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『残念ねぇ。可愛い私の愛し子。貴方が望めば、私はいつでも祝福を与えてあげるわよ』
突然のことで思わずカイルの影に隠れてしまったグレイに女神ナディアは話しかけた。
その向かい側ではシェリーがグレイにいらないことを話すなと言うように、鋭い視線を向けている。
『ふふふっ。まぁ、その内このような戯れ言を言っている暇は無くなるわよ。だから、早めにラースに会いに来なさい』
女神ナディアはここ最近の言っている『ラースに会いに来い』という言葉を残して、消えていった。
いったい何のために、この場に顕れて来たのだろう。いや、忘れないように再度シェリーに催促をしに来たのだろう。
戯れ言。この言葉は平穏が続くのは残りわずかだと聞こえてしまう。神々の目には何が見えているのだろうか。きっと今の世界の姿が見えているのだろう。
憤りを見せた魔神しかり、己の祝福の否定を手渡した死の神モルテしかり、何度もラースに会いに来るように言っている女神ナディアしかり。世界は刻々として動いているのだろう。
「ふぅー」
どこからともなくため息が聞こえてきた。女神ナディアが気を使っているとは言え、神という存在の大きさは地上に住まう者にとっては強大なものだ。
「なぁ、前から思っていたけど、ナディア様ってあんなに気軽に姿を見せてくれる御方だった?」
グレイは女神ナディアに願ったものの、女神ナディア自身がこの場に顕れるとは露程にも思っていなかった。ただ、どうしようもないことを女神ナディアに願ってしまっただけだ。
グレイに問われたシェリーはグレイに、なぜ女神ナディアに呼びけけたのだという視線を向けながら答える。
「いつもあのような感じですが?」
いつも····シェリーの常識は、普通の常識とは完璧にズレていた。
「それで、話をしてもいいでしょうか?」
突然シェリーは話をしても良いかと言葉にする。先程までギシギシとしていた雰囲気が今では無くなっていたために、シェリーは言葉を切り出したのだろう。
女神ナディアが突如として顕れたために、神という存在に慣れていない者たちが呆気にとられてしまったからか。いや、神として位の高いナディアがこの場に降臨していたために、神気が部屋中に満ちたために、彼らのわだかまりが、浄化されたのだ。
普通であれば、そこまで影響のない神気。だが、弱き者であるのなら、その身を蝕み、心に悪をまとっているのであれば、その悪を浄化する。
神というものは、やはり地上に生きる者たちとは違う存在だ。
「今回、ユーフィアさんのところに行ってわかったことがあります。なので、スーウェンさんに一つ頼み事があるのですが」
シェリーはリオンの隣に座っているスーウェンに視線を向ける。番であるシェリーからの頼みごとであるなら、断ることなどするはずもなく、スーウェンは何を頼まれるのかと、シェリーの言葉に耳を傾ける。
「何をすればよろしいのでしょうか?」
「どれだけのエルフ族が帝国の奴隷になってしまったかです」
「奴隷ですか?」
己自身もその奴隷に身を落としていたスーウェンが首を傾げなから聞き返した。なぜ、そのような事が必要なのだろうかという意味だろう。
「3週間程前に保護したエルフ族の女性が帝国によって魔力の媒体にされていることがわかりまして、帝国は転移門なるものを創り上げ、その門の維持に奴隷のエルフ族の魔力を使っていたのです」
「転移門というのはこの大陸中にある転移門のことでしょうか?」
スーウェンの言葉にシェリーは肯定も否定もしない。なぜなら、シェリー自身その転移門という物を使ったことがないのだから。
「さぁ、それはどうでしょう?詳しくはわかりませんが、空間と空間を繋いで、次元の悪魔を3体、送り込んできました」
シェリーの言葉にこの事を知らなかった、オルクスとスーウェンとリオンの気配が変わる。つい先日、リオンが一人で倒したと聞き、スーウェンが2体倒したものの魔力を使い切るという不出来な結果に終わり、オルクスとしては腕一本切り落とすだけで精一杯だったという、次元の悪魔のことだ。それはざわつきもするだろう。
「まぁ、それはユーフィアさんの実験台になったので構わないのですが····」
「な?」
「え?」
「は?」
シェリーの言葉に3人から声が漏れ出た。ユーフィアの実験台とはどういうことだという声だ。4人でも倒すのに一苦労した存在を実験台にしたと言われたのだ。その現場を直接目にしたグレイは遠い目をしていた。本当にユーフィアの武器の性能テストの風景だったのだ。
「それよりも、転移門の固定化が解除されたあとに起こる空間圧縮の被害の方が問題なのです。詳しくは教えられませんでしたが、恐らく媒体にされたエルフの女性は生きてはいないでしょう」




