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「またせた」
と言ってツヴェークは恐らく誰かに淹れてもらったのだろう紅茶が入ったティーカップをシェリーたちに差し出したが、なぜ三人がそのまま立ったままなのだろうと、疑問に思ったもののそれを口にすることなく、先程座っていた席について、紅茶を一口飲んだ。
「続きを聞かせてもらえるか?」
ツヴェークはシェリーに続きを話をするように促した。
「本当であれば、とある人物の周辺を探って欲しかったのですが、今の帝国はかなり危険だと判断しました」
「どういうことだ?」
ツヴェークの疑問にどう説明すべきか、一瞬シェリーは戸惑った。先程の感じであれば、師団同士の横の繋がりはないのかもしれない。
第5師団と第6師団は最近まで第6師団として統合されていたため、師団長同士のクストとヒューレクレトが直接話し合って、情報の共有を行っているようだが、他の師団はそのようなことはあり得ないのだろう。
となると、上層部からどの程度情報が降りてきているかによる。
だから、シェリーは説明をする前にどこまでの情報を得ているのか確認した。
「説明を続ける前に他の師団が得た情報はどこまで共有されているのでしょうか?」
「どこまでとは?」
ツヴェークは眉間にシワを寄せながら、その範囲を尋ねる。共有される情報とは軍議に挙げられた情報であるため、多いと言えば多いが、細かい部分は共有されることはない。
「先程の感じでは私が聖女として立つという情報を知らなかったようですので。確かにあれはイーリスクロム国王陛下から言われたことですので、軍は関係ないと言えば関係ありません。しかし、騎士団広報は知ることです。この分だと恐らく第7師団の真相もご存知ないのかと思いまして。となれば、どのように説明することが一番かと思案しています」
「第7師団というのは、集団行方不明の事件か。あれは魔道具の暴走と報告を受けた。だから、ナヴァル公爵夫人にその原因を調べてもらっていると」
ツヴェークは軍議で報告された事件の顛末をシェリーに告げた。その言葉にシェリーの目がピクリと反応する。軍で報告されたことと、シェリーが調べた真実とはかなりかけ離れていた。これはどういうことなのだろうか。
「クソ狐をもう一度シメた方がいいですね」
シェリーはわざわざイーリスクロムの元に赴いて帝国が新たな制御石の実験を行っていたと報告したにも関わらず、なぜ軍には魔道具の暴走と有り得ないことを報告したのだろうか。これは同じ過ちを繰り返しても仕方がないと。
「それはもしかして、国王陛下の事を言ってはいないよな」
「勿論、イーリスクロム国王陛下のことです。私は直接、第7師団の事件の真相を報告しましたが、こう歪めて軍議に報告されると憤りしか感じません」
シェリーは無表情で淡々と話してはいるが、内心イライラとしていた。
「因みにその真相とは?」
「マルス帝国が辺境の地で新たな制御石で人々の意志を抑え込み、肉体を操ろうとした実験です。しかし、帝国的にはその実験は思っていた結果を得られてはいなかったようですが」
シェリーから説明された事件の真相にツヴェークは腕を組んで考える。確かに報告された情報とシェリーからもたらされた情報は違っていた。
「それは第4師団が受け持つ案件だからだろう。この国に奴隷が全く存在しないかといえば、そうではない。その奴隷が自分の意志に反して動くものという情報はある意味疑心暗鬼を生み出す。ならば、その情報は第4師団のみが持っていればいいという上層部の判断だろう」
突拍子もないシェリーの話もツヴェークは時間をかけることにより、冷静に処理することができたのだろう。伊達に第3師団長を名乗っているわけではないということだ。
「その意見も一理ありますが、同じ様な状況が起こり得る可能性がある段階では、正しい情報の共有は大切だと思います」
「一つ言っておこう。シェリー・カークス」
軍のやり方に不満感を表すシェリーにツヴェークが真面目な顔をして言葉を紡ぐ。
「内部の事を口にすることは、憚れるのだろうが、軍と言っても一枚岩ではない。それに最近国王陛下が何かと口出しをしてくることに対して、よく思わない者たちもいる。これは恐らくフォルスミス・フラゴル閣下が軍を去ったことが起因していると言われているが、人族である私では獣人共の考えはよくわからないのが本音だ」
軍に所属しながらも、獣人と人族の間には深い溝があるようだ。あのニールが悪態をつくほどに。
しかし、イーリスクロムが軍に口出すことも、赤猿フラゴルのこともシェリーが関わっていることだった。
「なぜ、トーセイのギルドマスターが軍を去ったことが問題に?破壊することだけなら、確かに重宝するでしょうが、人々をまとめ上げられるかと言えば、別でしょう」
「さぁ、私にはわからないが、獣化できるという者は神聖視されるようだ。フォルスミス・フラゴル閣下が統括師団長を支えることで、軍はまとまっていた……らしい。私は軍に所属したばかりの頃だったので、話しか聞いたことがない」
ツヴェークの話を聞いたシェリーはわかってしまった。これは統括師団長を誰かと重ねていたのではないのだろうかと。赤猿フラゴルが支える黒狼クロードという二人の獣化できる存在が軍の頂点であった時代の残像を見ていたのだと。
そして、瓦解した残像の軍部に若造である国王が口出しをしてくることに反感をおぼえる者がいるのだろう。栄光の時代を知らない者が口出しをするなと。




