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「あんなところで、なんで平然と酒が飲めるんだ?」
黒狼クロードに対して理解できないという言葉を言いながら、オルクスは顔を上げた。その目に写った光景にオルクスは殺意が芽生えた。
「ズルい」
そして、ゆるりと立ち上がる。その視線が向けられている場所は一点のみ。
「グレイ!てめぇ!許さねぇーぞ!」
オルクスはグレイに対して殺意を向けているのだ。そのグレイはというと、この現状に思考が停止し固まってしまっていた。
何がオルクスの目に写っているかと言えば、シェリーの側で大きな赤い毛並みの狼がおすわりをした姿があり、その赤い毛並みの狼の頭をシェリーが撫ぜているという姿だ。
しかし、正確に言えばカイルの膝の上に座っているシェリーがカイルに手首を持たれ、獣化したグレイの頭を強制的に撫ぜさせられているという状況だ。それもシェリーの目は死んだ魚の目をしている。
ここでオルクスにとって大事なのは、シェリーに獣化したグレイが撫ぜられているということだけだ。シェリーが死んだ魚の目をしていようが、カイルに強制させられている行動だろうが関係ない。
「と、いうことだ」
カイルがオルクスの獣王神の加護を得たいという理由を私利私欲によるものだったと言い当てたのだ。
別にオルクスは本心を口にしたわけではない。これにカイルが気がついたのは、女神ナディアにグレイが可愛いと言われて撫ぜられている姿をキラキラした目で見ていたからだ。
それだけなら、カイルは怒ることもなかった。
グレイを羨ましいという言葉は事実だろう。ラースの一族は他の者たちと比べ、神という存在を近くに感じる一族ということは誰もが知る常識だ。
だが、シェリーの獣王神フォルテは大切な何かの為に力が欲しいと願ったものに対して加護を贈るという言葉に対して、何も考えていないように軽い感じでシェリーを守ると言った言葉。そして、スーウェンがシェリーに頼まれた事に対して褒美をねだったことに対して、己も撫でて欲しいと欲を口に出したことが、カイルの琴線に触れたのだ。
今の現状はオルクスが望んでいる光景をグレイで再現したに過ぎない。ただ、頭を撫ぜられているだけなのだが、グレイは思ってもいないことをされて固まってしまっていることに対して、オルクスは本気で殺意をむき出してしていた。
「そういうことか」
そう言ってリオンは立ち上がった。
「シェリー。夕食はこのままにしておいてほしい。バカ猫にお仕置きをするほうが先だ」
リオンはシェリーに向かって微笑んでいるものの金色の目は笑ってはおらず、黒かった髪は真っ白に変わっていた。
「ここまでバカだとは思いませんでしたよ」
スーウェンもリオンに続いて立ち上がった。そして、身の丈ほどの杖を取り出している。
「ここで暴れるとオリバーから制裁を受けますよ」
シェリーはこの前と同じ事を繰り返すのかと立ち上がった二人に呆れた視線を向けた。
「裏庭に結界を張ればいいですよね」
スーウェンはそう言いながら、鎖のようなモノを魔術で作り出し、オルクスに巻きつける。
「スーウェン!何をしやがる!」
相変わらず、魔術に対して抵抗力をもっていないオルクスは簡単に捕まってしまっていた。
「まだ、力を上手く使いこなせていないから、肩慣らしをするだけだ」
そんなオルクスを白髪になったリオンが引きずりながら、ダイニングから出ていく。
廊下の方からオルクスの叫び声が聞こえるが、今日の本当の災難はグレイではなくオルクスになりそうだ。いや、身から出た錆ということだから、自業自得か。
「先程から何をもめているんだ?」
リビングに繋がる扉からクロードが出てきた。それも言葉では気を使っているようだが、クロードには珍しく声ははずんでおり、機嫌が良さそうだ。
「お帰りになったのですか?」
シェリーはクロードが出てきたので、獣王神フォルテは満足して帰ったのかと尋ねた。
「おう。ほとんど、フォルテの愚痴だったけどな」
そう言いながらも、獣化というにはお粗末な姿をしているグレイに視線を向ける。
「なんていうかなぁ。今の奴らは野心というか向上心というか、我武者羅に強くなってやるっていう奴がいないと嘆いていなぁ。フォルテが言うにヌルいんだと」
恐らく中途半端な姿になっているグレイに助言をしているのだろう。
「まぁ、俺が持っていたのは世界に対する反骨心だけどな。こんな理不尽な世界をぶっ壊してやるってな」
機嫌がよくニカリと笑うクロードは世界を、一族を恨んでいたようには思えない姿だ。
「ああ、フォルテが本気で力を望むのなら先にピュシスの加護を得ろと伝えておけと言われたが、あの神は意地悪だからなぁ」
機嫌よく獣王神フォルテの言葉を伝え終わったからか、クロードの姿はこの世界からかき消えた。世界から強制的に解除されたのだ。過去の記憶など不要と言わんばかりに。




