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「え?明日から3日間、帰ってこないの?」
シェリーはこの世の終わりかという衝撃を受けたかのように、エプロン姿でお玉を持ったまま固まってしまった。
「そうなんだ。ライターさんに姉さんの言っていたダンジョンの話をしたら、そこなら近場で丁度良いと言われて、皆で行くことになったんだ」
夕方にライターのところから戻ってきたルークは嬉しそうにシェリーに報告をしている。どうやらルークは昨日シェリーから聞いた『愚者の常闇』ダンジョンの話をライターにしたようだ。その話にライターは近場で丁度良いと言っていることから、日帰りでは難しいが、初心者が行くダンジョンとしては丁度良いという意味なのだろう。面倒を見ている2人と共にダンジョンに潜ってみようという話が今日決まり、3日の予定でライターが引率者として付き添うかんじなのだろう。
ただ、シェリーからすれば寝耳に水だ。
元々休みの間はずっとルークが家にいるものだと思いこんでいたのだ。そこにニールの横やりがはいったが、年が明けるまで一緒に過ごすと思っているシェリーの頭の中にはどうやって付いていこうかしか考えがない。だが、付いていくとあのユウマと顔を合わせることになり、色々面倒くさいことになるのが、目に見えている。
「だから、姉さん。僕たち3人とライターさんとで行くからね」
しかし、ルークはシェリーに釘を刺す。姉が過保護なのは昔からだ。ライターからの最終試験にも付いてこようとしたほどなので、ルークは予め前のように付いてこないで欲しいと、遠回しに言ったのだ。
ルークの言葉にシェリーは心ここにあらずという感じで頷く。
その後の夕食もルークはさっさと食事を終え、明日の準備があるからと言う理由からさっさと自室に戻ってしまったのだ。
シェリーは食器を洗いながら思わずぽそりと呟く。
「最近、ルーちゃんが冷たい」
シェリーはそう言うが、弟弟子という存在ができ、その者たちと共にライターの元で剣の修行をするというのは、今までのルークの生活の中で無かったことだ。共に剣を習う者たちと行動を共にすることが楽しいのだろう。その者たちとダンジョンに行くという事は、家族旅行という名で行った『王の嘆き』ダンジョンとは全く違い、同じレベルの者たちとダンジョンを攻略するということだ。
ルークにとって苦い経験になった初ダンジョンとはきっと違うだろうという期待感がルークから溢れていたのだ。
「ルークに友達が出来たということだろう?」
シェリーの横で食器を拭いているカイルが、シェリーを慰める。ルークは冷たくなったわけではなく、友達といて楽しんでいるのだと。
「シェリー。明日、西の泉にピクニックにでも行く?」
唐突にカイルはピクニックに行こうと言ったが、気晴らしにピクニックを提案したのだろうか。しかし、既に雪がちらついてもおかしくない季節だ。その寒さの中、ピクニックと些かおかしな気もする。
シェリーもカイルの言葉を不快に思ったのか、ピクニックに行こうと言ったカイルを眉をひそめて横目で見ている。
「それ、西の森のダンジョンですよね」
違っていた。シェリーはダンジョンにピクニックに行こうとおかしな事を言ったカイルに向けて不可解な視線を送っていたのだ。
「そうだね。先日冒険者ギルドに行った時に、ニールからダンジョンの泉の様子がおかしいから調査して欲しいと依頼されてしまったんだよ。だから、ピクニックに行かない?」
どうもカイルは2日前にナヴァル邸からの帰りに冒険者ギルドの併設の食堂で食事を取った際に、ニールから依頼を受けていたようだ。シェリーがNoの一点張りだったので、ニールはカイルに依頼を受けるように言ったらしい。
「それは、カイルさんが受けたので、カイルさんが行ってきてください」
シェリーは外に出る気はないと言葉にする。だが、カイルもシェリーが屋敷の外に出ることはないとわかった上で誘っているのだ。それぐらいでは諦めたりしない。
「ニールが言うには、どうも泉の水が黒く濁っているようなんだよ。それだけじゃなくて、ダンジョンの中の魔物が黒く変色しているらしい。これって、どこかで見たことあるよね」
見たことある。確かにあるが、その現象は別々のところで起きていた。黒い魔物はラース公国で見かける魔物だ。そして、黒い泉。それは村人が殆ど死に絶えた村の側にあった滝壺の事だ。
カイルからその事を聞いたシェリーは洗い終わった食器を置き、カイルを正面から見る。
「それなら、そうと言ってください。ピクニックでは行きませんが、仕事なら行きます」
仕事。それは聖女としての仕事という意味だ。黒い泉に黒い魔物。それはこの世界の闇が目に見えるようになった姿であった。
 




