8話
「おッ、逢瀬さんじゃないですか! スーパーにいるだなんて珍しいっすね」
突然名前を呼ばれて振り返るが、祖父の名字も逢瀬であることに気付く。
「……お前、今から時間あるか?」
「あるに決まっているじゃないですか、もうすることなんか家でテレビ見ながら将棋でも打つくらいしかないですよ」
あはははと笑っている若い男は僕たちと目が合うと挨拶をしてくる。
「こんにちは。冷泉くん、俺のこと憶えているかな?」
「い、いえ。どちら様ですか?」
「あははは、そうだよな。憶えているわけないか。横の可愛い外人さんは冷泉くんの彼女?」
レニーニャの方に視線を変えて、冗談か本気か分からないことを言ってくる。
「と、友達ですよっ!」
「はじめまして。レニーニャ・ネッコトスと申します。以後、お見知りおきを」
「おおおお! 日本語上手ですね! 俺、須原 康人です! よろしくね! いやあ、この辺りは若者が本当少ないっすから。レニーニャさんみたいな美人な人、すげー目立ってますよ!」
思い出した。この人は祖父の家の近くに住んでいた人だ。5年ほど前まで夏になると一緒に遊んでいた。今はきっとこの辺りに住んでいるのだろう。
「康人、お前、暇ならこの子たちを水族館に連れて行ってやってくれないか?」
「水族館!?」
驚きっぷりから見ると、嫌なのだろうか。
「あんなところで良いんすか!? 俺、もっと別の場所まで行きますよ! 何なら金沢にだって行きますよ!!」
「レニーニャさんが水族館へ行きたがっているんだ。連れて行ってやってくれ」
「なるほど! リョーカイっす! 責任を持って水族館へ連れて行きます! さ、向こうにある黒い車に乗ってくれ。俺の愛車なんよ」
指さす方向には黒い車が何台も停まっているので、どれが須原さんの車なのか分からない。
「これ、あの子たちの入場料だ。余ったらお前にやる」
「いらねえっすよ! 俺が入場料くらい出しますよ。どしたんすか、逢瀬さん。水くせえじゃねえっすか! 何も心配いらねえっす! 俺だってもうオトナっすから! だからこれは、逢瀬さんが取っておいてください。それじゃ!」
祖父の手に一万円札を握らせて、僕たちを車の元へと案内してくれた。
車に乗り込むと、すぐに発進させた。窓の向こうには祖父が僕たちのことを見送っているわけでもなく、軽トラックに乗って帰路についていった。
「冷泉くん本当に久しぶりだな。まさかそんな可愛い外人さんまで連れてくるからビックリしたよ」
「いや、別に彼女とかそう言うわけじゃ……」
「レニーニャさんだっけ? どうして水族館なんかに行きたいの?」
そっと彼女の方に目を向けると、淡々と言葉を紡いでいく。
「私のいた場所には水族館と言う場所がなかったの。それで地球の水族館と言う場所はどんな場所なのか気になりましたから」
上手いこと誤魔化したつもりだろうが、思い切り地球と言っているので自分は宇宙人であるとアピールしているとしか思えない。
「レニーニャさん本当日本語上手いっすね! 水族館って言ってもそんなすごいもんじゃないっすよ! 海の方が俺は好きだな」
須原さんはレニーニャのことを外国人としか思っていないので、地球の水族館と言う単語にも全く気付いていなかったと言うよりも、気にしていなかった。
この辺りの人は海を愛している。
海からの恩恵を受けて育ってきたのだから無理もないはずだ。
職はほとんど海関係なのだ。漁師の割合が多いが、船関係も多い。結局どこかで海との繋がりがあるのだ。
「冷泉くんは水族館行ったことある?」
「まあ、遠足とかで行っていますけど、本当に指で数える程度ですよ」
「何にしても、レニーニャさんと初デートになるんだから、楽しんで来いよ!」
まるで自分は行かないような言い方だが、もしかして本当に? いや、考え過ぎだろう。
話をしていた数十分後には水族館近くの大きな橋に到着していた。
「この橋を渡って道なりに進めば水族館があるんだけど、そんな遠くないよ。もう少しで着くかな」
「昨日の神社より早いね。このクルマって乗り物は本当に便利だね。涼しい風も出るし、音楽も流せる……やっぱり著しい成長は見られそうだね」
「宇宙開発には乏しいけどね。衛星の月に行って以来、宇宙には進出していないよ。正確にはしているけど、月や近くの惑星には行っていないね。詳しくは僕も分からないけど、予算の都合とかもあるんだろうしさ」
「2人とも難しい話して、すごいな! 俺、話についていけねえや」
須原さんには申し訳ないが、2人で盛り上がってしまっていた。
思えば、僕は最近いつも1人だった。
友達もみんな進学や就職のことで手いっぱいになり、遊ぶことがめっきりと減った。
それに対して、進学か就職かまだ分かっていない僕は結局、毎日をただダラダラと過ごしている。
だけど、今は違う。
レニーニャに会えたことで僕は決断すると言うことが出来た。
優柔不断だった自分を断ちきることが出来た。
「もうすぐ着くけどさ。その、言いづらいんだけど……俺、ちょっとこの辺りで用事があるからさ。また18時くらいに戻るよ。だから、2人で水族館見てくれないか? そっちの方が何かと都合も良いっしょ? 特に冷泉くんは」
レニーニャの頭には疑問符が浮かんでいたが、僕は顔が熱くなっていた。
水族館に入館し、真っ先に見えてきたのはジンベエザメだった。テレビでしか見たことのなかった巨大なサメにはただただ圧巻だった。レニーニャも驚きを隠せず、食い入るように見ている。
「すごい! こんな大きな魚がいるんだ! 地球って本当に面白い!!」
「こっちにも魚はたくさんいるよ」
本来の目的は魚を見て楽しむのではなく、魚のエゴを感じ取るものだったはずなのに、今ではすっかり展示されている魚の虜になってしまっている。
サメを見た後は、回遊水槽と言う円形になっている水槽を魚がひたすらに回り続けているまさに人間のエゴとしか言いようのない水槽がある。しかし、レニーニャは水槽の魚たちと共に周りをグルグルとまわっていた。
「……なあ、これはエゴじゃないのか?」
レニーニャは黙ったままだった。
「だ、だって、この魚たちは、この水槽と言う檻の中でグルグル回されているんだぜ? 見世物にされているんだぞ? エゴだろ、どう考えても」
レニーニャは僕の目を見て、大きく息を吸ってすぐに吐く。
すぐに目線を魚たちの方向へと向ける。
「……やっぱり、後で言うよ。それよりレイゼイ、次行こうよ! 他の魚も見たい!」
足早に水族館の向こう側へと行ってしまったレニーニャを僕は追いかける。
その後、彼女と普段見ることもない魚たちを見てイルカのショーを見てお土産を買って出入口を出た。
水族館を出て、僕はレニーニャに結局エゴは見られたのか聞いてみる。
「うん。見られたよ」
「それは良かった。人間って酷いだろ?」
「その通りだね。だけど、私とレイゼイの意見は違うよ。私はレイゼイの言っていた言葉を聞いてエゴを感じたよ。レイゼイが度々言っていた、魚が水槽と言う檻の中で云々って言うのはただの偽善だよ。ときに偽善はエゴとも呼べる。今回、水族館に来ることが出来て本当に良かったよ。エゴは見られたからね。レイゼイの心の中にある、全ての物をエゴと感じさせるその心こそ、エゴだよ。やっぱりニンゲンは面白い。興味深いね」
彼女は満面の笑みを浮かべていたが、僕は口を引きつらすことすらも出来なかった。
僕の考え方が……エゴ? 偽善がエゴ?
レニーニャの言葉を聞いて、僕は自分自身の話していた言葉全てがこじつけの偽善だと言うことに気付かされる。
僕は人間だ。魚の気持ちなんてこれっぽっちも分からない。それなのに、僕は勝手に可哀想だと決めつけて、勝手に辛い存在だと決めつけていた。
本当のエゴイズムは、僕自身の心のことなのだろうか。
「一応誤解のないように言っておくけど、私はレイゼイのことが嫌いでそう言っているんじゃないよ。レイゼイの考え方があの水族館の中にいた人の中で一番エゴ丸出しだったから。あんな考え方が出来ちゃうのが面白いんだもん。その辺りにいた人はみんな目を輝かせながら泳いでいる魚を見ていたのに、レイゼイだけこんな狭い檻でとか、海にいたらとか、消極的な発言ばかりしていたんだもん。もちろん、さっきも言ったようにレイゼイのことを嫌いで言っているわけじゃないからね。私はレイゼイのこと大好きだよ。知らないことを何でも教えてくれるし、私の手助けもしてくれているからね」
「レニーニャ、僕、どうすれば良いんだ……?」
「もっと、考え方を変えようよ。あの魚たちだって、あのまま水族館じゃなくて、海にいたら捕食されていたんだろうし、水族館にいることによって、寿命が延びたって考えたりしてさ。レイゼイは何でも悪い方に捉えすぎなんだよ。世界はきっと冷泉の思っている以上に輝いているよ」
やはり、レニーニャには何でも気付かされてばかりだ。受験期、家庭状況もあって、何でも負の方にばかり考えていた。
昔からそんな考え方をしていたわけじゃない。こんな考え方するようになったのも、受験期に入ってからだ。少なくとも高校2年生の頃にはそんな考え方はしていなかった。
いつからあんな考え方をするようになったのかは分からない。だけど、僕の考え方がエゴだと言うのならば、考えを改めるべきだろう。
「レニーニャ、本当にありがとう。君には助けられてばかりだよ」
「んーん。お礼を言うのは私の方だよ。レイゼイがいないと、私、今頃どうなっていたのか、想像すらしたくないんだもん。だから改めて言うよ。ありがとう、レイゼイ」
彼女の背後には、夕日が沈もうとしていた。
この小さな島から見る夕日はとても綺麗だった。どこで見ても同じだと思えていた夕日も、彼女と一緒ならより一層美しく見える。
駐車場では、須原さんが僕たちのことを待っていた。
「いやー、冷泉くんもレニーニャちゃんもこっちに歩いてくる姿、どっからどう見ても恋人だったよ! もういっそ付き合ったらどう? 国際恋愛とか、かっけーじゃん!」
言いたい。国際恋愛ではなく、惑星間の恋愛になってしまうと。
しかし、そんなことを言った時点で須原さんは信じるわけもないし、言うつもりもない。
車に乗り込み、車を発進させても、レニーニャは段々小さくなっていく水族館をいつまでも眺めていた。
つづく