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「む。せめて一口」
獣王神はお預けをくらって、お酒が入ったグラスから目を離すことはない。
「お酒が入るとタチが悪くなると、お聞きしていますので、元に戻すのが先です」
シェリーはお酒が入るとグレイのことなど忘れ去って、飲み明かすことになるだろうと、獣王神に理由を言った。
「ほら、フォルテ。私の愛し子に加護を与えるのよ」
女神ナディアは優雅に赤ワインを傾けながら獣王神に催促をする。グレイに加護をあたえるようにと。
その言葉を聞いたシェリーはハッとして女神ナディアの方に視線を向けた。女神ナディアの言葉に不可解なところがあったからだ。
「ナディア様それはどういうことですか?」
「あら?どうしたのかしら?」
シェリーの曖昧な質問に女神ナディアはシェリーに微笑みを向ける。自分の言葉には何も問題がないという自信を持っている女神ナディア。
「グレイさんは獣王神の加護を得て、このようになっているのでは、ないのですか?」
「そうねぇ。フォルテってあまり加護を与えないのよ。ならば、愛し子の為に動いてあげるのも私の役目なのよ」
そう、女神ナディアの基準は愛した人間であるラースが全て、その女神と女神に愛された男の血を受け継ぐ子孫たち全てに慈しみを与えること。
グレイもその中から外れることはなく、愛し子という立場であるがゆえに、女神直々に動いたのだ。
「ほらね」
女神はそう言ってその場から消え去り、次に空間からふわりと浮かんで出てきたのは、この状況に目を白黒させているグレイの隣だ。
「こんなに可愛いもの」
女神ナディアはグレイを可愛いと言いながら、頭をナデナデしだした。更に悪化した状況にグレイは放心状態と言っていい。
「む。カワイイというだけで、加護は与えんぞ」
加護を与える基準は神個人それぞれ持っている。その基準を覆すことはない。
「そんなことを言っていいのかしら?」
簡単には加護を与えないという獣王神に対して、この状況で断れるのかと女神ナディアは勝ち誇った顔をする。
「エン君のお酒飲めないわよ?」
炎王経由でシェリーの手に渡った異界の酒が飲みたければ、グレイに加護を与えるしかないと女神ナディアは獣王神に向かって言った。
そのようなことを言われてしまえば、獣王神は究極な選択肢を迫られることになる。
己の矜持を捻じ曲げてグレイに加護を与える代わりの対価として、異界の酒をもらうか。
己の矜持をとって異界の酒を諦めるか。
「むむぅ」
真剣に考え唸り声を上げる獣王神フォルテ。いや、はっきり言えば天秤にかける事柄がおかしいことに気がつくべきなのだが、目の前に知らない酒をだされた獣王神の脳内には、酒が飲みたいで埋め尽くされているのだった。
「生き返った気分だ」
元の姿に戻ることができたグレイは場所をダイニングに移動し、広いダイニングテーブルの椅子に腰掛け天井を仰いでいた。
結局のところ……いや、わかりきっていたことだが、グレイは女神ナディアの思惑のとおり獣王神から加護をもらうことに成功したのだ。
そのグレイの横には頬をダイニングテーブルの天板につけて、喜んでいるグレイを羨ましげな視線で見ているオルクスがいる。
「ずるい」
オルクスが一言もらした。グレイは女神ナディアという後押しがあり、獣王神から加護を得て、獣化というものを自由にできるようになったのだ。
それはズルいという言葉が出てくるだろう。
「だったらオルクス。まだ隣のリビングにいらっしゃるから、声を直接かけてもらえばいい」
グレイは隣のリビングでお酒を飲んで盛り上がっている獣王神に頼めばいいと言ってきた。
「俺が一人であの中に入っていけと?」
オルクスは神がいる空間に長時間たえられるものかという嫌味が入っていた。そう、獣王神は今まで神としての力を押さえていたが。酒が入ってしまえば、些細なことは忘れされ。今は普通には入れない空間になってしまったのだ。
神気が普通に溢れているといっていい。
「若しくはシェリーに頼んでみるか」
確かにシェリーであれば、神の神気などモドともせずに交渉できるかもしれない。
「無理ですよ」
オルクスの細い希望の糸はそのシェリーに寄ってバッサリと切られてしまった。そして、ダイニングテーブルの上に先程作った料理を並べながら理由を言った。
「お酒が入った獣王神は聞く耳をもちませんから言うだけ無駄です」
そう言えばシェリーは獣王神と交渉する際に目の前に酒の入ったグラスを持ってきたものの、決して飲まそうとはしていなかった。
「それに獣王神の加護を与える基準は一つです。大切な何かの為に力が欲しいと願ったものに対して加護を贈ると昔、酔っ払いが偉そうに言っていました」
大切な何かの為の力。それは誰しも願うことだった。
 




