580
「酷いよねー」
シェリーはふと覚醒した。いや、夢の中で覚醒したのだ。
「世界が敵だなんて」
シトシトと降る雨の音が、小さく狭い茶室の中に響き渡っている。シェリーは佐々木の姿で黒いスーツを着て、畳の上に正座して座っていた。
その正面には真っ白な人物がいる。髪も皮膚も纏う着物のような衣服も白く。シェリーに向ける視線も目の中に白の絵の具でも流し込んだようだ。
いや、人ではない。
「何のようですか?」
シェリーは突然のことにも動揺することもなく、目の前のモノに尋ねる。
「用は無いけどねー」
「無いのなら元に戻してください……あ、一発殴らせてください」
シェリーは右手をググッと握り込む。それに対し白き神はどこからともなく、茶碗を出してきて、シェリーに差し出してきた。
「まぁ、落ちつてよ。お抹茶でもどうかな?」
黒い茶碗にあの世界では目にすることがない濃ゆい緑色の液体。見るものによれば、怪しい薬とも言えなくない色だ。
「お茶を点てることもないよね」
お茶を点てる。そのようなことをする心の余裕など、佐々木には……シェリーにはなかった。
シェリーは黒い茶碗を受け取り、作法もなにも無く、一気に飲む。
ほろ苦い苦味が舌の上に滑り落ち、爽やかな香りが鼻から抜ける。これが本当に夢なのかと疑問に思ってしまうほど、生々しい感覚だった。
「大変、美味しゅうございました」
そう言って、シェリーは黒い茶碗を畳の上に置く。
「確かにね。言ったけれどね。そこまで深く考え無くていいんだよ?」
白き神は畳の上でお行儀悪く、片膝を立ててその上に顎を置いて、シェリーの方を見ていた。
「ただ、この世界の闇の不可解な要素は、僕の支配外のモノだからね。この僕でも視えないことはある。だから、君の好きなように動いていいんだよ?」
シトシトと雨の降る音と白き神の声が波紋の様に狭い茶室に広がる。
「はぁ、スキルの使い勝手が悪いのですが?」
好きなようにしていいと言われたシェリーはここ最近、チートスキルにも関わらず、思ったように機能しないスキル創造について文句を言った。好きにしてもいいと言っても、使えないスキルでは、それもままならないと。
「それ今朝のシュピンネ族が検索スキルに引っかからなかったことを言っている?」
他にも色々あるが、シェリーがここ最近憤りを感じたことと言えばシュピンネ族のことだろう。マップスキルに何も感知されることがなかったシュピンネ族。
「そのスキルって何の為に作ったのかな?」
マップスキルは何の為に作ったか。それはルークの剣の師であるライターの居場所を突き止める為だ。
「そう、個人を特定するためのスキル。でも、シュピンネ族は個を無くすことができるんだよね」
「は?」
思わずシェリーは耳を疑った。個人を無くすとはどういうことなのだろうか。
「個というモノを無くすことで、得られるモノがあるということだね。ということは、個人を特定するためのスキルは反映することはないことだね」
シェリーが作り出したスキルは個人を特定するものであり、個が個として存在することを示すスキルなのだ。個を無くすことができるシュピンネ族はスキルに感知されることはないということだ。
「そうですか、ではカイルさんの行動を誘導したのは何故ですか」
シェリーは根底から構築する必要性があることが理解できたところで、今度はカイルの行動について問いかけた。番同士が同じ時を生きる為の儀式をシェリーに意識させないように誘導させ、成し遂げたことだ。
「それは勿論、番は共に同じ時を生きるってことが大事だからだね」
白き神が言い終わるかどうかという時にシェリーは黒い茶碗を白き神に向かって投げつけた。
「いらないことをしてくれましたね」
しかし、黒い茶碗は白き神に簡単に受け止められ、手の内に消え去った。
「そうかな?絆という物はとても大事だと思うよ」
白き神はシェリーの態度を気にとめる事無く、ニコリと笑みを浮かべた。神に対してここまで悪態をつく者は存在しなかっただろうに、シェリーの態度は白き神の機嫌を損ねることではなく、逆に喜ばしい言わんばかりの笑みだった。
そして、白き神は立ち上がって、シェリーの側まで来て、見下ろしてきた。
「まだ祝福を使っていないんだね」
祝福。白き神がシェリーに与えた祝福。シェリーのスキルに介入した次いでと言わんばかりに施された祝福は、シェリーにとってどのようなものであるかは、明らかにされていない。
そして、祝福を使っていないということは、常時発動型ではなく、祝福を使用する条件があるようにも捉えられる。
「使いませんよ。私には必要ありませんから」
「そう?でもそれはきっと君の役に立つものだからね」
白き神が身を屈めシェリーを見つめる目は相変わらず絵の具を流し込んだようであった。そして、全てを慈しむような慈愛の笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「誰がなんと言おうとも君は私の聖女であり、ただ唯一の聖女だ。君の手は拳を握るものではなく、全ての者を癒やすものだ。だから、苦しまなくていいのだよ」
その言葉にシェリーは目を見開いた。見開いた目が写した者は白きモノではなく、不安の色を宿した金色の瞳だった。
補足
シュピンネ族の個を無くす設定は別の話で出てきますので、しれっと流します。シュピンネ族とは出てきませんが……(。ŏ﹏ŏ)




