50.言葉にする思い
「うっー……それは僕のケーキ……」
「ふふ」
かわいらしい寝言を言いながらすやすやと眠るベルンに自然と頬が緩む。
私と異なる茶色い髪を撫でるとくすぐったいのか少し首を動かすけど、瞼は相変わらず閉じていて心地よさそうに眠っている。
せっかく寝ているベルンを起こすわけにはいかないのでそっと立ち上がって退室して両親がいるはずのリビングへ足を進ませる。
エストも客室に泊まっていて今頃眠っているだろうと考えながら、ドアをノックして中にいる両親に声をかける。
「お父様、お母様。入ってもよろしいでしょうか」
「入りなさい」
父から入室許可を得てドアノブを回すと、両親と我が家に長く仕えている侍女長がいた。
「ベルンはもう寝たのか?」
「はい。今日一日はしゃいでいたので疲れたのでしょう。うとうととし始めたので眠らせました」
「アリシアに会うのを楽しみにしていたからでしょうね」
母の発言に苦笑しながら向かいに着席すると、侍女長がホットココアを淹れてくれる。
「ありがとう」
「いいえ。それでは私はこれで失礼いたします」
「ああ、ありがとう」
私たちに深く一礼すると静かに退室する侍女長。
侍女長が退室したことでリビングには今、私と両親の三人のみだ。
「しかし、アリシアがいて驚いた。まさかベルンが我儘を言うとは」
「久しぶりに会えて嬉しかったんだと思います。それに、ベルンも日々当主の教育で大変かと思うので少しくらいあの子の願いを叶えたくて」
「そうは言うが……お前はベルンと同じ年で先を学んでいただろう」
ベルンを庇うも、父の指摘に困った笑みを浮かべる。確かに父の言う通り、ベルンと同じ時に先の内容を学んでいたが、それは私が女だったからだ。
「ベルンは私と違って剣の練習もしていますから。誕生日なのに怒られたら落ち込みますよ」
「……調整して注意しよう。公爵家にはいつ帰るんだ?」
「急ぎの書類仕事はないので明日の夕方頃にでも帰るつもりです」
「そうか」
父に帰宅の予定を報告する。
ロバートからの手紙に『急ぎの執務はないのでゆっくりと過ごしください』との言葉があり、夕方にでも帰宅するつもりだ。
「女主人の仕事はもう大分慣れたか?」
「はい。家令のロバートが公爵家の歴史に執務のやり方など懇切丁寧に教えてくれて。おかげで執務も慣れてきました」
「それならいい。嫁いでいきなり女主人の仕事をすることになったからきちんとできているか不安だったんだが」
「伯爵家で当主教育してきたのが役に立ちました。使用人もみんな優しくて色々と助けてもらっています」
「この前の夜会でもそう言っていたわね。馴染めているのならよかったわ」
母がほっとしたように表情を和らげて呟く。確かに使用人たちと仲良くできてよかったと思う。
息をゆっくり吐いてホットココアを口にする。程よい甘みが口の中に広がる。
「公爵領にも行くのか?」
「はい。でもシルヴェスター様のお仕事ですぐには行かないと思います。公爵領に行っても外交官としてのお仕事もあるので滞在もそう長くないかと」
「公爵閣下は国王派の重鎮で外交官として王宮に出仕しているからそう長くは王都を離れることはできないだろうな」
「お父様はシルヴェスター様と王宮内で会われますか?」
「いいや。部署が違うから会議の時くらいしか会わないな」
「そうですか」
同じ国王派でも父は宰相付きの補佐官でシルヴェスター様は外交官だ。宰相であるフォーネス侯爵ならシルヴェスター様と関わる機会が多いかもしれないけど父はあまりないようだ。
そんな風に考えながらカップを見ていると視線が感じ、顔を上げると父と目が合う。
「お父様?」
「……公爵閣下とは上手くやれているか?」
「……はい。政略とはいえ何かと気にかけてくれていて感謝しかありません」
父からの問いに今はここにいないシルヴェスター様の姿を思い浮かべて答える。
私でも突然と思ったのだから、父も私の嫁入りは急で驚いたことだろう。
答えると父が紫色の瞳を少しだけ柔らかくする。
「そうか。私は彼と仕事に関連する話しかしないがどんな人物なんだ?」
「どんな人、ですか……」
父の質問に少し考える。どんな人、か。
シルヴェスター様とは婚約していても話すことは皆無だった。なので、実際にシルヴェスター様の人柄を知ったのは結婚してからだ。
そんなシルヴェスター様と過ごした日々を思い出してゆっくりと呟く。
「……優しい人、だと思います」
「優しい人?」
「はい」
繰り返す父に頷く。父からしたら「冷血公爵」の異名のイメージの方が強いかもしれないけど、私の考えは変わらない。
私たちの結婚は王命であり、そこに恋愛の「れ」はない。紛れもない政略結婚だ。
だけど──。
「私の意見を、聞いてくれるんです」
「アリシアの?」
「はい」
同じ紫色の瞳に、こくりと首を縦に振る。
国王派の有力貴族を結び付ける結婚とはいえ、伯爵家の私と公爵家のシルヴェスター様だったらシルヴェスター様の方が立場は圧倒的に上だ。
だから、私を突き放して私の意見を無視するもできた。
でも、シルヴェスター様は無視することなく、私の意見に耳を傾けて──いつも向き合おうとしてくれた。
「私を尊重し、緊張していたら言葉をかけてくれ、私が悪意に晒されたら矢面に立ってくれて……優しい人だと思います」
これまでシルヴェスター様と過ごした二ヵ月を思い出しながら言葉を紡ぐ。
……きっと、結婚しなければシルヴェスター様が優しい人だと知らなかった。
だからこそ、本当のシルヴェスター様を知ることができてよかったと思う。
「……そうか、それならよかった」
そう呟く父の瞳は心配が消えていて安堵の感情を宿していた。
***
両親と話した翌朝、朝食を共に摂って父の出発を見送った。
父の見送り後はベルンの相手をして一緒に庭を散歩したり図書室で読書したり、ベルンの勉強を見てあげたりして過ごした。
昼食後はアマリーとベルンが好きなクッキーを作ってティータイムで母とベルンの三人で食べて楽しく話して過ごした。
「お母様、そろそろ帰ろうかと思います」
「そうね。その方がいいわね」
ティータイムが終わり、夕方になって母に伝える。
長居していると公爵家に帰るのに遅れる。昨日と今日の出来事をロバートとサマンサから聞きたいし、シルヴェスター様を出迎えたいのでそろそろ帰った方がいい。
「公爵家の馬車はもうすぐ?」
「予定ではそうですね」
母に答えながら時計を見る。予定ではあと十分ほどで伯爵邸に到着するはずだ。
「エスト、明日は休んでいいからね」
「いいえ、伯爵邸で十分休ませていただいたので」
休暇を告げると首を振る。なら折り合いをつけて明日は午前だけ働いてもらおう。
そんなこと考えているとベルンが悲しそうな声を上げる。
「姉様、帰っちゃうの?」
「ええ、ベルンとたくさんお話しできて楽しかったわ」
ベルンと視線を合わせて楽しかった気持ちを伝える。ベルンが伯爵領へ戻る前に会えてよかった。
「……僕はまだ全然話し足りません」
「ベルン……」
「姉様、もう一日だけ泊ってくれませんか?」
「…………」
眉を下げてお願いしてくる。だけど、今回は聞けない。
元々泊まる予定なかったはずなのに一日泊まっているのだ。これ以上泊まったら公爵家に伯爵家どちらにも迷惑かけてしまう。
「ごめんね、ベルン。姉様もう帰らないと」
「……明日じゃダメなんですか?」
紫色の瞳に涙を溜めてゆらゆらと揺らして尋ねてくる。その姿に胸が苦しくなる。
だけど私はもうランドベル公爵家の人間。これ以上はシルヴェスター様に迷惑かけてしまうかもしれない。
「本当は昨日帰ろうと思ったんだけどベルンがいてほしいって言ったから帰るの一日延ばしたの。だから今日帰らないと」
「でもっ……」
迷いながら私を見るベルン。
本当は分かっているのだろう、我儘を言うと私に迷惑かけてしまうかもしれない、と。
ベルンはまだ八歳だ。甘えたい年齢だろうし、物心がついた頃から面倒をよく見て来たからか私にベッタリだ。
それでも言い聞かせないと、と思い口を開く。
「ベル──」
「──アリシア」
すると、ここにはいないはずの声が聞こえ──勢いよく振り返った。




