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Ep.17 満月の夜 前編


 「子守唄?今流れているこの曲のことか」


 「そう!これ、昔お母様がよく歌ってくれたの」


 ローワンがこの地下室に来て、最初の夜に聞いたのがこの曲だった。

 この曲をきっかけに、今まで抑え込んでいた、寂しさや、虚しさがせきを切ったように溢れ出し、涙を流したのだ。 


 怖い夢を見た時や、天気が悪く眠れない夜に、お母様はこの曲を歌ってくれていた。

 

 「歌詞を覚えているのか」


 「うん、えっとね」


 

  ”窓から覗く眠りの精 花はまだ眠らない  

  月明かりの中 海の見える 小高い丘のあなたの巣へ

  満ちる月の光を仰ぎ 自由へと羽ばたく


  風がささやく 草木が揺れる

  悪い夢からあなたを守るように


  暖かく居心地が良い 母の腕

  誰にも貴方を傷つけさせたりしない


  すてきな夢を ごらんなさい

  目を覚ましたら 分かるでしょう

  あなたへの愛を 捧げた心を”



 母の優しい歌声をなぞるように、声に出して歌う。


 眠れない夜に母の書斎へ向かうと、寝室まで手を繋いで歩いてくれた。そのあと、ベッド脇に座ってローワンが寝付くまでこの歌を歌ってくれていたのだ。

 優しい声で、頭を撫ででくれる、そんな優しい母が大好きだった。


 初めて歌ってくれた時には、子守唄なのに”まだ眠らない”の?と質問してしまい、母が苦笑いしていたのを覚えている、

 暗い部屋で、小さなランプに照らされている母の顔は、今でも思い出すことができない。でも、この思い出は間違いなく本物だ。



 「お母様が作ったって言ってたから。もしかして何かヒントになるかもって」


 「なるほどな。自作の歌詞ということは何らかの暗号が含まれている可能性があると。”花”というのもローワンを暗示しているということか」


 Rowanローワン

 これはローワンの誕生日と同じ、春の季節2月目から夏の季節にかけて開花する植物の名前だ。白い花に、赤い小さな実をつける樹で、ナナカマドとも呼ばれている。


 「それにね!最初の部分の”海の見える”、”小高い丘”、”満ちる月の光"。この歌詞なんだけど、心当たりがあるの」


 今までは半信半疑のような顔でローワンの言葉を聞いていたアクルが、この発言には食いついた。興味深そうに、ローワンに次の言葉を促す。


 「前に満月の夜にしか空かない部屋があるって言ったでしょ」


 「あぁ。確か右側のエリアに入ってすぐの所にある」


 「そう!前にそこに入った時にね、あの湖の絵くらいの大きさの絵があったの。」

 

 ランプの部屋にかかっている夜の湖の絵を指さす。

 部屋の壁一面を覆うほどの、大きな絵だ。


 「夜の海辺で、小高い丘の上に小さな家が描かれている絵だったの。すごく幻想的な風景だったし、まさに子守唄と一緒だなって思ったからよく覚えてる。」


 「”満ちる月の光"が満月を表していて、その部屋から海の見える小高い丘の上にある小屋に出ていける可能性があると?」


 「うん。可能性はあるかなって。でも、ただ絵があるだけの部屋だったから、その時はよく調べもせずに出てきちゃったんだけど」


 大発見だ!と思ってアクルに伝えたものの、アクルは意外と懐疑的なようだ。

 ローワンの発言に対して、眉間に皺を寄せながら目を細めている。これは、アクルが何かを考えているときの顔だ。

 

 「確かに一考の余地はある。だが、海の見える丘というのが気にかかる。このバークレイ領は海からはかなりの距離があるはずだろう」


 「あ、、そうだね。確かに。少なくとも、領内には海はないわ」


 「"羽ばたく"というのが魔法陣などの比喩だとしても、距離がありすぎるだろう。転移の魔法陣は、果物程度のサイズの物を数百メートル程度転移させるのが限界だと、先日新聞で読んだぞ。」


 「そう、だね。そんな便利なものがあったら、みんなもう馬車なんて乗ってないよね」


 いい案だと思ったんだけどな。残念ながらローワンの飛躍した想像に過ぎなかったらしい。

 ローワンが、他に何か思い出せるものがないかと必死に考えを巡らせている間、アクルはふわふわと部屋中を飛び回りながら、ずっと何かを考えているようだった。



 考えがまとまったのだろうか、数分程して大きく一度頷いたアクルは、地上に降りてきて、ローワンの前に立った。

 

 「試してみる価値はある。だが、満月の夜にしか空かない部屋が次に開くのはいつだ。この部屋に隠れていられるのは数日が限度だぞ」


 「前に開いた日なら、、覚えてる。誕生日まで毎日暦を数えてたから。確か、先月の第2週2日目だった。」


 「月の周期はちょうど30日だ。ということは、、、、」



 「「今夜だ!!!」」




 そこからの二人の行動は素早かった。

 外に出るのであれば、まだ読んでない本を持っていきたい、とアクルが言うので本棚の中にあったいくつかの本を革袋に詰めたり、外の様子を伺って脱出経路を考えたり。


 ローワンは猛ダッシュに備え、入念に準備運動をしていた。

 運動神経は良い方なのだ。魔法が使えない以上、頼れるのは自分の肉体だけだ。



 「ねぇアクル。私も呪文を唱えれば魔法が使えるのかな」


 本棚で持っていくための本を厳選しているアクルに、ローワンは屈伸運動をしながら尋ねた。

 アクルがお母様の研究室から盗ん、、持ってきたという革袋の収納力はそこまで高くないらしい。残された隙間は本5冊分程度だということなので、アクルはどれを持っていくべきか選別しているのだ。


 「少なくはない魔力があるのだ。理論上は不可能ではないが、魔力コントロールを学んでない状態では難しいと思うぞ」


 「今すぐできるかな?」


 「今ここで魔力コントロールを覚えると?不可能だな。お前はあまり器用ではなさそうだし」


 ぺらぺらと素早く複数の本に目を通しながら、鼻で笑うようにアクルはいう。

 なんて失礼な精霊なのかしら。


 「むぅ、、でも、もしも、もしもよ。天才的な才能があるかもしれないじゃない?だから何か呪文だけでも教えてよ。」


 少しでも脱出の可能性は高めておきたい。アクルも万能ではないのだ。自分の身を守るための術は一つでも持っておきたい。


 「ふむ、実戦で使えそうなものだとBlastブラストだな。爆風を発生させることができる。」


 「ぶ、ぶらすと。ぶらすとぶらすと。」


 暗号のように何度も何度も繰り返す。今はまだ使えないかもしれないが、いざというときには使ってみよう。

 ぶらすと。ぶらすと。と何度か繰り返していると、だんだんと手の先に熱が集まってくるような気がした。いつか、指輪の入った箱を握った時に感じたような、じんわりとした温かさだ。

 

 熱の正体はわからないが、なんだろうこれは。

 ローワンは何かに操られるように、熱を持った手をまっすぐに伸ばした。


 慌てたアクルの顔が、視界の隅に見えたような気がする。そして、


 「あ、馬鹿お前、」


 「Blastブラスト


 ローワンの腕から放たれた爆風は、入口をふさいでいた本棚に激突した。

 バーンと大きな音をさせ、仕舞われていた本が紙吹雪のように舞い、本棚がローワンの方に倒れてくる。


 「お前は馬鹿か!!突然部屋の中でぶっ放す奴があるか!!!」


 本棚をローワンの顔ぎりぎりのところで止めたアクルは、ローワンの方を信じられないという表情と、怒りの表情が混ざった顔で見ている。


 「ご、ごめん、だって使えると思わなくて、、、」


 アクルが風で抑えてくれている本棚の下から、這うように脱出する。

 び、びっくりした。


 「まさか使えるとは思わ、、待て。」


 『なんださっきの音は!!』

 『左の方だ!』

 『あの女かもしれない!とりあえず急げ!!』


 アクルがかけっぱなしにしていた魔法の効果で、外から執事見習たちの声が聞こえてきた。

 どうやら先ほどの爆風の音が、外まで聞こえてしまったらしい。少し遠くでドタバタと、人が走る足音が聞こえる。


 「時間がない。今すぐ満月の部屋へ向かうぞ」


 「う、うん!」



 お前のせいで本が選びきれなかったじゃないか!とお怒りのアクルだが、ちゃっかりと5冊の本を革袋の中に詰めている。

 ローワンは急いで立ち上がり、机の上に置きっぱなしになっていた指輪が入った箱をメイド服のポケットの中に詰め込んだ。


 アクルが風を操って本棚や散らばった本を元の場所に戻すと、埋もれていた扉が見えてきた。


 「3,2,1で開けるぞ。入口の方へ走れ。 いくぞ、3,2,1」



 風の魔法で勢いよく開いた扉から、猛スピードで外に飛び出す。


 「足音が聞こえるぞ!こっちだ」

 「お前は反対から回れ!挟み撃ちにするんだ」


 少し後ろから、執事見習の男たちの声が聞こえる。


 ピカっと、後ろの通路から稲妻の光が見えた。

 ローワンは先ほど火傷したことを思い出し、左腕に巻かれた赤いナプキンをぎゅっと握りしめた。


 「振り返るな。前だけ見て走れ」


 「で、でも。入口にも見張りがいるんでしょ。どうするの」


 真っ暗闇の中、宙に浮かびながら隣を並走するアクルの銀髪がきらりと輝く。

 ここから入口までは何度も歩いたことがある。入り組んでいるから、後ろの男たちを撒くのはそこまで難しくないだろう。


 でも、先ほどアクルは入口付近には5名の見張りがいると言っていた。このまま逃げたとしても、挟み撃ちにされてしまうだろう。


 「出たとこ勝負だが、策はある。何が起きても、足を絶対に止めるなよ」



 

 男たちを撒くために、くねくねと曲がりながら入口を目指して走る。

 このペースだと、もうすぐ入口が見えてきてしまう。


 「アクル、本当に大丈夫なの?」


 「わからん。しかし、やるしか、、、待て、何か入口の様子がおかしい」


 パチン、とアクルが指を鳴らすと、ローワンの耳にも入口付近の会話が聞こえてくるようになった。

 入口の階段付近で、使用人が何かを話しているようだ。


 『え、エクター王子。なぜこんなところに』

 『もう夜も遅いのに屋敷の様子が騒がしいからね。地下室という会話が聞こえたので来てみたんだ』

 『こ、困ります。お客様が来られるようなところでは』

 『父上が伯爵家の地下室に興味を持たれていたから。私も入ってみようと思って』



 聞こえてきたのは、昼に聞いた、あの青年の声だ。

 ”エクター王子” 確かにそう呼ばれている青年の声に、走っていたローワンは頭が真っ白になった。


 「まって、エクター王子が地下室に来てるってこと?」


 「そのようだな」


 「ま、まずいよ。どうするの!」


 「いや、今なら使用人の注意が王子に向いている。チャンスだ。この隙に右側のエリアに飛び込もう。そのままスピードを緩めるな!」


 銀色の髪をなびかせたアクルは、真っすぐと入口の方向だけを見つめて言う。

 

 「まさか策があるって、強行突破のこと!?無茶だよ!!!」


 わわわ、これはもう絶体絶命だ。

 このままのうのうと、見張り役の使用人の前に無防備に身体をさらすしかないのだろうか。

 姿が見えないアクルと違って、ローワンはただの生身の16歳の少女なのだ。これでは、魔法の格好の餌食になってしまう。


 今夜の入口付近には。ランプや松明のようなものが置かれているようだ。

 入口へとつながる最後の角を曲がると、オレンジ色の光がゆらゆらと揺れているのが見える。



 「絶対にスピードを緩めるな。いいな!」


 「そ、そんな!無茶だよ!」


 「いいから黙って走れ!」


 エクター王子の登場に気を取られていたのだろう、右側エリアへ通じる通路の前に立っている見張りの2人は、入口の階段の上の方に視線を奪われている。


 確かに、今なら何とか、、、、、なるわけないじゃん!!

 ローワンは足が速い方だが、それでも、目に見えないほどの速さというわけではないのだ。見張りの二人が手を伸ばせば、ローワンの身体など簡単に捕まってしまうだろう。


 声を出すと見張りの二人に気付かれてしまう可能性があるため、心の中に必死に不満を閉じ込める。

 非難の気持ちを目いっぱい込めて、隣に浮かぶ銀色の精霊のようなものを見れば、アクルは右側のエリアにつながる通路の方だけをまっすぐ見つめている。



 「お、おい!あの女がきたぞ!」

 「な、よそ見するな!構えろ!」


 ローワンの足音に、ついに見張りが気づいたらしい。

 見張りの二人は、魔法を使うつもりだろうか。ローワンの方にまっすぐに手を突き出している。


 

 「どーするの!!気づかれてるじゃん!!!」


 もう見つかってしまったのだ。声を出そうが出さまいが、結果は変わらない。

 それであれば、この無策な精霊のようなものに対して思いっきり不満を伝えるのが良いだろう。



 「口を閉じろ。舌を噛むぞ。Sōparā Auraソーパーラ アウラ


 え、何。と、ローワンが言おうとした言葉は、アクルの手から放たれた轟音によってかき消された。

 アクルが自らの手から放った強力な竜巻は、ローワンに向かって襲い掛かる。


 「まさか、、、、!」


 そのまさかで、ローワンの足元をすくいあげるように竜巻が近づき、

 

 そして、


 ローワンは宙を舞った。


 

 文字通り、地下室の高くはない天井ぎりぎりを、強力な竜巻によって吹き飛ばされたローワンの身体が舞う。舞うなんて丁寧な言葉では表現しきれない。まるで強く放たれた矢のように、勢い猛烈に吹っ飛ばされている。



 「な!突然空を飛んだぞ!」

 「撃ち落とせ!Aquapilumアクアピルム



 斜め下に見える見張り達が、ローワンに向けて手をかざす。

 先ほどの執事見習の時と同じように、鋭い水の槍がローワンに向かって真っすぐに飛んできている。


 「ひっ!」


 浮かんだまま、アクルが咄嗟に身体を半回転させてくれたお陰か、かすめた水の槍は、運よく肌には当たらなかったらしい。

 左腕に巻いていた赤いナプキンが槍によって切られ、ローワンの腕からひらひらと落ちてゆく。



 右側エリアの通路に向けて、放物線を描くように、ゆっくりとローワンの身体が落ちてゆく。

 いや、実際には猛スピードで矢のように飛んでいるのだが、ローワンには走馬灯のようにゆっくりと景色が見えていく。



 「何事だ!屋敷の中で魔法を使うなど、、、」


 騒ぎを聞きつけたのか、階段の方から、使用人を振り切ったエクター王子が降りてきた。



 ひらひらと、赤いナプキンがローワンと、エクター王子の間にゆっくりと、落ちていく。



 そして、右側のエリアに着地する直前。



 「ローワン!」


 

 確かにそう叫ぶ、エクター王子と目が合った気がした。




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