Ep.15 バークレイ一族
「本当に大丈夫か?もう少し休んでいってもいいんだぞ」
「ううん、大丈夫。私も、確かめたいから」
普段の銀髪姿に戻ったアクルが、ふわふわと宙に浮かびながら、ランプを持って歩くローワンの隣を並走している。
かなり心配をかけてしまったようだ、何度も振り返りながら、ローワンがちゃんと歩いているのかを確認してくれている。
ランプを握りしめていない方の手を、何度か開いたり閉じたりしてみる。
庭師の倉庫でこわばっていた身体の感覚がだいぶ元に戻ってきた。
かなりの時間固まってしまっていたようだが、アクルはそんなローワンの背中をずっと優しくさすってくれていた。
倉庫に来たのは昼過ぎだったが、かなりの時間がたってしまった。もう外は暗くなっているころだし、夕食の時間も近づいてきているだろう。
数時間前、両親のことをアクルに尋ねられ、自分でも驚くほどに頭が真っ白になってしまった。
優しい二人の記憶は鮮明に覚えているのに、声も、頭を撫でてくれた暖かい手も今でも思い出すことができるのに。
それにも関わらず、二人の顔だけは、靄が掛かったように何も思い出せなかったのだ。
今までアクルに両親の話をするときや、記憶を思い出すときにも、一度も二人の顔を思い浮かべられていなかったのだと、改めて気づかされてしまった。
庭の花を見た時に記憶が薄れていっているのかもしれないと思ったが、二人の顔だけをすっかり忘れていることなんて、ないはずだ。使用人や、出入りしていた商人の顔ですら覚えているのだ。
せめて、自分の髪色と、両親の髪色が同じだったかどうかくらいは、思い出せてもいいはずだろう。
落ち着いたころ、アクルから両親と自分が描かれた肖像画が飾られている部屋がある。と教えてもらった。
そして、そこにはローワンを絶対に近づけないように、とメイド長が言っていたことも。
両親が亡くなるまでは、屋敷の中にいくつかの肖像画が飾られていたのを覚えている。
確かローワンが5歳の秋の季節に、こだわりの強い画家の一存で、外で家族の肖像画を1枚描くことになったことがあった。
バークレイ領は温暖な気候とはいえ、秋の季節ともなれば少しは肌寒い。普段研究室に引きこもってばかりのお母様は、2時間ほどモデルをしたころに耐えられない!と怒りだした。
結局、2時間では人物しか描くことができなかったため、背景は外の景色ではなく続きを書いた部屋の壁になってしまい、お母様が憤慨していたのを覚えている。
怒りながら画家の文句を言うお母様と、それをやさしく宥める優しいお父様の姿を、今でも鮮明に思い出すことができるのに。
二人が何色の服を着ていて、どのような声で笑っていたのか、記憶の中にしっかりと残っているのに。
そんな両親が、どんな顔をしていたのか。全く思い出すことができない。
「ここだ。」
入口から5分程歩いた場所に、その部屋はあった。
何度かこの部屋の前を通ったことがあるが、大きな南京錠が掛かっていたため中に入ったことはない。
「開けてもいいか。」
扉の前に立ったアクルは、振り返ってローワンに尋ねてくれる。
心配してくれているのだろう。でも、もう大丈夫だ。ローワンはアクルの目をまっすぐに見て、深く頷いた。
「うん。大丈夫」
「わかった。」
扉の方に向き直ったアクルは、右の手を南京錠へ翳す。
どこかからビューっと風が吹き、アクルの手元でつむじ風のような小さな渦が作られていく。
手元に集まった風の渦の先端が、少しずつ細くなっていき、鍵穴にすっぽりと入った。鍵穴から出た風の渦をアクルが軽く握り右へ回すと、カチャリと鍵が開く音がした。
そして扉から外れた南京錠が、カラン、と地下室の床に落ちる音が響く。
ローワンは、ランプを持つ自分の手に力が入るのが分かった。
喉が、からからに乾いている。
「入るぞ。」
部屋の扉を、アクルが外側に開く。
「ランプをくれ」
真っ暗な部屋に片足を踏み入れ、隣に立つアクルにランプを渡す。
ローワンからランプを受けとったアクルは、火を覆うようにしていたシェードの部分を外し始めた。
アクルが中にある火種を覆うように手を重ね、火種に向かってふぅーと息を吹きかける。すると、元々一つだった火種が、火の玉のように複数に分離し、部屋中に散らばっていく。
小さなランプ一つで照らされていただけの暗い部屋が、ふわふわと浮かぶ小さな火によって明るく全体を照らされた。
「火には触れるなよ」
コク、とうなずいてアクルに理解を示し、大きく深呼吸をして部屋を見渡した。
まず目に入ってきたのは、部屋の正面に飾られている一際大きな絵だ。
椅子に腰かけている男の人の、腰から首までが描かれていて、そして
「・・・顔が、見えないわ」
「なに?」
扉を閉めつつ、様子を伺うように見ていたアクルが、ローワンの発した言葉に眉をひそめた。
「肖像画、よね。顔が、白い靄が掛かっているように、何も見えないの」
部屋中に飾られた無数の肖像画、らしきものは、全て顔が白く塗りつぶされていた。男性のような服を着ている者も、子供のような小さな者もすべて。
入口付近で立ち止まったままのローワンを、ふわりと追い越し、正面にある絵の方の横に立ったアクルが、絵の首のあたりを指さしている。
「ここから上が見えないのか?」
「うん、首と、胴体は見える。でも、顔がわからないの」
絵の隣で浮かび上がるアクルが、眉間に皺を寄せたまま、視線を下に向けて止まっている。
また、何かを考えているようだ。
「屋敷の中で今まで肖像画を見たことは?」
「お父様とお母様が亡くなってからは、ないと思う。全部撤去されてたから。」
ふむ。と口に手を当てたアクルは、そのまま部屋の隅の方へふわふわと飛んでいく。そして、部屋の隅の壁にかかっていた一枚の絵を、ガコンと、両手でつかんで壁から剥がした。
「これは?どう見える」
自身の肩幅ほどの絵を両手で持って近づいてきたアクルは、入口付近で足を止めていたローワンの正面にそれを持ったまま立った。
「男の人と、女の人と、それから小さい子供の3人よね。同じだわ。顔だけが見えない」
腕を伸ばし、身体の正面に持っている絵を横から覗き込むように見たアクルは、ローワンと絵を何度も見比べている。
しばらく視線が往復したところで、お手上げだ。とでもいうようにアクルは絵から両手を離した。ふわりと浮いた絵が、アクルの両手から離れてゆく。
「これは、ローワンの両親と、お前が描かれたものだ」
宙に浮かび、片膝を立て手を組み合わせたアクルは自身の膝に顎を乗せて、ふぅっと深いため息をついた。ローワンに起きている事象が、理解ができない、というように。
そんなアクルを横目に見たローワンは、ふわふわと浮かんだ絵を両手で捕まえ、再びしっかりと眺めていた。上から、下まで、少しの情報も見逃さぬように、しっかりと。
絵の中には3人の人間が描かれている。
仕立てのよさそうなベストとシャツを着た男性らしき人物、紫のドレスを着ている女性らしき人物。
そしてその二人の真ん中にいるのは、白い、ふんわりとした触り心地のよさそうなドレスを着た小さな女の子だ。
宙に浮いた姿勢を崩さないまま、その場でくるくると回っているアクルが、裏を見て見ろ。と指をさすので、絵を裏返す。
確かにそこには、両親とローワンの名前があった。
「王歴2014年 秋の季節2月目。これ、覚えているわ。確かに、お父様とお母様と3人で画家に描いてもらったもの」
そう、秋の寒空の下長時間モデルをしたのは、確かにこの日だった。
そして、出来上がった絵に対して、結局無地の背景じゃないか!と怒る母の姿に、父と二人で大笑いしたのを覚えている。
「その時も顔が見えなかったのか?」
「ううん。ちゃんと見えてたはず。お父様が少し瘦せて見えるって、喜んでいたもの」
「ますます、わからん」
胡坐をかいた姿勢のアクルは、横に回るのをやめて、今度は縦向きに回り始めた。さらりとした銀色の長い髪が、床につきそうなほどにだらりと垂れ下がっている。
「描かれている特定の人物の顔だけが見えないなんて、通常では考えられん。過去には見えていたのであればなおさらだ。」
おかしいと言われているのは自分のはずなのに、なぜかローワンは落ち着いていた。先ほど、両親のことを思い出そうとしたときは、あんなにも焦っていたのに。
何故か今は、アクルの言葉が他人事のように響いている。
「魔法とか、、?」
「前にも言っただろう。魔法は万能じゃないんだ。人の精神や記憶に作用するものなど存在しない。それは魔法陣も同様だし、錬金薬でもそんな特定の効果を生み出すのは不可能だ」
できることと言えば、伯爵が盛ろうとした自白剤のように。正気を完全に失わせるようなものくらいだろうな。と、アクルは続けた。
「た、たまたまとか、、、?」
ローワンのその発言はお気に召さなかったらしい。
くるくるとゆっくりとした縦回転を続けていたアクルは、ピタり、と動きを止め、ローワンの方へ近づいてきた。
「あのなぁ、お前自分がどういう状況なのか本当にわかってるのか?」
浮かび上がったままローワンの正面に来たアクルは、腰に手を当て、もう一方の手でローワンのおでこに指をまっすぐに突き立てている。
「すべての事象には必ず原因や理由があるんだ。伯爵の行動にも、今のお前を取り巻く全てにもな」
「う、うーん」
ぴしぴしと、アクルの指がローワンのおでこにぶつかる。
お怒りのようだ。そして先ほどの倉庫でも思ったが、アクルはローワンに触れないわけではないのか。
おでこに繰り返される、精霊のようなものの攻撃が地味に痛い。
「お前は、いま、この屋敷に軟禁されていて、監視もついていて、親の容姿も思い出せないんだ!」
「いたっ、」
単語と単語の間で、リズミカルにローワンのおでこを小突いていた指先が、最後の”思い出せないんだ”!という言葉と共に、勢いよくローワンのおでこをはじいた。
これが本で読んだことのある、デコピンというやつだ。伯爵令嬢のローワンにこんなことをしてくるような人はいなかったため、はじめての経験だが意外と痛い。
「なぜそこまで危機感がないのだ。自白剤も非常に危険なものだ。一度使えば正気に戻れなくなる可能性があるからな。そして門に仕掛けられていた魔法、あれは発動すれば確実にお前を殺すぞ。」
”殺す”。初めて人の口から聞いた、現実味のない言葉に、弾かれたおでこを押さえていたローワンの身体がこわばる。
ようやく自分の状況が理解できたようだな、と目の前の精霊は呆れ顔でため息をつく。
「で、でも。。私にそんなことする理由なんてないし、、やっぱり自白剤も間違えて入れたとかなんじゃ」
「本当に、救いようのない、お花畑能天気め」
腕組みをしたアクルはやれやれ、といった顔で再び宙に浮かび直す。
なんだかこの精霊、はじめて会った時から日を重ねるごとに確実に失礼になっているに違いない。ローワンは寝そべった形で宙に浮かぶ精霊を、ジトっとした目で見つめた。
「でも、やっぱりさ私の髪が」
「待て」
ローワンがつむごうとした言葉を手で制したアクルは、真剣な顔つきに変わった。こめかみに手を当て、何かを聞き取ろうとしている仕草をしているようだ。
「なに」
「給仕係の男が故郷に帰ったことがバレたらしい。上は大騒ぎだぞ」
どうやら風の魔法で地上の様子を伺っていたようだ。
真剣な顔で、眉間に皺を寄せたアクルは、寝そべっていた身体を起こし、指をパチンと鳴らした。
『では、今朝私が門の前で話をしたのは誰だというのです!?』
『わかりません。でも、確かに昨日、辻馬車が給仕係の男の故郷へ向かったのを見た者がいると。』
『なぜそんなこともわからなかったのです!あなたは彼と同室なのでしょう!』
『昨日、伝説を作りに行ってくると言って部屋を出ただけなのです!故郷に帰るとは聞いていませんでした!』
『全く、、。それより給仕係が偽物であるならば、あの子はどこにいるのです!今すぐ地下室に手の空いている者をすべて向かわせなさい。伯爵様が帰ってくるまでに逃げられたなんてことになれば、私もあなたもどうなるかわかりませんよ!手段は問いません。気絶させてでも連れて帰ってきなさい!!』
いつかのように、メイド長の金切り声と、執事見習の男の声が部屋に響き渡った。
”逃げられた”、”手段は問わない”、”気絶させてでも”
今までどこか自分事として捉えられていなかったのは、全てアクルから聞いただけの話だったからだ。こうして、実際のメイド長の声を聞けば、自分がどのような立場なのか、容易に想像することができた。
「ローワン、何人か地下に降りてくるぞ。ここにいるのはまずい。とりあえずどこかに身を隠さなければ」
「な、んで。どういうことなの、、?」
「なにがなんでも伯爵はお前を屋敷から逃したくないらしいな。早くしろ。地の利があるとはいえ、足音からも10人はいるはずだ。追いつかれるぞ」
そんな、どうしたらいいの。
今まで、この屋敷にいるのが安全だと思っていたのに。
ご飯が食べられて、寝るところがあって、雨風をしのげる。この屋敷であれば、安全だと思っていたのに。
「ローワン」
浮かべた火を、ランプに戻し、首からかけた革袋の中に3人の絵を入れているアクルの声が、どこか遠くで聞こえる。
あの革袋、明らかに肖像画より小さいのに、どうして中に入っていくのかしら。どこか、冷静な自分の声が頭に響く。
足が、動かない。
だって、ここはローワンの生まれた家で、ここは、安全のはずで。
「ローワン!」
今までよりもはるかに大きいアクルの声が、部屋に響き渡る。
「しっかりしろ!!ここはもう、お前が知っている伯爵家とは違う!状況は変わってきているんだ!目を覚ませ!」
「ご、ごめん」
アクルの大きな声に、ハッとした。固まっていた身体が、動き始める。
「火を消して、隠れられるところを探そう」
「う、うん」




