◆21話 エピローグ
私は現在、日下くんとお付き合いをしている。
日下くんを好きな人間がこう書くと、妄想か願望か虚言かのいずれかを疑われそうだが、紛れもない事実である。
数か月前、日下くんに告白をした結果、実は日下くんも私のことが好きだったという幸せ過ぎる事実が発覚して、こうなった。二度目に抱き締められた際、私は胸きゅん供給過多により気絶したのだけれど(人生で二度目)、今もこうして元気に生きている。今日も全力で、日下くんの恋人になったという幸せを享受している。
あまりに幸せで実感が湧かないので「日下くんと付き合ってるなんて夢かなこれ……」と呆然自失で呟く私を見かねて、日下くんはわざわざ交際の証を書面に起こして、拇印まで押してくれた。もちろん感涙しながら押し頂いて、額に入れて部屋に飾っている。日下くんと同じ高校に入って以降、小宮家の家宝の増加は留まるところを知らない。もはや彼には小宮家のアンバサダーになって欲しい。
日下くんから「ずっと前から好き」だと言われた時には、衝撃を受けたものである。
ずっと前から。全然気づかなかった。
私が日下くんと初めて出会ったのは中学一年生の時だから、きっとその頃からなのだろう。中一の頃の何も考えていなかった私を見られていたと思うと恥ずかしいと同時に、そんな時から好きでいてくれたんだという嬉しさもある。
放課後、冬の外気をダイレクトに反映して率直に寒い部室にて、パイプ椅子に腰掛けそわそわと待っていたら、まもなく日下くんが姿を現した。近頃の日下くんは常に後光を放っているので眩しい。
「日下くん!」
「小明ちゃん」
この部室で発生した「見切り発車うっかり愛の告白事件」以降、日下くんは私を「小宮さん」ではなく「小明ちゃん」と呼ぶようになった。呼ばれるたびに耳が幸福である。そのうち福耳になるかもしれない。
なお、私はまだ「深幸くん」と呼べるだけのキャパシティを有していないので、今まで通りの日下くん呼びを継続している。
名前で呼んでもらえる幸せを享受しているにもかかわらず名前で呼ぶ勇気が出るのはまだ先になるかもしれないことを謝罪したら、日下くんは穏やかに微笑んで「気にしないで。もちろん名前で呼んでもらえたらすごく嬉しいけど、小明ちゃんのペースでいいんだよ。むしろ小明ちゃんとの交際を果たした衝撃の余韻が引かない今の状況で名前呼びまで叶ったらもう色々と歯止めが効かなくなりそうだから、まだ日下呼びでいいよ。小明ちゃんの安全のためにも」と言ってくれた。
私が「深幸くん」と口にするだけで心拍数が異常値を記録することを見越して、私の心臓の安全を優先してくれるなんて。安定の優しさである。
「あっ……そう言えば日下くん」
本日の部活ミーティングを始める前に、ふと思ったことを訊ねることにした。
「うん?」
「私、巨乳とは対極に位置する胸囲だけど、その、そこは気にならない……?」
「……。……。……?」
「ほら、中学生のとき、胸の大きい女の子が好きだって、小金井くんに言ってたから」
不可解そうな顔をしていた日下くんは、私の言葉で当時を思い出したようで、「ああ」と言って笑った。
「あれは、小金井に好きな女の子のタイプを訊かれたから、小明ちゃんのことを考えながら答えてたんだけど、あまりに小明ちゃん過ぎると思って、慌てて真逆の特徴を言ったんだよ。恋心がダダ漏れはよくないって顧問の先生や兄さんに教わったから」
「そうだったんだ……!」
「うん。それに、僕はどんな小明ちゃんでも好きだよ。たとえ小明ちゃんが、髪が短くてストレートで古典が苦手で回転焼きが嫌いで足が速くて身長190cm以上になったとしても、今と変わらず大好きだよ。小明ちゃんだというだけで、僕は小明ちゃんを好きになる」
「日下くん……!」
日下くんはこうやって毎日、すでに落ちている私の恋心をさらに落としにかかってくるから油断ならない。私の心は今頃、地球のマントルに到達しているだろう。
私だってもちろん、日下くんがどんな日下くんに変わっても、日下くんだというその理由一つで、ずっと彼のことが好きだと思う。
たとえ彼が日の光のような今の日下くんから、ツンと冷え切った氷点下くんに路線変更しようとも、変わらずに恋に落ち続ける自信がある。むしろ冷たい瞳で見下ろされたらそれはそれで胸きゅんすると思う。いつかお願いしてみよう。
「えへへ、じゃあ、前髪をオン眉ぱっつんにしなくてもよかったね」
「小明ちゃんの今の前髪、すごく可愛くて好きだよ。僕の言動のために切ってくれたオン眉ぱっつんだと思うと愛おしさが止まらない。世界で一番可愛いおでこと言っても過言ではないよ」
「マントル突破……」
「マントル……?」
生涯オン眉ぱっつん前髪で生きることを胸に誓っていると、日下くんが「そういえば小明ちゃんは中学の頃より身長が少し伸びて今は154.9cmになったね」と言った。自分でも知らなかった身長の微増を把握している日下くんの観察眼に惚れ惚れである。
と、幸せな空気で満ちている狭くて最高な部室の扉が、がらりと開かれた。
「よっす」
「ちわー」
日下部の頼れる幽霊部員、沼姫ちゃんと神谷くんである。今日はのっぴきならない事情のために、ブルーライト担当であるはずのふたりを呼んでおいたのだ。
「ふたりとも、来てくれてありがとう!」
「大事な部の危機とあってはね」
「駆けつけないわけにはいかん」
ぐっと親指を立てる沼姫ちゃんと神谷くん。相変わらず頼もしい。なお、部室に入るのが初めてな二人は、興味深そうに辺りを見回していた。
「あかりんの部長タスキと部室の貼り紙、日下氏が書いんだってね。さすがは中学生時代、その鬼気迫る筆致から『鬼の書業』の二つ名をほしいままにした男だな」
「うん、僕にそんな二つ名があったことを初めて知ったよ」
「俺が聞いたのは『四人目の三筆』の方の異名だったなー」
「うん、三筆に四人目を捩じ込んじゃ駄目だよね」
和気藹々と全員集合したのはいいけれど、狭くて最高な部室は二名が定員というポテンシャルを如何なく発揮し、ギチギチになった。仕方がないので全員で退出し、廊下でミーティングを始める。
「今日、日下部初の全員集合ミーティングを開催したのは、他でもありません……。部の活動実績を提出するよう、生徒会に求められたからです!」
年に一度の提出義務があるという、部の活動実績。これを出さないと意義ある部活と認められず、良くて是正勧告、悪くて廃部になるのだと、屈強な生徒会役員の方に告げられた。
日下部には試合も大会もないので、資料をまとめて提出しなければならないらしい。部の活動実績なんてまるで考えていなかった私は慌てた。日下部の存続の危機である。
「先日その件を宮に相談されたんで、んじゃま資料を出しますかということでまとめたのがこれ。文章は姫、デザインは俺です」
そう言って神谷くんが出した紙の束は、論文のような格調高い文章で綴られた活動記録が、見やすい配置とカラー写真で目に優しく仕上げられた、ものすごく素敵な資料だった。
「す……すごいよ沼姫ちゃん、神谷くん……! なんか、すごく、資料だよ……!」
日下部でどういうことをしてきたのかを沼姫ちゃんと神谷くんに訊かれ、私はありのままを脈絡なく喋っただけのなのに、この仕上がり。資料を手にした手も震えようというものだ。横から覗き込んだ日下くんも感嘆している。
「別にそこまですごくないから。実際、あかりんと日下氏がしっかり活動してくれてたから、それを文章に起こしただけだよ」
そっぽを向いてそっけなくそう言う沼姫ちゃんだけれど、耳が赤かったので照れているらしかった。そして私は乙女心に配慮をしてそのことを指摘しなかったのだけれど、神谷くんが「あはは姫すげー照れてるー可愛いー」と笑い、沼姫ちゃんにコークスクリューブローを食らって床に沈んだ。
神谷の容体は気にするなと沼姫ちゃんに言われ、日下くんと一緒に、じっくりと日下部の活動記録に目を通す。
青空書道をしたこと。
屋上でラジオ体操をしたこと。
四つ葉のクローバーを探す過程で校庭の草むしりをしていたら、感動した美化委員長が参戦してくれたこと。
クラスメイトの折場くんと水崎くんが弓道部の再建を目指していたので、荒れ果てた弓道場の整備を手伝ったら、水崎くんがお礼に「いつでも折場を顎で使える券」をくれたこと。
科学部に頼まれて行方不明の人体模型を捜索した結果、オカルト研究部が秘密裏に持ち去っていたことが発覚、部の抗争に巻き込まれたけれど最後はみんなで盆踊りをして仲良くなったこと。
高校創立以来伝わるという学園棚不思議を追い求めて校舎中の棚をひっくり返した結果まさかの棚ドン二回目をいただき、そのとき落ちてきた古い封筒の中に宝の在り処を示す暗号が書かれていて、顎で使える折場くんと推理小説研究部と一緒に挑んだ結果、裏庭の木のそばに埋められていた初代校長先生のポエム帳を発見したこと。
ほかにも、ほかにも。晴れの日も曇りの日も。雨の日でも乾燥注意報が出ている日でも。主戦場である屋外でも、趣向を変えて屋内でも。
綴られているのは間違いなく、日下くんと私が重ねてきた日下部の活動記録だった。
日下くんを見守る日下部から強引に路線変更した結果の日下部だったから、果たして「有意義な部活」と認められるだろうかとハラハラしていたのだけれど、こうして沼姫ちゃんと神谷くんがまとめた活動記録で振り返ると、不安な気持ちはどこかに行った。
こんなに有意義な部活はそうそうないと、断言できる。
「この活動記録が通らないわけがないよ……! 提出して来るね!」
いってらっしゃいと手を振る三人に見送られ、誇らしい気持ちで部長会議へと向かった。
活動記録は、滞りなく受理された。
翌日。
放課後、日下くんと私は部室に向かい、沼姫ちゃんと神谷くんはオンラインゲームに情熱を燃やすべく家に向かった。無事に存続が決定した日下部の通常運転である。
「小明ちゃん、帽子は持ってきた?」
「うん。昨日洗ったから、まだちょっといい香り!」
熱中症の危険がない冬であっても、万が一に備えて帽子を被るのが日下くんとの約束だ。被るのはもちろん、日下くんとお揃いの白い野球帽である。ミーティングを終えて外に出たら、念入りな準備運動も欠かさない。日下くんは私のふくらはぎをとても心配しているから、特にアキレス腱はしっかりと伸ばす。
本日の部活内容は、雪が積もった日に備えて雪合戦の練習である。この提案をしたら「イメージトレーニングは大事だよね」と日下くんが褒めてくれたので鼻が高い。
中庭の日当たりの良い場所で、日下くんと並んで立ち、投球のポーズを取る。
「どうかな日下くん!」
「完璧だよ小明ちゃん」
今日も私は日の下で、日下くんを見守り日下くんに見守られ、日下部の活動に励んでいる。
終
日下くんを見守る小宮さんと小宮さんを見守る日下くんの物語、これにて完結です。
見守り合うふたりを最後まで見守ってくださった読者のみなさまに、感謝申し上げます!




