるようになるという言葉だ。
「斜めですか?」
「そう!そういう攻略の仕方じゃない!っという感じが酷い。陽子さん対策を打ったのに、それを更に力任せで突破していくんだよ。なんでダンジョンを破壊するの!イラッてくる!」
陽子はダンジョンを破壊されることを、何かと嫌っている。いや、クロードと赤猿のフラゴルに縦穴を開けられたトラウマの所為だろう。
「それで今はどうしているのですか?」
「え?お仕置きとして、シュロス君に創ってもらった頞部陀地獄に落ちてもらっているよ」
「仲良くしているようで、良かったです」
陽子は意外とシュロスと上手くやっていっているようだ。しかし、頞部陀地獄とはこれは如何に?
「アブダジゴクとはなんだ?」
「ふむ。それは気になる言葉だな」
カイルの疑問の言葉に同意する声が重なった。
「ひっ!大魔導師様。おはようございます」
太陽が西に傾き始め、日陰になっている裏庭では冬の残り香のような冷たい風が吹いている。
そんな中で朝の挨拶をするのはおかしいものだが、シェリーの背後に立っているものからすれば、起きたところなのだろう。
「オリバー。珈琲を淹れてこようか?」
「ふむ。頼もう」
相変わらず目の下のクマが酷いオリバーに対して、シェリーは珈琲を淹れてくると言って屋敷の方に消えて行った。
「それで、あのアーク族の王に何を創らせたのかね?」
何処からともなく自前の椅子を用意して座るオリバー。そのオリバーを前にして汗顔の様相で、椅子を徐々に遠ざけていく陽子。
「ヨーコ。説明を」
「はい!大魔導師様!頞部陀地獄とはすっごく寒いところです!」
凄く簡潔に陽子は答えた。なぜなら、この世界に地獄という概念がないからだ。いや、シュロスがそのような場所を望まなかったと言える。
「ただ、犬には効果がないようで、元気に雪原の中を走り回っています!」
どうやらグレイは凍え死にそうな場所でも元気に走り回っているようだ。
「そもそもだが、無意味なことをしていないかね?」
どうやら、あまりオリバーの気を引くことは無かったようだ。陽子の言葉をスルーして、オリバーは根本的なことを言いだした。
そのオリバーの態度に陽子はホッと胸を撫で下ろす。これが八寒地獄の方ではなく、八熱地獄の方だとオリバーの興味を引いたのかもしれない。
いや、陽子はワザとオリバーの琴線に触れない言い方をしたのだ。
「え?でも……ササっちが頑張っているのに、あの馬鹿たちの行動は陽子さんとしては許せない……です!」
「ダンジョンは己への試練の場だ。その志を持たないものに、何の意味がある?ヨーコ。君の在り方として、俺は疑問を持つ」
オリバーの言葉に陽子はうなだれる。
そもそもダンジョンに潜ろうという者は大抵が自分の力を試してみたいだとか、何処まで行けるか挑戦してみたいだとか、ダンジョンが保有する資源を得たいだとかだ。
誰もが挑戦者なのだ。そしてダンジョンはそれを受け入れる側だ。
しかし、今の陽子がやっていることは、無理やり招き入れて、攻略してみろと押しつけている。
それはダンジョンの在り方としてはおかしいのではないのか。そう、オリバーは指摘したのだった。
「う〜……。大魔導師様は彼らのことには口を出すなってこと?」
陽子としては不満のようだ。そして、ポツリと言葉をもらす。
「頑張っているササっちが死ぬ未来を陽子さんは変えたい。でも陽子さんは、ここから出られない。陽子さんが力を奮えるのは、ダンジョンの中だけだから」
陽子は悔しそうに言う。陽子が存在できるのは、ダンジョンの中だけ。シェリーが、佐々木が陽子のダンジョンを訪れるまで、陽子は孤独だった。
だから、シェリーのためにできることをしてあげたい。そう陽子は望んだのだ。
「だから、陽子さんは彼らを強くしたいの」




