49.実家へ
シルヴェスター様から実家へ行くことを伝えた翌週。
ベルンの誕生日を祝うために約二ヵ月ぶりに実家へ帰って来た。
エストの手を借りて馬車から下りると、懐かしい顔に頬を緩める。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま、クライヴ。それと、もうお嬢様じゃないわ」
「そうでしたね。申し訳ございません、アリシア様」
出迎えてくれた家令のクライヴに苦笑する。
クライヴは代々伯爵家に仕えてくれる使用人一族の人で、私が生まれる前から父の補佐をしていて赤子の頃から私のことを知っている。
父より年上で六十代に差し掛かるクライヴは厳しいところもあるけど、それ以上に愛情深く私に接してくれて自然と目元が柔らかくなる。
「お母様とベルンは?」
「奥様と坊ちゃまは屋敷におられます。まだまだ暑い日が続くので」
「そう。でもそれならクライヴもずっとここで待っていなくてもよかったのよ?」
「ご安心ください。来られる予定の五分前に来たので大丈夫です」
「それならいいのだけど。無理は禁物よ」
「はい。ご心配、感謝いたします」
伯爵家に仕えてくれているけど年齢もあるから無理はしないように伝え、エストを連れて実家の敷地内へと足を踏み入れる。
二ヵ月ぶりの実家の外観は何も変わらない。
なのにとても懐かしく感じるのはやっぱり十八年間過ごしてきた屋敷だからだろうか。
クライヴの後ろを歩きながらエントランスホールに入ると走る音が聞こえ、同時に何かが私に抱き着いて来た。
「姉様、お帰りなさい!!」
「ベルン」
抱き着いてくるベルンを受け止めて柔らかい茶色い髪を優しく撫でると、嬉しそうに私と同じ紫色の瞳を細める。
「八歳のお誕生日おめでとう、ベルン」
「ありがとうございます! ねぇ、姉様。早くリビングへ行こう!」
「ふふ、そうね」
私の手を握ってリビングへ引っ張ろうとするベルンに笑いながら従う。
手を握るベルンの機嫌は誰が見てもよくて、頬は朱色で血色がいいのが読み取れる。
そしてベルンに引っ張られながらリビングへ到着すると母が私を見て目を丸めて驚く。
「まぁ、アリシア?」
「ただいま帰りました、お母様」
「ベルンったら……。先にアリシアの元へ行ったのね」
「だって姉様に早く会いたかったんだもん!」
母から窘められると頬を膨らませてそう返す。そのやり取りに苦笑する。
嫁いで少しは姉離れできたかと思ったけど、どうやら違ったようだ。
「もう……。いらっしゃい、アリシア。今日はゆっくりしていきなさい」
「ありがとうございます、お母様」
話しかける母に微笑みながら答える。私も久しぶりの実家なのでゆっくりしたいと思う。
そして母にエストを紹介する。
「お母様、彼女は私の侍女のエストです」
「こんにちは、エストさん。どうぞゆっくりしてちょうだい」
「お気遣いありがとうございます、エインズワーズ伯爵夫人」
母がエストの挨拶に頷くとベルンを呼ぶ。
「ベルン、こっちに来なさい」
「えー。姉様、すぐに戻るから待っててくださいね!」
「ええ」
母に呼ばれていなくなるベルンの後ろ姿を眺めながら、エストに椅子に座るように促す。
「エストも座ってちょうだい」
「あの、私までいいのでしょうか」
「お母様が言ったのだからいいわよ。今日はエストも客人よ」
「……かしこまりました」
不安そうに呟くエストに大丈夫だと伝える。今日はエストも客人としてゆっくり過ごしてほしいと思う。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「アマリー」
エストと一緒にお茶を飲んでいると、結婚するまで私に仕えてくれていた侍女・アマリーがやって来る。
「もう、アマリーったら。クライヴもそうだけど私はもうお嬢様じゃないわ」
「そうでしたね。……お帰りなさいませ、アリシア様」
「ええ。ただいま、アマリー」
指摘するとアマリーが言い直して柔らかい微笑みを見せる。なので私も同じように柔らかい笑みを返す。
「二ヵ月ぶりでしょうか。もう随分長く感じます」
「そうね。私も同じよ」
アマリーの言葉に自然と笑ってしまう。やっぱりずっと住んでいた実家は居心地いい。
「今はどうしているの?」
「現在は坊ちゃまの侍女として働いています。お嬢様と違って腕白で大変ですよ」
「あら。でも男の子だからそれくらいの方がいいんじゃない?」
「そうかもしれませんが使用人としては大変ですよ」
「ふふ」
ここにいないベルンの話になりアマリーと共に笑う。
そうして笑いが落ち着くとアマリーにエストを紹介する。
「アマリー、紹介するわ。ランドベル公爵家で私の専属侍女をしてくれているエストよ」
紹介するとお互いに挨拶を交わす。
「初めまして、エインズワーズ伯爵家で仕えるアマリー・メイデンと申します」
「初めまして、ランドベル公爵家に仕えるエスト・ファーレイと申します。奥様の侍女をしております」
互いに侍女らしい挨拶を終えるとアマリーがエストを見る。
「アリシア様は公爵家で女主人のお仕事を?」
「はい。公爵夫人として執務も外交も立派にこなして公爵家を支えてくださっております」
「そうですか。ですが、どうかアリシア様が無理しないように注視してくれませんか?」
「ちょっと、アマリー……!?」
アマリーの発言に思わず口を挟んでしまう。真剣な顔になったと思えばいきなり何を言うのだろう。
混乱しながら口を挟むとアマリーが私の方へ向く。
「アリシア様は昔から無理をするところがあるではないですか。平気な顔して翌日熱をよく出していたのをお忘れですか?」
「……それは昔の話よ」
アマリーの内容に間が空いて語尾が小さくなる。小さい頃の話とは言え、事実なのではっきりと否定できない。
「アリシア様が真面目なのは存じております。伯爵令嬢時代と違い、公爵夫人というお立場は責任も重く大変でしょう。ですが無理するのは私はもちろん、旦那様も奥様も本意ではないのはお分かりくださいませ」
「っ……」
痛いところを突かれて口ごもってしまう。
アマリーの言いたいことは分かる。父も母も、私が無理をするのは望んでいないのは私がよく分かっている。
言い返せないでいると、それまで沈黙を保っていたエストが口を開く。
「承知しました。よく見ておくように心がけます」
「……ありがとうございます、お願いいたしますね」
心得たようにエストが頷くとアマリーが安心したのか目元を柔らかくして感謝の言葉を紡ぐ。……思うところはあるけどアマリーなりに私のことを案じてくれているから何も言えない。
そんな、背中をむず痒くしていると、遠くからまだ子どもの、高い声がリビングに響き渡る。
「姉様っ! お待たせしましたっ!」
「ベルン」
来たと思えば大きな紫色の瞳が嬉しそうな感情を乗せながら見上げてくる。ベルンのおかげで空気が変化してむず痒さが消える。
そしてアマリーたちといたことで彼女たちと会話していたと思ったベルンが頬を膨らませる。
「アマリーばかりズルいです。僕とも話してください!」
「分かったわ。だから落ち着いてちょうだい」
ベルンがねだって来るので宥める。今日の主役はベルンなので今はベルンを優先しよう。
宥めると機嫌が治ったのか、ベルンが隣に座ってニコニコと笑みを見せながら話してくる。
「姉様、今日は来てくれてありがとうございます!」
「いいのよ。元気にしてた?」
「はい! 姉様も元気でしたか?」
「ええ。元気だったわ」
「それならよかったです!」
純粋に二ヵ月ぶりに会う姉を思うベルンの気持ちに自然と口が緩む。
年齢が十も離れているか、姉弟仲はとてもよくて喧嘩がなくて羨ましいとシャーリーが呟いていたのを思い出す。
「さぁ、今日はベルンが主役だからパーティーを始めましょう」
「はいっ!」
私の声掛けにベルンが元気に頷いて、ついにベルンのお誕生日会が始まった。
***
昼頃に始まったベルンの誕生日会は大変盛り上がった。
使用人に予定が空いていた親戚たちも集まって一緒に祝ってくれ、ベルンもとても喜んでくれていたのでよかったと思う。
料理はベルンの好きな料理とケーキが並び、また親戚の一人が入手した帝国発祥の遊戯に紫色の瞳を輝かせてそれはそれは賑やかなものとなった。
父方の伯母に母方の叔父にも会え、盛り上がった誕生日会は夕方になってお開きとなって順次帰っていく親戚を見届けていく。
「ベルンも楽しんでくれてよかったわ」
「そうですね」
母に頷きながら時計を確認する。
時刻はもうすぐ十八時。シルヴェスター様が帰宅するのはあと一時間ほど後だろうから今から帰れば出迎えはできるはずだ。
「お母様、私もそろそろ失礼しますね」
「そうね。忙しいはずなのに今日は来てくれてありがとう」
「いいえ、私もベルンを祝いたかったので」
礼を述べる母に首を振る。ベルンを祝いたかったのは本当だし、ベルンと会えてよかった。
帰宅する準備するためにエストに指示をするとベルンが驚いた声を上げる。
「え。……姉様、もう帰っちゃうの?」
「? ええ、そろそろ帰らないと帰ると伝えていた時間に間に合わないもの」
不安そうな眼差しで見上げて来るベルンに事実を告げる。
するとくしゃり、と顔を歪め──
「ヤダっ!!」
「ベルン?」
大声を上げたかと思えばベルンが私にくっついて泣きそうな目で見上げてくる。
「ねぇ、姉様。今日は泊ってよ。いいでしょう?」
「ベルン! 何言ってるの!?」
ベルンの発言に母が怒ったように声を上げるも、ベルンも譲らず再度私にお願いしてくる。
「お願いです、姉様。まだ姉様とお話ししたいのに……」
「ベルン……」
何度も何度も頼んでくるベルンの姿に胸が痛む。
ベルンのお願いに心が揺らぐも、ロバートに帰宅時間を告げているので急に泊ると言ったら迷惑をかけるのではないかと考えると頷けない。
「……奥様、もし迷われているのなら私がロバート様にお伝えしましょうか?」
「え?」
するとエストがそんな提案をして目を丸める。
「本日の執務は終了していますのでロバート様に報告したら済むかと。馬を貸していただければすぐさまお伝えできますが」
「でも、急に予定変更してもいいの?」
「旦那様も急に帰られなくなった時はそのように変更していたので大丈夫です。如何いたしましょう?」
「姉様っ……!!」
エストからの提案にベルンがぱぁぁっと明るくさせる。……この流れで断ったらベルンがすごく悲しむだろう。
ロバートに伝えたら問題ないのなら泊るのもいい。そうしたらベルンを悲しませることもないから。
ぐらぐらと天秤を傾けながら──結局、エストの案を吞むことにする。
「ごめんなさい、それならお願いできる?」
「かしこまりました。それでは急ぎ報告いたしますので終わればまたこちらへ戻ります」
「分かったわ」
急な予定変更なのにエストは嫌な顔ひとつせずにロバートに報告するために公爵邸へ行く準備をして向かってくれた。エストには感謝しかない。
「ごめんなさい、アリシア。急に変わって……」
「構いません。決めたのは私自身ですから」
謝る母に苦笑しながら首を振る。
それから無事報告を終えたエストに労いの言葉をかけ、父の帰宅を出迎えた。
父は私がまだ屋敷に残っていることに驚いていたけど公爵家に伝えていると話すと特に何も言わず、家族四人で夕食を楽しんだ。
夕食後はベルンにねだられて一緒に本を読んだり、最近あった出来事を聞いたりして過ごした。




