閑話 王族対抗歌合戦 34 お乳の匂い
フードゥルのカルネ王太子の奥さん、リアン王太子妃は。
ここ、フードゥルの王宮で、ふわふわと心湧き立ち華やぎ、ニコニコしたかと思えば緊張のそわそわ、立って座って手をニギニギして夫の上着をツンツンし、ハーッとため息を吐いた。
「お部屋は、本当にこれで、よろしかったですわよね?もっと格式の高いお部屋もあるけれど、でも、近しく話せる、寛いだ雰囲気、テーブルの席も近くてソファで、気兼ねない感じがよろしいんですわよね!ああ!我が国の巻角牛の皮ソファ、竜樹様、気に入って下さるかしら?本当に新調しなくて良かったの?」
巻角牛皮のソファは、たっふりと沈み込む、クッションの心地よい上級品であるが。リアン妃がこのお部屋でそもそも使っていた、備え付けの品である。
何が話のきっかけとなるかは分からないのだから、自国の素晴らしいものを知ってほしく、また品良く、押し付けがましくなく。目の前にお出しして、お喋りが盛り上がると良い。
「お菓子も、竜樹様がおっしゃってた、ふりーずどらいの魔道具を使った、カシュって、口溶けが素晴らしい、新しいミルク菓子にしてみたの。これとっても素晴らしいのよ!凍らせて乾燥させる、なんて良くあちらの世界のお方たちは考えたものよね!気に入って下さるかしら?それとも我が国伝統のお菓子なんかの方が、かえって良かったかしら。あぁ、気取らないおもてなしって、難しいわ!我が君、カルネ様!あぁぁぁあん、楽しみ過ぎて、どうしましょう!」
モジモジふにゅふにゅ。
身を捩って悶えるリアン妃を、夫カルネ王太子は、フフフと微笑ましく見守っている。
彼女は、今双子男女の赤ちゃんに授乳中なので。身を捩るとミルクの匂いがふんわりする。それがまた愛しくて。
「大丈夫だよ、おもてなしは完璧だよ。我が妻リアン。そもそも、竜樹様は、受け取り上手で大らかな方だから。こちらが用意したものに、細かくあれこれ難癖つけず、どんなものでも面白がって楽しんでくれると思うよ。気取らないお人柄だし、贅沢はお好みでないしね。それより、そんなに興奮していると、竜樹様にお会いする前に疲れてしまって、お話が充分に出来なかったって後でガッカリしちゃわないかい?」
「!ですわ!そうよね、お、落ち着きますわ!」
ストン、と腰を落ち着けて、お膝の上できゅむと手を握り、すーはー。
リアン妃は、ギフトの竜樹と話すのを、殊の外楽しみに、この日を迎えたのだ。
時代を創り上げてゆく、その手、知らない世界の情報。知的好奇心に、ワクワクしている。
リアン妃は、男社会優勢気味のフードゥルにあって、そこに馴染むような優しげふんわり雰囲気を、ニッコリ裏切る才媛であり賢妃。
女は出しゃばらないがよしとされ、なかなか黙って座っていては得られない、自分の知りたい心をワクワクさせるギフトの竜樹。
夫カルネから、その人となり、成してきた事、会話のあれこれを聞くに、穏やかでいながらも、時代をツンツンと突いては変えてゆく特異点となっている、かの方。
熱心に竜樹の話を聞くリアン妃は、もはや竜樹推し、と言っても過言ではない。
知識の宝庫なだけじゃない。
それが欲しいだけなら、竜樹が持っているスマホから、ジャンジャン情報をクレクレすれば良いだけの事だ。
だが、知識はどこで、どう使うかなのだ。
進むばかりで轢き殺されるあれこれ、鋭くやれば弱肉強食、時代の流れは奔流。
全てに目を配る事は出来ない。それは分かっている。
人々は時代の流れに、それぞれ対応していこう、生き抜いていこうとする力を、荒波の中模索する。
そして、対応できない、ぽろぽろ溢れる弱者がある事を分かりながらも、上に立つ者は、時に、厳しく切り捨てる事も考えて大局を見る。
だけど、そうしなくてもできる、方法を探そうよ、きっかけだけでも、皆で、一人一人でやろう、いい方向に行こう、といつもショボショボの目で、アイデアを出して、笑っている。
知識を、情報を、こちらの世界に、出来るだけ、まぁるく差し出そうと努力するところが、また素敵なのだ。
優しさは、何でもホレホレと、ギフトしてくれる事じゃない。
そんな事を熱っぽく言うリアン妃。ウンウン、と聞いてあげるカルネ王太子。
シエルは、タハッと笑った。
仲良しの兄夫婦に、ちょっとイイナもありながら、若干呆れの、カルネの妹、蜂蜜髪の第二王女シエル。
姉の黒髪第一王女エクレも、煮凝りのような自分より美しい妹への嫉妬、蟠りはもう、微かになり、今は笑って兄夫婦を見ている。
エクレとシエル。
竜樹を手に入れようと画策して意地悪言って、新聞寮の小ちゃい子組をわぁわぁ泣かせたり。今はお母さんシェルターでお父さんとお世話になっている少女リーヴちゃんにオイタをしたので。
神鳥オーブに眉間に足跡、お仕置きされて、パシフィストで平民扱い、竜樹の新聞寮にてタダ働きで修行中。
最近は大分馴染んで、お風呂上がりに着替えを手に、裸の子供たちを追っかけたり、子供たちがマダラカマキリ手に持って見て見てわーい「ぎゃー!」なんて追っかけられたりしている。
罪の証、眉間の、神鳥オーブの足跡もそこそこ薄くなり。一緒に過ごす子供ら、浮浪児だったジェムたちの境遇、影響もあって、2人とも考える事が正しくきっと増えたのだろう。
周りから見ていても分かる、態度の違いに、今回、王族対抗歌合戦に参加してもいいよ、と。
竜樹の許しが出て、新聞寮の子供たちにお世話され……、いえいえ、子供たちのお世話をラフィネ母さんたちに任せ、フードゥルに来ている。
そして、成人向けやらしい映像や写真本などの事業を言い出した、乙女の敵、ギフトの竜樹に。ちょっとこのヤロウ感のあるシエルは、ケッケッと、竜樹を呼び捨てである。
「竜樹なんか、粉にお水とお味噌とちょっと大葉?なんかを刻んで混ぜて焼いたかんじの、かーんたんなオヤツで普段うまうましてるんだから、気にしなくても良いのよ。庶民舌ってやつよね。ゴマとか、お芋のやつも美味しいわ、う、うぅん!私も子供たちと倹しく暮らしていますのよ、オホホウフフ。」
格好つけても、たらし焼きや芋餅、シエルも割とお好みのようだ。
「不思議とそんなものが美味しいのよね。全然、こちらの王宮で食べていた凝った繊細なお菓子なんかより、単純なんだけど。皆でワイワイ、ホッとして、ペロリと食べちゃえる、普段着の味なの。私が作ったりも、するのよ。」
たらし焼きならば得意なエクレも、ちょっとニマッ、お鼻をツンとしている。
黒髪の渋いオヤジ、フードゥル王アジェンダもその場にいる。
道を外れかけた娘2人、エクレやシエルが。特別扱いしてくれない他者の中で、ちゃんと成長しているなぁ、とニコニコ笑ってお茶など飲んでいる。息子の嫁は可愛いし、息子はしっかりしてるし、カカカ。良き良き。
「リアン妃殿下。少しばかり、はしたなくはありませんか。常人ならざるギフトの竜樹殿とはいえ、相手は未婚の成人男性。貴女様は少しばかり前に出過ぎの女性と皆が知ってはいますがね。迎えるにあたり、そこまではしゃぐなど、そこに疾しい、男女の気持ちがあると思われても仕方ありませんよ。」
ふん!と鼻息も荒く腕組み、嫌味に面白くなさそうなのは、オヤジとまではいかないが、30代ではあるだろう。それはそれは美しいトゥルントゥルンの紫銀、ストレート髪。瞳は睨んで太々しくも、だがしかし、魅力的に輝く、黒に銀の星が散る。
歳の離れた王弟、マージである。
バチィ!と視線がぶつかり、弾けたのは。きっと気のせいなんかではない。
ニコッ!と笑んで、リアン妃は少しだけ戦闘の気配を心に刃、それは忍、隠して返す。
「あらあら、マージ王弟殿下。まだお会いした事もない殿方に、そのお人柄のお噂でウキウキしたところで、罪もない女の、単なる応援心でございますわ!」
「その応援心が疾しいと言っているんです。貴女は夫もいる身でしょう?女性は慎ましく。疑われるような事はしない。私が言わなければならない事でしょうか?お分かりでない?」
イヤイヤイヤ。
何なのよ。
男と女がいれば、即やらしい関係とか、ないんだわよ。色も欲もない、憧れとか尊敬とか、年齢や性別を超えた、純粋に人として好きな気持ちだってあるんだわ。
もちろん王太子妃として、女性としても、竜樹に馴れ馴れしくしようだなんて思っていない。線引きをキチンとするのは、大人として当然の事だ。
それは、お互いの安全のためでもある。
だが、ファンなのだ!
ちょっとくらい浮かれても、夫カルネだって微笑んでいる程度のこと、何でマージ王弟にツクツク言われなきゃなんないのだ。
そんな事を言うのは当人が、女とみれば単純に、もれなく性的対象だと思ってる証拠だ!ヤラシイのはどっちだ!!
とリアン妃は思う。
目を、ぱち、ぱち。ウフッ、する。
「そうですわねぇ。マージ王弟殿下ほど見目麗しい殿方ならば、寄ってくる女性にすべからく恋慕の情がないか、気をつけなければなりませんでしょうが。」
「ああ。非常に面倒に思っているよ。いつも。女性というのは、男がいなければ生きていけない弱きものですから。財に容姿に力にと、優れた男を選びたいと思うのは、本能なのでしょうね。」
ふぁさっと前髪かき上げる。
うんざりした顔も。そりゃ麗しいが、鼻につく。
へー。
(私はそういう基準で我が君カルネ様を選びませんでしたが。)
マージの事なんか、知るか。
「竜樹様は、愛すべきではあっても、そういう情を催させないお方のようよ。かの方に集まる女性は、純粋に、そのお人柄を慕っての事なんでしょうね。私も夫、カルネを勿論、敬愛していますが、仲良くお話させていただければ、と思うわ。男女の話ではなくて、お国のあれこれ、女性の活躍についてとか!かの方は、女性に損な役割を押し付けたりしない、漢気のある方ですから。」
「それは私に、漢気がないとおっしゃっているんですかね。」
フンッス!
マージ王弟はエラソーに足を組む。
「マージ。」
兄のフードゥル王アジェンダが、う、うぅん!と咳払いをする。
鋭いマージ王弟のチロ目は、一旦閉じられたけれども。
「大体、客の支度など、下々の者に任せて鷹揚に座っていればよろしい。女性というのは、奥で、大切にされるべきものなんです。カルネ王太子殿下もなんですか、貴方が甘やかすから、リアン妃殿下がこのように前に前にと出られるんですよ!私であれば、妻には決してこんな真似はさせませんよ!」
「あら、そうかしら。」
カルネ王太子は、ただ薄ら微笑んで。口を湿らせるほどにお茶を飲んで、静かにジッと叔父を見る。
マージ王弟は、フンッス!とまた鼻息である。
「ラベイユ様はどうなの?マージ王弟殿下に、この際ひとこと、言ってやりたい事なんて?」
冗談めかしてリアン妃が、ウフッとすれば。
「妻に不満などある訳ないでしょう。カルネ王太子殿下じゃあるまいし。」
「私は………。」
ラベイユ王弟妃。
リアン王太子妃と、学園で同級生だった彼女は、実はカルネ王太子の妃の座を巡って、本人たちの意向は無視して、周りからライバルと目されていた女性である。
大人しくて、淑女教育はしっかりと、だけれど知識はそこそこ、賢しらがって男の人の前に、けっして出ない。内気な彼女は、とても可憐である。
白い肌に美しく光る、波打つ亜麻色の髪、小さな顔にヘーゼルの瞳。レースのリボンで編み込んだまとめ髪は、きっちりしている。ほっぺは薄桃色で、ハイネックの、飾りの包みボタンが沢山付いてガッチリ、防御力の高そうなドレスは、落ち着いた臙脂色。
身長が低く、ちまっと可愛らしい彼女には、防御力が高すぎるドレスは、あまり似合わない。ふわふわとした、柔らかい雰囲気のものの方がしっくりくるだろう。
そして、その違和感をまとめ上げている表情は、どこか悲しげ。
何を考えているか、分からないけれど。
ラベイユ王弟妃は、結婚する前から、いつも、どことなく悲しそうなのだった。それが地顔だ、という事もあるかもしれないが、笑った所を誰も見た事がない、と噂になるほどなのだ。
リアン妃は、彼女を、特別隔意なく思っているし、王族親族として、仲良くできるならしたいなぁ、という気持ちがあるのだが。
今まで、マージ王弟殿下や、結婚前は周りの味方を気取る連中に邪魔されて、腹を割った話が全然ラベイユとできていなかった。
で、ここまできた。
ラベイユ王弟妃は、悲しそうな顔を、ふっと俯けて。
「私は、マージ様に救って頂きましたから。だから、だから。」
私が彼にどう思うか、なんて、言っていい立場ではないんです。
「私は、ただ、生きていればいいだけの、お飾りのお人形ですから。お人形は、そこにいることが、お仕事です。例え、飽きて放り投げられても、床で、そのままに。それが私などにできる、唯一の恩返しの仕方ですから。」
シーン
と音のない音が空間。
はふ、とマージ王弟が、焦りながら。
「ラベイユ、何を言い出すんだ!私は君をちゃんと大事に扱っているだろう!リアン妃殿下のように仕事もさせないし!服も宝石も、欲しいものに何も不自由させていないはずだ!」
「申し訳ございません。はい、大事にしていただき、ありがとうございます。」
固い。夫婦なのにちっとも親しみのない2人に。
第二王女シエルが、ジトッと半目で。
「マージ叔父様、何やってらっしゃるの?仕事しなくていい、っていうのは、別に大事にしてるうちに入らないわよ。家でだって女主人の仕事ってものがあるんですし。それに、買ってやったんだぞ、っていうのは、なんか上から目線じゃないの。プレゼントは嬉しいけれど、自分で働いたお金で物を買うって、素敵なことなのよ?」
シエルは無給で働いて、働いて?いるが、良くやってるね、なんて時々竜樹からお小遣いをもらっている。
キャーッ!と喜んで、ラフィネから化粧水を有料で小瓶に分けてもらったり、美味しいお菓子を買い食いしたりしてるのだ。
エクレもウンウン、と頷いて援護する。
「だから!」
マージ王弟は、ラベイユの手を握って、ソファの隣、覗き込み。
「女主人の仕事もさせてやしません!エクレ王女殿下とシエル王女殿下は強かでしょうが、ラベイユに仕事なんかさせたら、か弱い君はどんなに傷つくか!私は心配しているんだ!大事に大事に、私の妻は、割れやすい卵のように、綿に包んでそっと扱ってやらなければ!それが男の甲斐性ってものでしょう!」
えー!
リアン王太子妃、エクレ王女、シエル王女は、何を言い出すんだこのオジサンは、とお口がパッカリ開いた。何か分かってる風のフードゥル王アジェンダと、王太子カルネの沈黙も、痛い。
「じゃあラベイユ様は、お家でいつも何をしているのよ。お家にいるのがダメなんじゃないけど、叔父様、ラベイユ様を外にも連れて行かないじゃない。そういえば。今日みたいに連れてきたかと思えば、何だか固い地味な格好をさせてるし。ラベイユ様って、元々はもっと可愛らしい格好をなさる方じゃなかった?家でもこんななの?趣味はそれぞれだけど、結婚したからって、急にあんまりにも地味じゃない?」
竜樹の所に行くまでは、シエルやエクレたち姉妹、全然興味もなかったラベイユ妃のプライベート。
けれど、思い返せば不審な点。
「そうなのよね。刺繍や、本を読んだり、お家でできる事はいっぱいあるわ。だけど、いつも、ラベイユ様、お会いする度に、あんまり幸せそうじゃないなあ、って思っていて……、ごめんなさいね。」
リアン王太子妃は、ひやひやと思っていた所があったらしい。
「失礼な!ラベイユは幸せに決まってる!私と結婚したのだから。服は家ではちゃんと可愛くしている!私以外の男に見せるために、可愛くする必要がないだけだ!」
えー!?!?
「さいてい!」
「おうぼう!」
「男の余裕ってやつが、ありませんわね。」
ラベイユ王弟妃は、俯いたままだ。
「貴女たちが強かなだけだ!可愛いラベイユが竜樹などという女性と雑魚寝なんぞする下賎な男に迫られたら!ギフトだし、お国の事もあれば、嫌だとなかなか言えないだろう!」
「………竜樹様は、ちゃんと相思相愛のお相手がいらっしゃるから。そんな失礼な事はなさりませんよ、マージ叔父様。」
カルネ王太子が、お茶をしんみり飲む。アホなのかなあ、この叔父様。
「分からないぞ!パシフィストの子連れと、エルフの王子と、相手が2人いるって言うじゃないか!3人目はフードゥルから、とか言いそうだろ!」
いや、言わないだろ。
う、ぅうん!
リアン王太子妃、咳払い。
「まぁ、ドレスはご心配のあまり、ということね。お家では、何をされているの?別に暴いたりする気持ちじゃありませんのよ、夫婦には、夫婦なりの形ってありますもの。でも、もし良かったら、聞かせて欲しいの。」
すっ、と立って、ラベイユ王弟妃の隣にチョンと座って。マージ王弟の逆側である。
手をギュッと握ると、細い手は、震えていた。
「起きて、身支度をしてもらって、朝食をいただいて。庭をお散歩して……、刺繍も、根を詰めると疲れてしまうよ、って怒られてしまったし。美しいお部屋で、ただ、ボーッと外を見ているのですわ。飾られているの。昼食を食べて、お散歩をして、少し本を読んで。でも、読んで良い本が、決まっていますの。買っていただけないのじゃないのです、でも、マージ様がお気に召さないものは、ダメだよ、っておっしゃられるの。ボーッと外を見ながら、侍女と少しお喋りなんかして……、でも、身分の差があるでしょう、ほどほどにって怒られてしまったの。ボーッと外を見ながら、時々お散歩して、夜になって夕食を食べて、何もしないで、早く寝るの。」
「私はお飾りだから。ただそこに、美しくいれば良いのですって。居てくれればいいよ、って。子供を産んだりするような事や、マージ様のお相手は、されなくて良いって。」
マージ王弟は、もぐもぐと何事か口ごもり。
リアン王太子妃は、震える、震えるラベイユ王弟妃の手を、優しく、ニギニギ、ギュッとした。囁くように。
「うん、そうなのね。それで?」
悲しげな瞳は、潤んでポツリ、涙が今にもふるふると溢れそうに雫が揺れて。
「わたし、わたし………、マージ様を、お慕いしているの。カルネ王太子殿下のお妃様になれなかった時、私、家で、居場所がなかった。皆、かわいそうなラベイユ、って哀れんだわ。価値がないもののように、おっしゃる方もいて、お父様は怒っていらした。怖かったわ。………それを、マージ様は、助けて下さったわ。私のところへくるかい?って、その時、私に、選ばせて下さったの。一緒にいて、ダメな事も沢山あるけれど、本当に大事にして下さるのよ。浮気もなさらないし。だから、だから、もっと、って望んでしまうの。」
「ラベイユ、君……。」「シッ!」
リアン王太子妃が、鋭く、狼狽えるマージ王弟を留める。
「もっと?もっと、何が欲しいの?」
「ほんとうは、こどもが、ほしい………。」
きゅうううぅ、と目を瞑った、か細い望みに、ぽろ、ぽとん。涙がドレスに落ちる。
「ダメだダメだ!!!」
バッと立ち上がって叫ぶマージ王弟は真っ赤になって興奮している。
「子供なんて産んだら、ラベイユが死んでしまうかもしれない!お産は危険なんだ!子育てだって大変で、仕事すらやらせないのに!女性を酷使したら、エマ様のように、使い潰されて死んでしまう!!」
エマ王妃。
現フードゥル王、アジェンダの妻であり、シエルの次の子を流産した後、体調が戻らず、何年か王妃の仕事をしながらも命が保たなかった女性。
聡明で、彼女が生きていれば、フードゥルはもう10年先を歩いていた、と言われている、リアン妃ともまた違った威厳のある、賢妃であった。
「マージ、お前まだエマの事を……。」
兄王アジェンダは、もう、タハーである。
「マージ様が、本当に愛してらっしゃるのは、亡くなられたエマ王妃殿下でいらっしゃるの。私、知っていたわ。」
でも、それでもいいの。
私が、マージ様を、好きなんだもの。
ポロポロ、落ちるラベイユの涙に、カルネ王太子は、トントン、とローテーブルを人差し指で叩く。
「マージ叔父様は、エマお母様が初恋でいらっしゃいましたよね……。エマお母様が、仕方のない叔父様ねえ、と私に笑っていましたっけね。でも、流石にもういいでしょう。ちゃんと今の妻と向き合ってはいかがですか。少年じゃないんだから。」
甥っ子カルネにバッサリやられて、マージ王弟は真っ赤なまま。
「初恋だから何だって言うんだ!それとこれとは別の話だ!兄上も兄上だ!エマ様に無理をさせて死なせたのは貴方だ!私は絶対に、自分の妻にそんな事はさせないと………。」
「あのう。」
お取り込み中、ですよね。
アハ、と笑った竜樹が、ドアを開けて、澄ました顔をしている老侍従の脇からひょっこり。
ギフトの竜樹、ショボショボ目の、くしゃくしゃ髪を今日は何とか撫で付けて、マントがひらりである。手をフリフリしたりなんかして。
「竜樹様!」
「た、竜樹様!」
「た、竜樹!聞いてよちょっと。何とかしてよ!この叔父様!何か言いくるめるの得意でしょ!」
「うん、割と前の方から、聞いてました。」
澄ました侍従は、口だけニヤリ。
フードゥル王家に長く仕える、侍従長は辞したが、老後も働きたいと、親しみあるカルネ王太子や、時にフードゥル王アジェンダでさえ、一言意見を聞く事があるような、そんな気の利くおじいちゃんである。
アハハハ!と竜樹は笑う。
「お産が怖い、って、何だか孤児院の小ちゃな女の子たちみたいな事おっしゃるんですねえ。マージ王弟殿下。」
「なっ!」
足の間から、赤ちゃん産むの?
こわい。痛いの?血がでる?
お産のテレビみたの。苦しんでた。
私、おおきくなっても、赤ちゃん産みたくない、こわい。
何か赤ちゃん、ぬめぬめしてた。
どうして女の子だけが、赤ちゃんうまなきゃなんないの?
男の人も。子供うめばいいのに!
「アハハハ。な〜んて言ってるけど、大きくなって女性として成長すると、まあ多くの女の人は、産む産まないをもっと積極的に選択肢として、考えるようになるんですよね。リスクがあって、得るものがあって、そして自分はどうしたいか。血が出るからこわーい、なんて簡単に言っちゃえないのです。」
カッとなって紫銀の髪を振り乱しながら、指さしダム、ダム!
「べ、べつに血が出るから怖い訳じゃない!」
「うん。ですよね。でも、怖いんですよね。失くすのが。痛みに耐えられない、弱さがそこにある。ラベイユ王弟妃殿下は、マージ王弟殿下に管理されて、あれこれ言われても、我慢して事情も受け入れて、その先に目が向いているのに。」
怖がりな大人の中の少年を愛している、少女のような見かけの、大人の女性。
歪でいて、美しいもののように見えるけれど、それは壊れやすい、今にも砕けそうな脆さで、繋がっている。
するん、と部屋に入ってきた竜樹は、ぺこん。お辞儀をして、勝手にソファに座る。ニコニコ、ショボショボ。
「怖い怖い、って甘えてないで。許されているからといって、いつまでも止まったままでいないで。大人になるって、自分にとって怖いこと、痛みを引き受ける覚悟が必要なんですよ。あなたの奥さんは、ずっと先の未来を見ている。止まったままでいれば、いつか置いていかれますよ。一緒にいるのに、一緒にいない、これほどつまんないことないでしょ。何のために夫婦やってんだ、ってなるし。」
「結婚してないお前に何が分かるんだ!」
マージ王弟を、止める者がいない。
ギフトの竜樹に失礼だ、国益を失うと、誰も止めはしない。いや、王様アジェンダは、手を、やめ、やめ、と前に出してるけど。
「何にもワカンナイですよー。だから、お話、しましょう?」
フニャ〜!ふぎゃー!と泣き声が聞こえてくる。開いたドアの向こう、近づいてくる。赤ちゃんの、お乳を欲しがるふにゃふにゃだ。
「あららら。私ね、私だわ。」
リアン王太子妃のお胸のパッドに、じんわりお乳が漏れ出てきたのは、本人にしか分からなかったけれど。
甘いお乳の匂いの中、その泣き声を聞いて、ラベイユ王弟妃が、一層、ひー、と息を吸い込んで泣いた。
長くなってしまった!
朝、忙しい方とかすみません。
フロマージュ兄妹の話とも、先で、繋がってゆくよ!




