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何かある。リベラは再度シェリーに尋ねた。しかし、シェリーはいつも通りの無表情で答える。
「何もありません。ただ明後日、弟が出場する北地区の闘技場の下見に行こうと思っただけです」
「今日のこの日に?何か急ぐように?」
シェリーの言葉にリベラはこの人がごった返している祭りの初日にわざわざ闘技場に行くのかと尋ねた。王都に住む者であれば、行く機会は何度も合っただろうと。
「そうですね」
シェリーはリベラの訝る態度にも動じず、肯定の言葉を言った。今日この日に下見に行くのだと。
それを聞いたリベラは大きくため息を吐きだす。
「年末のことだ。クストのヤツが本部に殴り込んできてな。ヒューレクレトの言葉を無視するとはどういうことだと言ってきたんだ。私も統括師団長も国中のゴミ処理をしていたから何のことかさっぱりわからなかったのだ」
どうやら、クストはシェリーと第二層門で会ったあと、騎士団本部に向かって行ったようだ。
「ヒューレクレトの言葉を無視するということはこの王都の守護者の一族の言葉を無視するということと同意義だぞと。すごい剣幕で怒鳴っていてな。統括師団長も私も王都に居なかった数日の報告は問題なかったとしか聞いていなかったものだから、留守を任せていた統括副師団長を問い詰めたのだ」
統括副師団長という者のその時の状況を想像すると、それは恐ろしい状況だっただろう。
脳筋ウサギ共の族長であるウラガーノ・グアトール統括師団長と英雄の一人に上げられ、シェリー曰くキングコングの妹であるリベラ・フラゴル大佐。それも実質軍部のトップの赤猿族だ。
そして、英雄である青狼族のクスト・ナヴァルという三人の強者に囲まれての尋問だ。
それは恐怖に支配された空間であったことは簡単に想像できる。
「人から次元の悪魔の匂いがする。普通であれば、信じるに値しない言葉だが、ヒューレクレト・スラーヴァルから出た言葉だと優先度が変わってくる。これは最優先で動かなければならない。シェリー、君は普通では信じがたいヒューレクレトの言葉を信じて助言をしてくれた。それにはとても感謝している。事が後手後手になることを防ぐ準備ができたのだから」
そう言ってリベラは頭を下げた。実質軍部のトップであるリベラがだ。
ただ、ここで一つ疑問がシェリーの中で首をもたげた。オリバーは次元の悪魔の正体を知っていた。そして、現役を退いたクロードも何かしら情報をつかんではいた。だが、彼らは知らなかった。同じ討伐戦を生き抜いた者たちであるにも関わらず。
しかし、シェリーがリベラにその事を問うことはしない。オリバーは世間一般的には死んだことになっているので、オリバーから聞いたとは絶対に言えないからだ。そして、事実死人であるクロードは論外である。クロードは何かを知っていてもその情報を持ったままこの世を去ったので、誰かに伝わることはなかったのだろう。
そして、魔導士オリバーは知っているが、彼らは知らなかった。これは人族と獣人の差なのかもしれない。人は、何故次元から現れるのか。どのような存在なのかと疑問に思うが、獣人の彼らはその場に存在する者が敵であるのであれば敵であり、そこに理由など求めない。
そうやってグチグチと考える獣人はクロードだけだったのだろう。一国を護るために騎士と軍に分け、師団を10師団と1師団に分け、情報収集する部隊まで作って国の護りを固めたのだ。何があっても対処できるようにと。
「だから、シェリー。君の護衛に私が付くとしよう。必要ないかもしれないが、軍での権力はそれなりにある。多少のことは融通が効くぞ」
頭を上げたリベラは堂々と自分の権力をシェリーに使って貰えばいいと口にした。普通であれば、一般人と言っていい個人に軍部のトップの権力を使っていいなどとは、口が裂けても言えない。
ここでシェリーは考える。普通であれば必要ないと断わるのが、シェリーとしてはいつもの対応だ。ただ。今回はルークの身に何かが起こるという神託を受けた。そして、その場所が一般部門の武闘大会の予選が行われる会場である闘技場だ。
何が起こるかは女神ナディアの言葉では空から何かが落ちてくるとしか、わからなかった。もし、人が密に集まっている場所で何かが起これば、人々はパニックを起こし、人同士で身動きができなくなり、人族でしかないルークでは押しつぶされてしまう可能性がある。
そこでシェリーが何かに対処するよりも、英雄であり、フラゴル兄妹と名高いリベラがその何かに対処した方が、人々のパニックを抑えられるのではないのか。
ならば、女性としては大柄で圧迫感のあるリベラと共に行動を取った方がルークの為になると瞬時に弾き出したシェリーはリベラを見て言葉にした。
「扱き使っていいのですよね。リベラ大佐」
「大いに私を使ってくれ。シェリー」
ある意味最強の女性同士の手が交わされた。
もしこの場にリベラの実力もシェリーの異常さも知っているクストがいれば、『ヤメロ』と止めに入ったかもしれないが、この場にいるのは女性同士のやり取りを微笑ましげに見ているシェリーのツガイたちだけだったので、誰もこのことに文句を言う人物は居なかったのだった。
 




