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世界の終わりに転生してやれやれ  作者: サトイチ
世界の終わりに
11/11

11.「蟹(カニ)の子どもたちはみな踊る」

 僕は夏の手をとり、川沿いを急いだ。湖に向かわなければならないのだ。街の外に出るにせよ出ないにせよ、僕はそこに向かわなければならない。息の続く限り、走り続けなければならない。音楽の続く限り、踊り続けなければならない。行き着く先が、どこであろうとも。


 僕は振り返り、夏の顔を見た。息を切らせながら、僕に微笑みを返す。愛嬌のある顔立ち。美人ではないが魅力的な女性。夏がいなければ、夏に助けてもらわなければ、僕はとっくに死んでいた。いつかの夏の言葉を思い出す。

「影が死ぬと、本体の感情が徐々になくなっていって、最後には事象的な存在になる。外部から情報がインプットされて、自動的に処理されてアウトプットされる。それだけ。でも、それはある意味幸福なことだと思わない?」

 そうかも知れない、と僕は思った。この世は、生きるためには苦しみで満ち溢れ過ぎている。何も感じなければ、苦しむことはない。ある意味では、それは幸福なことだと思う。でもそうすると、この手の温もりを感じることもできない。僕は握った手に力がこもるのを感じた。僕はこの手をどうしたいのだろう。



◇◆◇



「着いたね、湖」と夏が息を切らせながら言った。二十分ばかり走っただろうか。僕は運動不足の体が悲鳴を上げているが、夏は気持ちよさそうに体を伸ばしている。まだまだ走り足りない、といった様子が公園で遊ぶ犬のようだ。しっぽを振っているのが見えるくらいだった。

「結局、街の外に出るの?」

 僕は答えに困った。

「わからない。まだ、自分でもよくわからないんだ」

 何かが足りない。パズルの最後のピースが、まだ見つかっていないのだ。

 

 僕は湖面を眺めた。薄い膜のように張った湖面は、丁寧に仕上げられた鏡のように鈍色の雲を映し出していた。白い雪がその上に降りては、静かに吸い込まれていく。川から流れ込んだ水を無視するように、ただ静かに時を留めていた。ここに飛び込めば、街の外に出られる。それが何を意味するのかはわからない。僕は決断を迫られていた。決断をするには情報が不足し過ぎていた。それでも、時は待ってはくれない。見えないところでそれは流れているのだ。

「怖いの?」

「たぶん」と僕は答えた。

 夏は少し目を瞑り、「最高の善なる悟性とは、恐怖を持たぬことである」と言った。

 ニーチェ、と僕は呟いた。それを合図とするかのように、雲間から一筋の光が射し、空から何かがゆっくりとこちらに向かって降りてきた。僕たちは身構えた。


「構えなくともよい、我が子ども達よ」とそれは言った。空から降りてきたのは、1匹のカニだった。2メートルを超える、立派なタラバガニだった。

「あなたはいったい?」と僕は尋ねた。

「カニだ。正確には、カニであり、カニではない。この世界を包むもの、と言ってもいい。だが、お前たちにはどうだって良いことだ。認識できないのであれば、それは存在していないことと同義だからな」

 カニは確かめるようにハサミを何度か閉じては開いた。確かにそれは、縮尺のおかしいだけの善良なカニに見えた。


 僕は腕を組み、何を聞くべきか迷った。

「あなたは本物のカニですか?」

「カニだ」

 会話が終わってしまった。混乱しているせいか、思考がまとまらない。

「でも、タラバガニってカニじゃなくてヤドカリの仲間ですよね?」と夏が続けた。カニは少し怒っているように見えた。聞いてはいけない質問だったのかも知れない。

「カニはカニだ。君が望むと望まざるとに関わらずな。私は純粋なカニだが、それと同時に、非カニの世界を表象する存在でもある。わかるか?」

「わからない」と僕は正直に答えた。

「そうだろう、私にもよくわからない」

「茹でガニにするぞこのタラバ野郎」僕は怒った。

「そう慌てるな、お前が必要なものを届けにきた」

 カニがそのハサミを高く掲げると動きを止め、硬い甲羅に亀裂が走った。頭から縦に避けるように甲羅が割れたかと思うと、中から出てきたのは、衰弱した僕の影だった。

「お前、俺を忘れていただろう」影の声は掠れていたが、視線は鋭さを保っている。「お前は『いつ』死んだ? 生きている、とは何だ?」

「それは」僕の頭の中で、パズルのピースが音を立ててハマっていくのがわかった。僕は誰か手のひらの上で踊らされているだけなのかもしれない。

「今わかったよ」


「そこまでだ」

 腹の底から出された、殺気を込めた声が聞こえた。足音で地面が震えるようだ。

「まったく、手こずらせやがって」

 門番の右手には、赤く染まった大振りの鉈が握られていた。そして、無造作に左手に握っていたものをこちらの足元に放り投げた。ゆっくりと宙を舞ってきたのは、赤鼻の首だった。夏が悲鳴を上げる。

「おかしいとは思ったんだ。言葉を話すトナカイなんてな。マスターともグルと来たもんだ。さて、なんで影がこんなところにいるのかね」

 僕は唾をのみ込んだ。さりげなく夏と門番の間に入る。

 門番は鉈を持った右手をこちらに向け、叫んだ。

「おいお前ら、この俺から逃げられると思うなよ!」


 役者は揃った。あとは幕を引くだけだ。




次回、最終話「俺の歌を聴け」

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