灯火の導くままに。
ようやく採取を終えて帰ろうかと迷宮出口へ向かうと、すれ違うプレイヤーの数は朝よりもさらに膨れ上がっていた。
「『灯火』、もう始まってるんですかね」
奈緒が人の流れの先を指す。安全地帯から第二層へ続く道に、見慣れない色の旗が等間隔で立てられていた。橙色の地に、小さな炎を模した紋章が書かれており、会議で見た覚えがあるので後藤のチームが仕込んだものだろう。
ウィンドウから現在の現実時刻を確認するとちょうど24時を回り、明日になってた。
奈緒が何か話しかけてはいるが、脳内で反感された言語は田辺の言葉だけが頭に残っていた。
――大丈夫大丈夫。
会議室を出てからずっと、その言葉の軽さが、何かに引っかかったまま消えなかった。バグじゃないとしたら?あれが設計通りに動いた結果だとしたら?
言葉にならない何か改善案を探し出そうと、町にいるわけでもないのにログアウトボタンを探す。
だが、ふと視界の端に出た、運営からの通知で現実世界に戻される。
【本日より『Babelへの灯火』イベントを開始します】
そっけない定型文。後藤が会議で見せていた熱量とは裏腹に、テンプレートに当てはめられた文章に頭の温度が抜け落ちていた。
「また会議の時みたいな顔してますよ。どうかしました?」
「…イベントをどう楽しもうか、ってな」
「へへ、何ですかそれ」
安全地帯はすでに人の密度が違っていた。橙色の旗が等間隔で立てられた道を、人が列をなして進んでゆく。誰かの装備が擦れる音、誰かの足音、誰かの笑い声、スリをする奴。それぞれは些細なのに、重なると低い唸りのような塊になって、揺り籠の森全体に満ちていた。
迷宮前広場に着くと、台の上の配信者がもう声を張っていた。
「はいみんな見て見て~!これが今日からの『灯火』イベントです!銅級の人は新人さんに声かけてあげてね~!」
旗の柄には、見覚えのある一文が刻まれている。
【一人の灯りが、隣の灯りを灯す。】
企画書のどこかにあったフレーズだ。誰が書いたかまでは思い出せないが、文字の並びに覚えがある。
その光景自体は、悪くなかった。初心者らしい装備のプレイヤーが、先輩格に連れられて頷きながら何かを受け取っている。バフのエフェクトをまとった光の粒が、何人もの体から立ち上っていた。企画時に想定していたものに、わりと近い。
問題は、それが「想像していたもの」止まりだったということだ。
「あ、グランさんたちですね」
奈緒が指す方向に、見覚えのある二人がいた。グランが新人らしい一団を背負うように案内していて、隣でフィルが、おどおどとした足取りで歩いている。
人混みが苦手なはずのフィルが、それでも一人、また一人と新人プレイヤーに声をかけていた。声は小さいが、絶えずコミュニケーションを取っている。
「フィルさん、頑張ってますね」
「ああ、何でも今日はイベント日らしいじゃないか。あいつは、会話が苦手だが誰かの役に立ちたいと考えている立派な奴なんだ」
いつのまにかフィルを目で追って、見失っていたグランが後ろから声をかけてきた。
フィルがびくりと肩を震わせてから、ぎこちなく頭を下げてくる。怯えているのとは少し違う、緊張と決意がせめぎ合っているような顔だった。
「井崎さん、奈緒さん……今日は、頑張ろうと思って」
「無理しなくていいと思うが」
「いえ。グランさんがいつも頑張ってるから、私一人でも少しだけ頑張れる」
その一言が、なぜか胸の奥に引っかかった。
頭の中では、別のことが渦巻いている。広場の人の分布、誘導の経路、密度に応じたスケーリング係数。迷宮での負荷テストは何人まで試しただろうか?
灯は4つあるはずなのに、目の前の人波は1つの灯に集中し今にも迷宮の入り口からダンジョンに入ろうとしている。
「奈緒、ちょっとこっち」
人混みの隙間に体を入れ、広場の端まで奈緒の手を引く。少し離れた場所からなら、全体の動きが見えやすくなる。
「あれ、誘導が機能してないな」
「誘導、ですか?」
「広場の構造上、もう少し四方に散るはずなんだ。なのに、あの配信者の周りにしか人だかりができていない。」
「あの人がいるところに、みんな寄ってるんじゃないですか?配信枠で集合場所アナウンスしてたみたいですし、有名な方みたいですよ?」
それだ、と思った。設計上のオブジェクトの分散誘導は、配信者という外部要因の存在を前提にしていない。人は道よりも、声の大きい場所に寄っていく。当たり前のことなのに、その当たり前を計算式に入れていなかった。
ステータス画面を開き、許可された範囲の情報だけを覗く。ヴィーゲの森の項目に、見慣れない数値の揺れがあった。基準値から大きく外れた、密度補正の係数。
これは、人口密度が一定の閾値を超えた瞬間に発動する、本来は深層用の緊急スケーリングだ。プレイヤーが極端に集中したとき、敵の出現を強制的に引き上げて、その場の独占を防ぐための仕組み。立案したのは、他でもない自分だった。
ただ、それを浅い層にまで適用するかどうかは、決めた記憶がない。デフォルト値のまま、誰も触れずに残されていたのだとしたら…
田辺の声が、また耳の奥でこだました。バグじゃない。サーバー負荷で出現テーブルが一時的にズレただけ。問題ない。
——想定通りに動いてない時点でそれはバグだよ!
直しても意味がない、動いただけだ。設計通りに。
ベータで大丈夫だからって、正式公開でイレギュラーがないわけじゃないだろ。
「グランさん?」
奈緒の声に顔を上げる。台の上では、まだ配信者が笑顔で何かを呼びかけていた。広場の人の波が、少しずつ、迷宮の入り口へと吸い寄せられていく。
「フィル、無理するなよ」
声をかけたが、フィルはもう人混みの向こうへ進んでいて、聞こえていなかった。グランがその背中を追いながら、何度もこちらを振り返っている。何か言いたそうな顔をしていたが、結局、声にはならなかった。
「……行こう。今のうちに、できるだけ多くの人の入りを分散させたい」
「分散って、どうやって?」
スリープ画面を開いて、運営チームへの内線を呼び出そうとした。
——繋がらない。
イベント開始直後だ。後藤たちも今頃てんてこ舞いだろう。
「奈緒、お前は最後尾の人たちを別の入り口に誘導できるか。俺は配信者に直接声をかけてくる」
「やってみます」
だが、熱狂なファンの一人だと思われているのか、はたまた騒音からか、配信者は俺の声に気づかず、見向きもしなかった。配信中に割り込む方法が、俺には分からない。奈緒が声をかけた新規プレイヤーたちは「でもみんなあっちに行ってますよね?」と言って、人の波に戻っていった。
胸の奥で、昨日からずっと積み上がっていた予感が、ようやく形を持ち始めていた。
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