表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
少女たちの地獄(カレイドスコープ)~価値なしと言われた令嬢たち~  作者: 宮野夏樹
第5章 慈愛の地獄(チャリティー・ヘル)~愛したものは、壊れる前に私が終わらせてあげる~

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/24

第1話 慈愛の刃あるいは凍てつく正義の騎士


 領都は、永遠の春に閉じ込められていた。風は柔らかく、花は常に満開。空は一片の曇りもなく澄み渡り、噴水は絶えず同じ放物線を描いて水を噴き上げる。鳥は同じ旋律を繰り返し、街路樹は寸分違わぬ角度で枝を広げていた。


 奇跡の都。人々はそう呼ぶ。だが、その奇跡の設計者―――ロザリンド・フォン・メルクリウスは、テラスの欄干に白磁のような指先を置いたまま、静かに首を傾げていた。


「……錆びているわ」


 呟きは、散る花弁よりも軽い。彼女の視線の先、屋根の雨樋に、肉眼では判別できぬほどの赤茶けた点があった。


「三日後には剥落。七日後には穴。十四日で構造崩壊」


 彼女は淡々と未来を告げる。その声は予言ではない。計算だ。


 通りを歩く恋人たちの笑い声。一拍、遅れる。―――疲労の兆候。

 市場の呼び声。抑揚がわずかに鈍い。―――倦怠の兆候。

 衛兵の足取り。重心が数ミリ外れる。―――慢心の兆候。


 ロザリンドの胸が、万力で締め付けられるように軋む。愛している。この街を。この景色を。この平穏を。だからこそ、耐えられない。それらが時間という汚泥に塗れ、無様に「衰えていく」未来が、鮮明に見えてしまうことが。


「……ああ、どうして皆、壊れてしまうのかしら」


 背後で控えていた執事が、静かに一歩踏み出す。セバスチャン。汚れ一つない白手袋、理知的な銀縁眼鏡。音を消した歩法。


「世界は有限でございますから。すべては劣化いたします。お嬢様」

「なら」


 ロザリンドは振り向かない。


「醜く壊れる前に、止めてしまえばいいのよね?」


 セバスチャンは一切の迷いなく、慈しむように答えた。


「至極、合理的かと」




 謁見室。陽光が差し込む大理石の床の中央に、一人の青年が跪いていた。整った姿勢。曇りのない眼差し。癖のない呼吸。ロザリンドは理解した。瞬時に。


(―――綺麗。なんて、透き通った魂の持ち主かしら)


「名は」

「アレン・ド・マールと申します」


 声は澄んでいる。一滴の濁りもない。


「貴方は何のために剣を振るうの?」

「民のためです。それが、騎士としての誉れですから」


 即答だった。迷いがない。ロザリンドの指先が、悦びで細かく震える。その瞬間、彼女の秘蔵のコレクションに、世界で最も価値のある宝石が加わった。


 それからの日々、アレンは完璧に「管理」された。浴室ではセバスチャンが跪き、彼の爪を整え、肌を磨き上げる。


「騎士様、湯加減はいかがでしょう。お嬢様が、貴方を“最高の状態で保管なさりたい”と仰せですので」


 アレンは困惑しつつも、それを主の深い善意だと信じ、拒むことはなかった。髪の一筋、呼吸の深さ、衣服の皺。ロザリンドは遠くからそれを見守る。壊れ物を取り扱うような、危ういまでの慈愛を注いで。だが、三日後。報せが届く。隣国との緊張激化。出陣命令。


「この命を賭して、お嬢様と国を守ります」


 誇らしげに告げるアレンの姿は、騎士としての完成形だった。光。理想。純粋。しかし、ロザリンドの瞳には別の光景が映る。泥に塗れ、血を吐き、守りたかった民に裏切られ、絶望の末に精神を摩耗させる彼の未来が。


(……ああ、耐えられない。そんな汚れた彼なんて、見たくないわ)

 慈愛が、殺意へと反転する。




 出陣前夜。私室の暖炉。柔らかな灯と、香草茶の香り。


「緊張しているの?」

「いいえ。名誉なことですから」


 アレンは微笑む。完璧な、最後の笑顔。ロザリンドは立ち上がり、彼を抱きしめた。体温。心音。呼吸。全部、いつかは損なわれるもの。


「ロザリンド様?」

「貴方を、永遠にしてあげる」


 耳元で、甘く囁く。


「誰にも汚されない、一番綺麗なままで」


 指先から絶対零度の魔力が流れる。音もなく、アレンの体が透き通っていく。驚く暇も、痛みを感じる隙さえない。


 次の瞬間、彼は微笑んだまま静止した。月光を透過させる、透明な氷の騎士として。ロザリンドの頬を、安堵の涙が伝う。


「……よかった。これで貴方は、もう傷つかない」


 冷たい氷の頬に触れる。


「ずっと私の、綺麗な騎士様」


 背後から、セバスチャンが静かに毛布を差し出した。


「お見事でございます、お嬢様。これほど完成度の高い標本は、初めて拝見いたしました」


 彼は鑑定士のような目で彫像を眺め、深く一礼する。


「さて」


 静かな声が、無音の室内に響く。


「次はこの国を、いかがなさいますか。お嬢様」


 ロザリンドは窓の外、光の海のような王都を見渡した。戦火に呑まれる未来が見える。


「そうね」


 彼女は優しく、だが確信に満ちて微笑んだ。


「誰かに壊されるくらいなら。私が、一番綺麗な時に終わらせてあげなきゃ」


 春の都に、静かに、そして絶対的な終焉の影が差し始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ