9話
家まで送ってくれた須原さんに何度もお礼を言い、僕たちは須原さんの黒い車が見えなくなるまで見守っていた。
「家に入る前に、ちょっと船の様子を見て良い?」
レニーニャの発言を聞き、僕も共に船の元へと向かう。
手すりを使って降りていくと、時間も時間だったので潮が満ちていた。海に太陽が沈んでいて、とても絵になっていた。
レニーニャは海の中を平気で入っていたが、船がある陸地に出ると、すぐに水が渇いていた。
「水が、何でっ?!」
「吸収しただけだよ。そんなに驚かなくても良いじゃない」
「いや、だって」
僕の声は彼女にはもう聞こえていなかった。裏へと周り、あちこち触った後に僕の方を向いて親指を立てていた。何ともなかったのであろう。
再度海の中に入り、僕の待っている岩場まで戻ってくると濡れたままだった。
「あれ? 吸収しなくて良いの?」
「出来ないよ。吸収できるのは船の近くだけだから。ちなみに、吸い込むのは水だけじゃないよ。身体に着いている付着物は全て吸い込んでくれる。便利でしょ?」
地球の機械で似たようなものはあるのかもしれない。だけど、あんなに自然に音もなく吸収しているのが違和感しかない。
「さ、行こう。お腹空いちゃった」
白いワンピースを着た彼女を、夕日が美しく橙色に彩っていた。
階段を上り終え、家に向かっているときに僕はふとした疑問をぶつける。
「そう言えば、僕のエゴで船に力は溜まったの?」
「あれは私のワガママだったから、エネルギーに一切関係ないよ。だから、改めて2つ目のお願いを言うね。2つ目のお願いは、『自然の力で出来たもの』。ついでに言うと前回同様、かなり時間の経っているものだとなお良いかな」
「自然の力で出来たものって、どういうこと?」
「そのままの意味だよ。レイゼイたちのようなニンゲンが作ったものではなく、自然が作り出した造形物」
それならばレニーニャの船が置いてあるあの辺りが一番良いだろう。あの岩場は、日本海の荒波によって削り取られたものだ。僕は思ったことをそのままレニーニャに話すと、彼女は苦い顔をする。
「あそこじゃなくて、別の場所が良い……」
目線を下に向けて話しているレニーニャを見て、僕は大きくため息を吐く。
「分かったよ。何かそう言う場所がないかまたじいちゃんたちに聞いてみよう」
家に到着し、玄関に入ると祖母の声が聞こえてくる。
「おかえり、遅かったじゃない」
「うん、そこまで送ってもらったんだけど、夕日を見に海に行っていたんだ。心配かけてごめん」
「無事に戻って来て良かったよ。康人にもあとでお礼の電話をしておかないとね。さ、早く上がりなさい。お風呂湧いているから」
靴を脱ぐと、レニーニャは僕の方を見ていた。
「どうしたの?」
「今日はレイゼイから入りなよ。昨日は私からだったから、今日はレイゼイからで良いよ」
彼女の言う通り、僕は居間には行かずに風呂場へと向かった。
祖父母の家の風呂は僕の家よりも綺麗で立派である。半世紀以上生きてきた高齢の2人が生活しているので、風呂とトイレだけは最新式にしたそうだ。
しかし、2人の部屋は和室で、絶対に近代的なものは置いていない。その割に、古来日本からある赤べこや熊の木彫りは置かれている。もちろん、ベッドなどはなく全て布団である。
風呂に浸かりながら今日1日のことを思い出す。
僕の考えは全てエゴだった、と言うあのレニーニャの思考。僕は何も言い返せなかった。それもそのはず、自分自身の考えはよろしくないと言う自覚はあったからだ。
もしも、あのまま僕が水族館であのような考えに至らなかったら、レニーニャはどうしていたのだろうか。
あと1年、レニーニャと会うのが早かったら、僕は彼女の納得のいくエゴと言うものを紹介できなかっただろう。水族館でもあのように考えられたのは、現在が受験期真っ盛りなのに、それでもなお、受験する大学が決まっていない焦りからである。
焦燥感と不安感を覚えると同時に、自分の劣等感を認知する。その負のスパイラルが僕の心を弱くしていった。考え方も変えてしまうくらいに。
だけど、レニーニャに会えたおかげで、その弱い心は少しずつではあるが、元に戻りつつある。彼女の指摘がなければ、僕はこれからも、水族館は魚たちが人間に捕らえられて、水槽の中で生活している可哀想な場所と言うイメージだったであろう。
「レイゼイ?」
脱衣所からレニーニャの声が聞こえて、我に返る。
「あ、ああ。もう出るよ。長風呂でごめん」
脱衣所にはレニーニャの綺麗な金髪が見えていたが、僕の声を聞くと扉を開けて出て行った。
すぐに僕も脱衣所へと出て、着替えて居間に続く廊下の扉を開けるとレニーニャは扉の横に立っていた。
「うわっ、びっくりした。そんなに入りたかったのなら、先に入っても良かったのに」
「……ううん、そう言うわけじゃないんだけど」
レニーニャは何かを言いかけていたが、すぐに脱衣所へと入っていった。
居間に戻ると、祖父がテレビを見ていた。
「じいちゃん、この辺りでかなり前からある自然の力で出来たものってある?」
「その辺りにいっぱいあるだろ」
テレビから目を離さずに僕の質問に答えていた。
「まあ、そうなんだけど、もっと言うと、観光名所って言うかさ。レニーニャが自然の力で出来たものを見たいって言っているんだ。その辺の岩とかじゃなくて、もっとこう、上手く言えないけど、とにかく何かないの?」
「冷泉の言いたいことは分かった。それなら巌門とかどうだ」
「巌門?」
有名な小説家がそこを舞台にした作品を執筆したと言う話も聞いたことがある。しかし、それくらいしか分かっていないので、一体どこにあるのかすらも分かっていない。
「ここからは自転車を使えば30分もかからない。今からは危険だが、明日にでも行けば良い」
僕は地図アプリを起動し、場所を調べてみると、ここからは徒歩で30分圏内なので、自転車を使えば15分程で到着するであろう。
「あそこは危ないぞ。足を滑らせると冗談じゃなくて本気で死ぬからな。それは分かっているのか?」
「分かっているよ。だけどレニーニャが行きたいと言っているからさ。せっかく遠い場所から来てくれた人にはこれくらいの案内はしなくちゃダメだと思うんだ」
どういう場所なのかははっきりとわかっていないが、テレビなどで見る限りだとレニーニャの船が置いてあるあの辺りが一番近い。つまり、岩場なのだ。浜辺など一切なく、周りには岩しかない。転べば死ぬ。笑い事ではなく、それほどまでに危険な場所なのだ。
この辺りは海からの風が強く、冬になれば荒波になる。その荒波によって削り取られた岩はやがて鋭角なものへと変化を遂げる。
「行くなら、気を付けろよ」
「……うん」
返事をすると、脱衣所の戸が開く音がした。レニーニャが風呂から上がったらしい。
彼女が戻ってくると、待っていたかのようなタイミングで、祖母が食事を持ってくる。レニーニャの目は、食事のときには、これでもかと目を輝かせる。
「今日はエビの味噌汁を作ってみたけど、レニーニャさんの口に合うかどうか……」
「エビって、これ?」
綺麗な箸使いで味噌汁の中にダシとなっているエビを持っている。
「茹でてあるから皮も柔らかくなっていると思うけど、冷泉、剥いてあげて」
レニーニャは箸で掴んでいるエビを僕の皿に置く際に、一瞬だけ僕の手と触れ合い、僕も彼女も動揺して箸を落としてしまう。
「あらあら、大丈夫? 今、新しい箸持ってくるね」
祖母は立ち上がり、台所へと向かった。
「ご、ごめんね」
「いや、こっちこそごめん」
僕たちは謝ったあと、黙り込んだ。
居間には祖父の茶碗に当たる箸の音だけが聞こえていた。
夕食後、僕は涼を求めて、辺りを散歩することにした。
レニーニャも着いてきたので、共に海と港、そして、旧灯台が見える岬へと向かった。
「ねえ。もしも、レイゼイが私と同じ目にあったら、どうする?」
僕の横を歩いている彼女は、僕の顔を見ながら質問してくる。僕の場合は、船で移動中に外国へ漂流したと考えるべきだろう。しばらく考えてみたが、思いついた言葉をそっくりそのまま彼女に話す。
「助けを求めないで、隠れながら細々と生きていたと思う。レニーニャは僕に当たり前のように話しかけてきたけど、僕に話しかけるだけでも相当勇気が必要だったんじゃないのかな」
「んーん。勇気は必要なかった。一目見て、私と同じ姿の生き物だからひょっとすると高度な知能を持っているんじゃないのかと思ってさ。それに、レイゼイはかなり怯えていたじゃない。敵意はないと分かった瞬間、私はレイゼイに助けてもらおうって決めたんだ」
顔が熱くなるのが自分でも分かったので、生返事をして海が見えるベンチに座る。
時間も時間だったので、海は暗闇に包まれている。波音だけが聞こえていて、まるで宇宙のようだった。
「レニーニャ、宇宙って今見えている海のような感じなの?」
「もっともっと暗いし、危険だよ。流星群もあるし、太陽なんか非じゃないくらいの恒星もある。その辺りは立ち入り禁止だから通ることは出来ないけど、通ろうと言えば通ることは出来るよ。そのときは宇宙の一部になっちゃうけどね」
冗談なのか本気なのか、真実を調べられないことを話しているレニーニャに、僕は苦笑いをすることしか出来なかった。
空に目を移すと、星空が見えていた。
僕の実家は所謂、地方都市だが地方都市の外れに住んでいるので、星が見えないわけでもない。
しかし、ここは違う。
都市ではなく、完全なる地方なので、自然に囲まれている。空気も非常に澄んでいるので星が宇宙のように綺麗に見える。これが満天の星空と言うものなのだろう。
「地球から見た星は、こう見えているんだ。すごく綺麗」
レニーニャの方を見てみると、彼女の目は濁りがなく、とても綺麗だった。
海からの涼しい風が、彼女の髪をなびかせる。
とても絵になっていて、今現在、地球上で最も美しい。そう思える程、彼女は美しかった。
「どうしたの?」
見過ぎていたので、気付かれてしまう。
「い、いや、その、星を見ているレニーニャが、綺麗だったから」
レニーニャは驚いていたが、すぐに吹き出す。
「レイゼイもそんなこと言うんだ」
あははと笑っているレニーニャを見て、僕は彼女とずっといたいと思っていた。だけど、彼女はイニジードに戻らなければならない。
その真実から目を背けてはいけない。僕と彼女はいつしか別れなければならないのだ。
「レイゼイは、自分の人生に満足してる?」
僕に目も合わせず、満天の星空を見上げながらレニーニャは呟く。答えを言う前に、レニーニャは話し始めた。
「私は結構満足しているよ。レイゼイにも会えたし、本当の意味で未知の惑星との交流も出来ているわけだし」
「僕は分からない。満足しているのか、そうではないのか。だけど、今は満足しているかもしれない。レニーニャに会えたから、自分でも気付かないことに気付けたりもしたから」
「私たちは、出会えて良かったって思えているんだね。異星人同士なのに、何だか変な気持ちだな」
僕は再度、空へと目を移す。流星が何度も線を描いていた。
「そうだ、レニーニャ。地球ではな、流星に願い事を3度お願いすると、願いが叶うって言われているんだ。だけど、地球からみた流星は1秒もしないうちに消えてしまうから、結局は不可能って言っているようなものなんだけどね」
「へえ、私たちからすると、流星なんて珍しくもなんともないし、むしろ飛行の邪魔にしか感じないよ。時には命を落とすことだってあるし、命をも脅かす存在に願い事を話すだなんて滑稽だよ。あくまで私の話だけどね」
とあるマッチを売る童話では、流れ星は誰かの命が消えようとしている象徴だと言っていたことを思い出す。あの童話は間違えたことを言っていたわけではないのだろう。
「そろそろ家に戻ろう。少し肌寒くなってきたよ」
レニーニャは身震いをしているのを見ると、相当寒いらしい。海の近くと言うこともあり、この辺りは日が落ちれば涼しいどころか、寒くなる。
「じゃ、戻ろうか。明日は岩を見に行くし、今日も早めに寝よう」
僕たちは海に背を向けて、祖父母の待つ家へと戻った。
居間の横にあるレニーニャと僕の寝室にはすでに布団が敷かれていた。僕たちが涼みに行っている間に祖父が敷いてくれていたらしい。祖父はすでに自室で眠りに就いていたので、お礼は明日、言うことにした。
「レイゼイ、明日行く場所はどんなところなの?」
「一歩間違えたら死ぬってことだけは言っておくよ」
少しだけ意地悪く僕は言う。レニーニャは目を丸くしながら青い顔になっていた。
「そ、そんな怖いところなの?」
「間違えてはないんだけど、本当に足元だけは気をつけてね。レニーニャの船がある岩場より鋭利な岩がたくんあるし、デコボコしているから、転んだら冗談抜きで本当に死んじゃうんだ。だけど、自然が作り出したものだから、期待に副えるかは分からないけど、行くだけ行ってみよう。ここから自転車で30分もあれば着くから、今日はゆっくり休んで明日に備えよう」
時計は22時前だったが、すでに睡魔が押し寄せていたので部屋の電気を消した。
窓からは星明かりが差し込んでいた。僕の実家では絶対にこれほどまで綺麗な星は見ることは出来なかった。これも、レニーニャのおかげなのかもしれない。 感謝すべきなのは彼女ではなく、僕なのだ。気付かなかったことに気付かせてくれたり、忘れかけていた童心にも似た心を取り戻してくれたのは、レニーニャだ。彼女と僕が出会っていなければ、今日もきっと決まらない進路の話をしてただ下を向きながら終わりのない話をしていたのだろう。
ここに残って良かったのかと問われると、今なら、はっきりと良かったと言える。祖父母の家に行くのが、もしも1日でも遅れていたら、レニーニャに会えなかったのかと思うと、身震いがする。
やがて、横からはレニーニャの寝息が聞こえてきた。
一定のリズムで息をしている彼女の寝息を聞いていると、気がつけば僕も眠りに就いていた。
つづく
これで番外編は終わりです。次の話も楽しみにしていてください。




