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最終話 だがミケ・バックハウスは改心しない

 ミケ・バックハウスは、自分の世界に帰ってきた。

 魔王には、結局なれなかった。

 彼は異世界で、猫になって、女子中学生に飼われ、毎日ゴロゴロしながら本を読んでいただけだった。

 悪い奴のわりには、悪いことはしなかった。

 できなかったというべきかもしれないが、しなかったとも言える。

 異世界に行っている間、ミケはムシャクシャしなかった。

 いつも乾いて擦り切れていた心が、美紅という少女といることで少し落ち着いたのだ。


 ミケ・バックハウスは異世界で魔王になることは叶わなかったが、恋をすることができた。

 あたたかく柔らかい、優しい気持ちを持つことができた。

 それは、彼にとっては非常に尊いものだった。

 親にも愛されず、やさぐれて暴れまわってきた人生だ。ついぞ誰にも優しくされたことはなかった。

 それが、猫という無力な生き物に変えられたことで、優しくされ、可愛がられ、穏やかに過ごすことができたのだから。


(ミクに、俺の気持ちは届いたんだろうか)


 帰還して病院に運ばれたミケは、そんなことばかり考えて過ごした。

 のんきなものである。

 学校は何者かが研究していた魔獣の存在にてんやわんやしていたが、ミケ・バックハウスのことを忘れていたわけではなかった。彼が異世界で悪さをしようとしていたことを忘れたわけではなかった。

 忘れたわけではなかったが、相手にする暇もなかった。その結果、ミケの処遇はエルネスタに一任された。

 後々考えれば、それは彼にとっては幸運だったのだ。

 だが、病室にやってきた彼女の姿を見て、ミケは自分がお先真っ暗なのだと思い込んだ。



「げっ」

「『げっ』ってなによ。あたしは忙しいのよ。忙しい中、こうして見舞ってるんだからもっと嬉しそうにしなさい」

「んだよ、うるせーな。この高慢ちきチンチクリン」

「誰が貧乳だコノヤロー!」

「んなこと言ってねぇだろ⁉︎」


 エルネスタが病室にやってきて早々、ミケは悪態をついた。だが、負けじとエルネスタも言い返すから、なんだか子供の喧嘩のようになる。

 エルネスタは才媛だが、欠点があるとするならば、高慢ちきで背が低く貧乳なことだ。一番目はいいが、二番目と三番目については触れてはいけない。触れると、ひどくうるさくなる。

 二人は、ここが病室とはいえ個室であることをいいことに、それからしばらく、くだらない口論を続けた。ミケが元気ならばここで攻撃魔術の一発や二発撃ち合うことになったかもしれないが、そこは怪我人らしくおとなしくしていた。


「で、なんの用だ? あんたがわざわざ出張ってくるってことは、俺の処遇のことだろ? 退学か? それとも魔術を使えなくするとかか?」


 強気の姿勢ではいたが、ミケは内心不安だった。自分がそれなりのことをした自覚はある。オマケに、これが初めてではなく、いい加減累積していたものがあるだろう。そろそろ、そのツケを払わされるのではないかと身構えていた。

 だが、そんな不安を強がりの下に隠しているミケを、エルネスタは軽く笑って見ていた。


「悪いことをしたって自覚はあるのね」

「は?」

「自覚があるだけまだマシって言ってるの。その自覚があるうちは、あたしはまだ、人間やり直しができるって思ってるわ。それに、あたしはあんたが悪事をやらかしたとは思ってないのよ」

「……」


 エルネスタの言っていることの意味がわからなくて、ミケはジッと彼女を見据えた。「なにが言いたいんだ」と言いたげな視線を受けて、エルネスタは口を開く。


「おとがめなしってわけにはいかないから……そうね。あなたには課題をこなしてもらいましょ。もう一度あっちの世界に行って、箒にあの子を乗せて、誰にも見られないように姿を隠して連れてらっしゃい。それで、今回のことはよしとしましょ」


 なんでもないことのように言って、エルネスタは笑った。こんなこと、罰でもなんでもないーーそう思い、ミケは訝しんだが、すぐに彼女の笑みは試すようなものに変わる。


「あんた、今『そんなの楽勝』って思ったでしょ? でも、残念でした。妨害魔術はすでに貼り巡られてもらったから、まずはそれを解除することねー」

「は? なんだよ、それ?」

「まず、異世界への扉は簡単には開きません。あの子が間違って開けちゃわないように鍵をかけてきました」

「……はぁ?」


 小馬鹿にするような言い回しにイライラしながら、ミケはエルネスタの言葉の意味を考えた。扉に鍵をかけたというのがもちろん比喩なのはわかる。だが、それが意味するところとは……。


「あんたが相当頑張って鍵を解除しないと、二度とあの子には会えないわよ? 少なくとも、独学で魔術を学んでるだけのあの子はこちらに来ることができない。今頃、あんたのことを心配して何度も魔術陣を書いたりしてるかもしれないけどね」

「……クソが」


 ミケは、美紅が困った顔で魔術陣を書いたり消したりしている姿を想像して腹が立った。なにも知らず、いつかうまくいくと思ってそんなことを続けているとしたらかわいそうだ。

 ミケ・バックハウスは悪い奴で、他人に同情や優しさを持つことはほとんどないが、好きな女の子には優しいのだ。たとえ虫を見つけて美紅が怖がって泣いたのだとしても、その虫に対して「俺の女泣かしてんじゃねぇよ」とメンチを切るくらいには優しい。まぁ、美紅はミケの女ではないのだが。


 ミケは、さらいそこねた女の子のことを考えていた。

 遠くへ行きたいという願いを叶えてやるはずだったのに、結局離れ離れになってしまった。

 またあの家で泣いているのかもしれないと思うと、チクリと胸が痛んだ。


「そんな顔するなら、さっさと体治して会いに行きなさいよ」

「言われなくたってそーするよ!」


 なにを考えているのか見透かしたようにニヤニヤするエルネスタに、ミケは本気で腹を立てた。だが、今は彼の体はボロボロだ。内臓の怪我は治癒魔術であらかた治してもらったが、そのほかの軽い怪我は自力で治せと言われている。


「もうすぐ向こうの世界は夏休みね」

「……だからなんだよ?」

「あの子、可愛いから遊びのお誘いもあるでしょうね」

「‼︎」


 ニヤニヤするエルネスタの言葉に、ミケの額には青筋が浮いていた。とことん、この才媛と悪い奴は相性が良くない。

 わざと怒らせている節はあるが、ミケは存在からしてこのエルネスタが苦手だった。

 おそらく、同族嫌悪。魔術への探究心やのめり込み具合でいえばどっこいどっこいだ。環境が違えば、ミケも悪い奴ではなく、ただのヤンチャな魔術大好き少年になっていただろう。

 それがわかっているから、エルネスタはミケをただの素行が悪い生徒として切り捨てないのだ。


「ミケ・バックハウス」


 怪我を治癒魔術で治すことが先か、それともベッドで寝ていなくてはいけない時間を使って必要な魔術を構築するか、ぶつぶつ呟きながら頭を悩ませるミケに、エルネスタは呼びかけた。

 少し苛立ちながらも、ミケはエルネスタに視線を向ける。


「あなた、私の下で働く気はある?」

「なんだよ。俺に教師になれってのか? それとも助手か?」

「違うわ。正式な組織ではなく、まだこっそりとしか活動できてないんだけど……私はあることに備えて動いてるの」


 もったいつけたような言い方にミケはまたイラついたが、それでも話を聞いてやろうと構え直した。これから彼女が冗談やしょうもない話をするとは思わなかったのだ。むしろ、かなりヤバイ話を自分にしようとしていることを、ミケは勘づいていた。だてに悪い奴をやっているわけではない。


「どこで誰が糸を引いているのかわからないから大きな声では言えないんだけど、今、魔術師たちのあいだにおかしな動きがあるの。それはわかってる?」

「あの魔獣のことだろ?」

「そう。それもあるけど、もっと変だと感じたことはなかった?」

「変なこと……? あ」


 さっさと本題に入れよと思って舌打ちしようとして、ミケはあることに思い至った。

 変なことなら、ある。そんなの、美紅のそばにいるあいだずっと考えていたことだ。


「……魔術がない世界に魔術があったことが、変なことだよな?」

「正解。さすがね、よくできました」


 大して褒める様子でもなく言って、エルネスタはベッド脇の椅子に座り直した。おそらく、さっきの質問が試金石だったのだ。もしミケが質問の意味をわからなければ、本題に入ることはなかっただろう。


「向こうの世界に魔術についての情報を流したり、魔獣を送り込んだりしている奴らがいると、あたしは考えているの。そして、そいつらは良くないことをする気だってこともわかってる。だから、そいつらの抑止力となる人材を集めているの。いざとなれば、戦うこともあるでしょうね」

「……それが、俺になんの関係があるっていうんだ」

「関係大アリよ。あんた、あの可愛い子がどうなってもいいの?」

「脅しか? もしあいつになにかするってんなら、いくらあんたでもぶっ飛ばすぞ」

「ぶっ飛ばす相手はあたしじゃないでしょ。……あの子の世界で悪さしようとしてる奴らがいるから、そいつら見つけてぶっ飛ばす手伝いしなさいって言ってんのよ」


 以前のミケなら、嫌だと突っぱねただろう。彼は、とにかく誰かの指図に従うということが嫌いだ。

 だが、わざわざ病室に防音の魔術を施してまで話したことだ。かなり信用されて持ちかけられたのだろうと考えて、ミケは悪態も舌打ちもグッとこらえた。


 黙ってそっと目を伏せると、近くで魔術を使われているとき特有の空気の揺らぎを感じた。これが激しいものだと、世界から世界へ移動するとき感じる、あの羽虫のような音になる。

 エルネスタはさすが王都魔術学院から引き抜かれてきただけあって、音もなく魔術を使った。おそらく、今ここでミケをそっと殺すことも可能だろう。

 ミケがエルネスタを苦手と思う理由は、そこだった。ほかの教師たちとは圧倒的に違う、その力量。格が違いすぎるのだ。

 その上位の魔術師が、自分の力を見込んでスカウトをかけてきたのだというなら、乗ってみるのも悪くないかもしれないーーしばらく考えて、ミケはそう結論を出した。


「わかったよ。俺はミクに借りがある。あいつの世界のことは知らねぇけど、あいつを守る理由は十分にあるからな。その話、乗ったよ」

「もー素直じゃないなー。『好きな子が暮らす世界を喜んで守りに行きまーす』ってなんで言えないわけー?」

「人が真面目にやってんだ! 茶化すな! ぶっ飛ばされてーのか⁈」

「ぶっ飛ばしてみなさいよ。やったらやりかえすわよ。十倍にして返してやる」

「……」


 ミケは本当にやりかねないこの才媛を前にして、絶句した。目がマジだった。

 それを見てミケは、無駄な争いをして体力と時間を浪費するわけにはいかないと考え直し、怒りをそっと鎮めた。


「まぁ、とりあえずは怪我を治して、課題をこなして、真面目に勉学に励んでて。もう、毎日暴れて過ごすんじゃないわよ?」

「……わかったよ」


 そう答えつつ、ミケは「知るか」と思っていた。悪党ではないが、善良でもないのだ。そんなにすぐに改心はしない。

 ミクに会うために、怪我は治そう。課題だってこなそう。そうじゃなければミクに会えない。だが……おとなしくしている必要性は全く感じていなかった。


 学校に復帰したら、廊下に延々と同じ場所を歩き続けさせる魔術を仕込んでやろうと考えて、ミケはニヤリとした。どうせなら、エルネスタがよく利用する廊下に仕掛けてやろう。空間と空間を繋ぐ魔術を応用すれば、そんなイタズラはたやすいーーそんなことを考えると、体の奥底から元気が湧いてくるようだった。

 ミケはイタズラのことを考えているときは、どんなときよりも生き生きして頭が働く。そのやる気をほかに向けさえすれば、ものすごい優等生になれそうなものなのに。

 だが、そんなことは言うだけ無駄というものだった。


 ミケ・バックハウスは、悪い奴である。

 悪党というほど悪いことはしていないし、小悪党にも届かない。だが、じゃあ善良な市民かといえば決してそういうことはなく、悪い奴であることに間違いはない。

 だから、彼に良いことのために頭を使えと言っても無駄なのだ。

 魔王になろうと意気込んで異世界へ行き、そこで猫にされるというとんでもない目にあっても、ミケ・バックハウスは改心しない。


(俺が最強になれば、ミクの世界は安泰ってことだろ?)


 そんなことを考えて、彼はニンマリとしている。

 やはりまだ、魔王になることは諦めていないらしい。



〈了〉

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