突然の勝負
「ぶっちゃけさあ、女子マネ募集したらめっちゃ来ると思うんだよな。
今日もネット裏には見物が大勢来てるだろ?」
「そうだろうなあ、しかし今日はいつもより多いな」
「そりゃ今日は、カズ君かわいい! なんて言いながら見に来ちゃってる女子が大勢だからな」
「ウソだろ? あんなの恥さらしただけじゃないか。
ほとんどがお前目当てだろうよ」
「いやいやわからんよ? さっきも一年生から声かけられてたじゃん」
「ああ、まあそうだけどさあ……」
「それに去年断った女子がもう一度応募してくるかもしれないぜ。
でもただ断るのも悪いし面倒だから、条件はきっちりと書くようにしないとな」
そんなことを話しながらブルペンについた僕と木戸はそれぞれの場所へつき、軽くキャッチボールを始めた。隣ではチビベンと木尾が投げ込みを行っている。
「木尾! 焦って飛ばしすぎるなよ、体壊したら何の意味もないからよー!
チビベン、今何球くらい投げた?」
「今三十くらいだから折り返しかな。
その後ストレッチやってバントフォームのチェックでいいかねえ」
「おう、それで頼むわ。
じゃあこっちもやるか、カズ準備いいかー」
木戸が大声を上げたところでグラウンドの外から黄色い声援が上がった。
「木戸くーん、がんばってねー
今日もかっこいいわよー」
その声に応えて木戸はボディビルダーのようにポーズを決める。すると女子たちがキャーキャー言ったり、人によっては写真を撮るものまでいる。これがほぼ毎日続くのだが、僕ならあんなサービスしてたら疲れてしまうと思う。
女子へのサービスを終えてこちらを振り向いた木戸がミットを顔の高さへ構える。僕は指にかかる感触を重視してボールを軽く投げた。
うん、今日はいい感じだ。よく指にかかっている。昨日とは全然違うはずだ。腕をほぐすように回してから数回軽く投げ、木戸へ腰を下ろすよう合図をした。
今度はキャッチボールではなく中腰の木戸へ向かってきちんと投げ込む。もちろん力はまだまだ抑えているが、フォームはピッチングのそれである。
スパーン、といい音を立ててボールがミットへ吸い込まれる。相変わらずいいキャッチングをしてくれる。いい音が鳴るとテンションが上がるのはピッチャーとして当たり前の事だろう。
それにしてもいい調子だ。僕は中腰の木戸へ五球ほど投げてから座るようにゼスチャーで指示を出した。
両手を首の後ろで組んでいったんほぐしてからプレートを踏んだ。木戸がしゃがんでミットを構えたことを確認した僕は、グローブの中でボールを握り大きく振りかぶる。そしていつものリズム、いつものフォームで、いつものように力を込めたボールを投げ込んだ。
またまたミットがいい音をたててくれる。その時、木戸の後ろから歓声が上がった。
「カズ君、かっこいー」
「せんぱーい、キャー」
「吉田君、こっち向いてー」
やれやれ、木戸が言っていたことは大げさでもなんでもなかったな。まったくうるさくて仕方がない。僕はこういうミーハーな雰囲気が大嫌いだ。
木戸が後ろを向いてから女子に話しかけている。多分僕に対して声をかけるのはやめろと言ってくれているはずだ。今までもこういうことがあったときには、出て行ってもらうか黙って見ているかを選んでもらうよう言っているのだ。
すでに知っている女子は練習中の部員への声援は控えてくれている。許可をしているのはその声援を楽しめる性格の木戸へのみである。
くだらないことで中断されてしまったが、木戸から帰ってきたボールを両手で揉んでから再び振りかぶり二球目を投げた。次のボールもいい音をたててミットへ吸い込まれた。
木戸の表情は満足げだ。音だけじゃない、いいボールがいっているということだ。
「いきなり飛ばして来るとは思ってなかったよ、もっと軽めでいいんだぜ」
木戸がそんなことを言ったが、僕は決して本気で投げているわけではない。いいとこ七分くらいのつもりで投げているのだが、よほど調子がいいのかもしれない。
「そんなに飛ばしてないつもりだけどなあ、昨日の分を取り返そうとしちゃってるのかもな」
僕はそう答えてから次を投げ込んだ。もちろん全力ではなくまだまだ余力を残しての投球だ。それでもいい感じでボールは走っている。隣で見ていた木尾が驚いたような表情をしていた。
「おいおい、これで軽く投げてるなんて嘘だろ!? もっとイケる感じかよ」
「そうだなあ、試しにもうちょっと力入れてみるか?」
「おっし、コース気にしないでいいから全力で来いよ」
全力でとは言っても僕はコントロール重視のピッチングが本分だ。やけっぱちの速球でなく、きちんとコントロールを重視する上での全力で投げてみる。
ゆったりと大きく振りかぶってから慌てずに、しかししっかりと力を込めて腕を振り下ろした。軸足のケリもいいかかり具合だ。指先でボールの縫い目一つ一つの感触がわかるようだった。
僕の投げたボールは、木戸のミットが数ミリ動いたがどうかという位置へ精密にコントロールされ大きな音をたてて収まった。スピードとコントロールを両立したそのボールに、受けた木戸だけでなく、隣にいたチビベンも感嘆の声を上げている。
「なんだこりゃ、過去最高のボールじゃねーか?
昨日とは全く違うぜ」
「そうか? いくらなんでも大げさだと思うけどな。
でも自分でも感触が良かったし、ボールが生きてるなら良かったよ」
「よお、ちょっとマルマン呼んでくれよ。
そんでカズはマウンド行ってくれ」
「お、おう、わかったよ」
僕は外野で守備練習をしている丸山に声をかけ、木戸が呼んでいることを伝えた。何かあったのかと言いながら他のメンバーも内野へ戻ってくる。
「なんだよ木戸、どうした?」
そういいながら丸山が木戸と何やら話している。次に一年生を集めて指示を出していた。それを受けた一年生が外野へ走っていき、陸上部へ何かを伝えていた。
「カズ、ちょっとマルマンと勝負してみろ。
一応外野には一年坊行かせてるから打たれてもいいけどよ」
「真剣に投げろよ、打てたらラーメン奢るって言われたから俺は本気出すぜ」
今年から四番を打つことになっているマルマンこと丸山満は体も大きく大食漢である。見た目は粗暴そうなのだが、猫が大好きで野球鞄に猫のキーホルダーをつけている心優しきスラッガーなのだ。
「木戸! 僕が勝ったらなにかあるのかよー」
「いや、なにもないな! 勝って当たり前だって思ってるから賭けにもならねえよ!」
「おいおい、それは見くびりすぎだろ。
十球勝負ならいくらカズの調子が良くたってワンヒットくらい打てるさ。
しかも真っ直ぐだけならなおさらだわ」
「まあ見てろって、マルマン、マジでビビるよ。
ラーメン驕ってもらっちゃって悪りいな」
なにやらごちゃごちゃ喋っているが、結局僕には何の得もない話だ。しかしこの調子なら十球勝負でもイケる気がする。
「よし行くぞ、準備はいいかー、カズー」
僕は頷いてからプレートに足をかけた。木戸の要求は膝元だ。約束通り真っ直ぐなので細かいサインは必要ない。
僕は大きく振りかぶってから木戸の構えるミットへボールを投げ込んだ。
投げたボールはスパーンといい音をたててミットに収まり、バットを振ることなく見送った丸山が木戸へ振り返ってからバッターボックスを外す。
数度素振りをした後再び構えた丸山に対し、木戸は同じ場所を要求した。いくらなんでも続けて投げるのはどうかと思ったが、あくまで練習だし打たれて損するのは木戸だけだ。
僕は気にせず同じボールを投げ、丸山のバットはスイングこそしたものの空を切った。
「おい、カズのやつどうしちゃったんだ?
今の本当に真っ直ぐだったのか?」
「びっくりだろ? 俺もさっき一球目を捕った時にビビったんだよ。
あと八球だけど打てそうになかったらギブしてもいいぞ」
「ふ、ふざけんな、打ってやるさ」
木戸は次に外角低め、一番遠いところを要求した。僕は頷き振りかぶる。プレートへのかかりも軸足の踏ん張りも完璧な感触だ。指先にはボールの縫い目が進んでいった感触が残り、まるで自分の動きの一つ一つがスローモーションのように感じる。
腕を振り終わったころにはミットへ吸い込まれたボールの音が聞こえた。丸山はまたバットを振っていない。
結局僕は十球投げ終わって一度もかすらせることなく投げ切った。丸山がバットを振ったのはわずかに三回だったのは意外だが僕の気分は最高だ。
しかしなんでこんなことになったんだろう。特別に球が速かったわけでもなさそうだし、調子の良し悪しにしては昨日との落差がありすぎる。
その後数十球の投げ込みをし、かなりの好感触を得た僕は自分の指先を眺めていた。今日はたまたま指のかかりが良かったせいか、それとも春休みに走りまくったのが効いてきたのか。
それとも…… 僕には一つだけ心当たりがあり、今はそのことを思い出していた。