13話
そうだ、彼女のいるイニジードと地球の入浴方法は異なっているのかもしれない。
シャンプーやコンディショナー、ボディソープだって分からないかもしれない。
一応、高度な知能を持つ生き物の言葉は理解できるそうだが、文字を見ただけで分かるのかどうかは分からない。
だけど、レニーニャが今、この浴室内に生まれたままの姿で入ってきたら、僕はマトモにいられるだろうか。だけど彼女は、入浴方法を知らない。
僕は彼女に返事をする。
「……分かった。入って良いよ。その代わり、ちゃんと体をタオルで隠してね」
「うん!」
すぐに服を脱いでいる姿が見えたので、僕はすぐに目を逸らし、前にある小さな窓から外の景色を見る。
空は薄暗くなっていて、僅かに星も見えていた。
「入るよ」
僕が返事をする前に彼女は体にタオルを巻いて風呂場へと入ってきた。
その姿はどこからどう見ても、僕たちと同じ人間であった。
僕と唯一違うのは、彼女は病的に、それでいて雪のように触れてしまえば消えてしまいそうなくらい真っ白な肌をしていたと言うことだ。
見惚れていると、彼女も顔を赤らめていたので、イニジード人も自身の裸体を見られるのは抵抗があるようだ。
「あ、ええっと。その。お風呂に浸かっていて。今から、教えるから」
僕の頭に乗せられていたタオルで前を隠し、風呂から出ると、レニーニャと僕はすれ違う。
すれ違う瞬間、レニーニャをどうしても異性として意識してしまい、顔を余計に赤らめてしまう。胸の鼓動も早まっていて、今にも爆発しそうだった。
「お、お風呂の浸かり方はこんなので良いの?」
熱い湯船に肩まで浸かっている彼女をチラリと見る。
「うん、その浸かり方であっているよ。肩まで浸かると、身体の芯まで暖まるんだ」
黄色い入浴剤が風呂に入れられていたので、彼女の裸体は見えていない。
タオルも僕が目を逸らしているうちに取っていたようである。
「これがシャンプーだよ。髪を洗うもの。だけど、レニーニャの髪にあうかな?」
「平気だよ」
こちらを見て微笑んでいる彼女は僕の身体を舐め回すように見ている。やはり、異星人の生体には興味があるのだろう。
僕だって、彼女の身体をもっと見てみたい。
だけど、じっくり見てしまうと、僕は優しさも、理性も、何もかもすべて失って、彼女を悲しませるかもしれない。
すぐシャワーで自分の髪を濡らし、シャンプーボトルから少量のシャンプーを出して髪を洗っていると、レニーニャが話しかけてくる。
「レイゼイはさ。お風呂に入っているとき、好き?」
「好きだよ。疲れがなくなるし、気持ちが良いからさ」
僕の話す言葉全てが、別の意味に聞こえていないか不安になる。
「私のいたイニジードにもお風呂みたいなものはあったよ。だけど、こう言った形じゃないんだ。カプセルに入って中に液体を満たして、レイゼイたちの世界で言うホルマリン漬けみたいにされるんだ。もちろん気分は良くないし、断然こっちの方が気持ち良いよ。だから、私もお風呂、好きだな」
僕はレニーニャの話を聞きながら、髪に着いている泡を洗い流す。
レニーニャへ抱いている雑念も一緒に流れてほしいと願うが、流れていくわけがない。
「気に入ってもらえて良かったよ。次はコンディショナーだけど、シャンプーの後に髪に馴染ませるんだ。これで髪がサラサラになるよ」
ボトルからコンディショナーも僅かに出して、僕の長い髪に馴染ませる。その光景をレニーニャは微笑みながらジッと見ていた。
普通の人はどうなのか分からないが、僕は髪に馴染ませるためにコンディショナーを流さずにそのまま体を洗う。しかし、今はレニーニャが見ているので体を洗うことに抵抗がある。
「いつもならここで体を洗うけど、お風呂にまた浸かりたいから。洗わないでおくよ。それじゃ、さっき 教えた通りにやってごらん。次は僕がお風呂に浸かるから」
しかし、彼女は浴槽から出る気配がない。
「もう少し浸かっていたかったら、入っていても良いよ。今のうちに僕は顔を洗うから」
「……いや、出る」
残念そうに彼女は呟き、入浴剤で黄色くなった液体から出てくる。すぐに僕は目を逸らす。
目の前にいるのは僕と同じ人間ではない。
異星人だ。
雌雄は関係ない。
目を逸らす必要もない。
だけど、僕の目に映るレニーニャはどんなに目を凝らしても僕たちと同じ人間で、女の子で。頭で異星人と分かっていても、女の子として解釈してしまう以上、目を逸らしてしまうのだ。
「み、見てないから! 僕、見てないから!! 目を閉じながら風呂に入るから!!」
右手で目を覆い隠し、僕は必死に浴槽を探す。一瞬だけレニーニャの柔い体に触れるが、僕は頭がこんがらがっているので、気にも留めずに浴槽を探し、浴槽の端に触れた瞬間、勢いよく入浴剤で黄色く彩られている液体の中へと飛び込む。
彼女は水飛沫がかかったのか、キャッと声を上げていた。
「ご、ごめん! だけど、僕、何も見ていないから! き、気にしないで!」
顔どころか首まで熱くなっているのが自分でも分かる。
「レ、レイゼイ、髪を洗うのはこれで良いの?」
レニーニャは僕の必死な言い訳を聞かず、尋ねてくるので、極力、彼女の方を見ないようにして返事をする。
長く、金色に輝く髪を、見よう見まねで洗っているのであろうその姿は、とても愛らしかった。
彼女は僕よりも髪が長いので、全ての髪に馴染ませるのに時間がかかる。
手伝ってあげたかったが、女の子の髪など洗ったことのない僕がそんなことをしても、迷惑にならないかを考えていると、レニーニャの方から話しかけてくる。
「んー、髪が長いからどうしても時間かかっちゃうなあ」
まるで手伝ってくれと言っているかのように彼女は呟く。
その声を聞いて僕は、自分の喉の奥底で文字になろうか、なるまいか迷っている、手伝おうか? と言う一言を吐き出したくて、仕方がなかった。
「気にしないで良いよ。僕はまだ浸かっているから」
別の言葉となって吐き出された言葉に未練が残る。
しばらく僕は、レニーニャの方を見ないで、窓から暗くなっていく空を見ていた。
浴室内は彼女の髪を洗う音だけが聞こえていた。
その直後、シャワーの水が流れる音が聞こえてくる。
この感覚はどこか懐かしい。
10年以上前に経験したことがあるような、そんな気がする。
すぐに僕の脳裏に幼い頃の記憶がよみがえる。
そうだ。これは、母親と共に風呂に入っていた頃だ。
彼女が髪を洗っている間、僕は風呂の中で遊んでいたが、飽きたりするとボーっと窓の外を見ていた。
浴室内が明るくて、星もよく見えなかった。
その光景と、酷似している。
すぐに懐かしさで目頭が熱くなり、涙が落ちていく。
浴室内は、レニーニャの髪に付着した泡を流す音だけが響いていた。
しばらくすると、彼女の息の音と、雫が落ちる音だけが聞こえてくる。
「次はこっち?」
彼女が手に持っていたのはボディソープのボトルだった。
「それは体を洗うものだよ。その横にあるコンディショナーで洗うんだ。ちなみにそっちは、泡は立たないよ」
「どうして?」
「そう言われても詳しくは僕も知らないけど、とにかく髪が綺麗になるからさ」
彼女と一度も目を合わせずに僕は淡々と説明をすると、生返事をして彼女は髪にコンディショナーを馴染ませていた。
レニーニャの見た目はとても可愛い。
まるで人形のようだ。
しかし、人間ではない。
目を逸らす必要はないと先ほども言っていたが、目の前にいるのは、どこからどう見ても僕たちと同じ人間なのだ。
初めの方に考えていた仮説である彼女は、本当はロシアからやってきた女の子なのではないかと言う考えは強ち間違いじゃないかもしれない。
しかし、その考えを完全に破壊してくれるのが、彼女の乗ってきた船だ。
技術面でも、意匠面でも、何を取っても地球のものではない。
僕の目の前にいるレニーニャ・ネッコトスは、間違いなく地球外生命体なのだ。
それでも、どうしても、彼女を人間として認識してしまう以上、僕の顔は熱くなる一方だ。
「これくらいかな。そろそろ体、洗う?」
「あ、ああ。レニーニャも冷えてきただろう? そろそろ体を洗わせてもらうよ」
彼女と共に浴室にいると言うことと、風呂に浸かりすぎたと言うこともあり、立ち上がると同時に目の前が真っ暗になっていく。
徐々に視界が回復していくと、レニーニャは僕の前に立っていた。
「ん? どうしたの?」
「ご、ごめん……すぐ、洗うよ」
金色の髪と、真っ白な肌で、とても美しい彼女を、もっとじっくりと見たかったが僕はすぐに先ほどまでレニーニャが座っていた椅子に座り、ボディタオルに泡をつけて身体を隅々まで洗っていく。もちろん、レニーニャはその光景をじっくりと見ている。
「……ジロジロ見られると、恥ずかしいんだけど」
「あっ、ごめん。でも、洗い方とかも、よく分からないから。そのタオルも、まさか体を洗うものだって思わなくて。私、てっきりお風呂掃除の道具かと思っていたよ」
見ようによっては、風呂掃除の道具に見えなくもないが、そう言われると、急にこのボディタオルがバッチいものに見えてきた。
ある程度洗い終え、蛇口をひねろうとすると、レニーニャは声を上げる。
「待って。背中が上手く洗えてないよ」
じっくりと僕のことを観察していたので、彼女は鋭いところを突いてくる。
一応、洗ったつもりにはなっていたが、レニーニャから見ると上手く洗えていないらしい。
「洗いにくいなら、私が洗ってあげるよ」
ザバアと音を立ててレニーニャは浴槽から出てきて、僕からボディタオルを奪取する。同時に彼女は、僕の背中をせっせと洗ってくれた。
「痛くない?」
「へ、平気だよ……」
「レイゼイの背中、自転車に乗っているときから思っていたんだけど、大きいよね」
「そんなことないよ。僕なんてまだまだ……」
「ううん。レイゼイの背中は大きいよ。私が言っているのは物理的な大きさじゃない。頼もしいって意味。レイゼイはきっと辛いこと、嫌なことを常人より少しだけ多く経験してきたと思う。きっとこの先も、辛いことや嫌なことを経験する。だけど、レイゼイはその悪いことを少しだけ早く経験して、全て受け止めて、自分で考えて、誰にも相談もしないでいた。立派だよ。私はちゃんと知っているからね。だから、もっと胸を張って良いよ。レイゼイは強くて優しいんだから」
僕の背中を洗っている彼女の言葉を聞き、僕は自然と目に涙を浮かべていた。
今まで、こんなに優しい言葉をかけてくれた人はいなかった。
親でもこんなことは言ってくれなかった。
同じ人間ではなく、異星人に言われただけで、ここまで涙が溢れるとは思わなかった。
むしろ、異星人に言われたからこそ、ここまで涙が出たのかも分からない。
この地球上で、唯一僕のことを理解してくれたのは、同族の地球人ではなく、見知らぬ惑星のイニジード人の女の子に言われたと言うことが、嬉しかったのかもしれない。
僕のすすり泣く声と、右手で右目を拭っている姿を見て、背後にいる彼女は心配そうに声をかけてくる。
「ど、どうしたの?! 目に泡でも入っちゃった?」
「……いや、僕、今まで、こんなこと言われたことがなかったから、すごく嬉しかったんだ。ありがとう、レニーニャ。僕は、本当に、君に助けられてばかりだよ」
嗚咽交じりに僕はそう呟くと、レニーニャは大きくため息を吐く。
僕の背中に彼女の息がかかったと脳が理解した瞬間に、レニーニャは声を出す。
「辛かったかもしれないけど、心配はいらないよ。レイゼイは優しくて強いんだから。人よりも辛いことを多く経験してきた分、人にも優しく出来る。自分がされて嫌なことは、他人にだってしたくないでしょ? レイゼイはその辛さを知っている。だから、優しいんだと思う」
自分自身ではあまりピンと来ないが、彼女がそう言うのなら、そうなのだろう。
それにしても、背中はまだ洗い続けるのだろうか。
「そろそろ良いんじゃないかな?」
「あっ、ごめんね。背中なんて流したことがなかったから」
レニーニャは、僕にボディタオルを渡してくると、また風呂の中へと入っていくのを見届けて、僕は体に付いた泡を洗い流す。
「僕はもう上がるけど、レニーニャも、あとは体を洗うだけなら、ゆっくり浸かっていなよ。心配しなくて良いからさ」
返事を聞く前に僕はサッと脱衣所へと向かう。
人生で、一番緊張したかもしれない。
女の子――ではないが、それに準ずる生き物と裸体をさらけ出していたのだ。今思うと、本当によく耐えられたと思う。並の人間では無理だろう。
すぐに体を拭いて、下着やシャツに着替え、居間へと向かうと、祖母は僕に一括してくる。
「冷泉! あんた、レニーニャさんに変なことしてないだろうね!?」
「するわけないでしょ! 日本とロシアの入浴方法が異なっているから、教えていただけで、別に変なことは一切していないからっ!」
「ほう、ロシアの入浴方法は違うのか」
祖父が割って入ってくるので若干焦るが、すぐに冷静を取り戻し、説明をする。
「日本とロシアの入浴方法、基本は同じだけど、ロシアではお湯を張った浴槽内で体を洗ったりするんだって。やっぱり、日本みたいに一家全員が同じお湯を使って入るお風呂は抵抗があるって言っていたよ」
いつか読んだ本に書かれていた豆知識をふんだんに活用し、先ほどまで一言も話していない会話を、あたかもしていたかのように話す。
上手く話せているか不安だが、今は信じるしかない。
「……そうなのか」
無事に信じてもらえたので、胸をなでおろす。
同時に、風呂の開く音もしたので、レニーニャが風呂から出てきたようだ。
レニーニャがこちらに来る前に、祖母は台所から刺身や魚を運んできていた。
僕と祖父は海からの涼しい風が入ってくる居間で夕方のニュースを見ていた。
先に口を開いたのは、祖父だった。
「冷泉。お前、帰るのはいつなんだ?」
「えっ」
「お前だって、いつまでも夏休みと言うわけでもないだろう。それに、受験生だ。そろそろ戻った方が良いんじゃないのか?」
祖父の言葉を聞き、焦燥感が甦る。
真っ先に思いついたのは、彼女を僕の実家へと連れて行くことだ。
しかし、レニーニャを僕の家に連れて行くわけにはいかない。何故なら、母親がいる。母親の愛人もいる。その中に、僕まで見知らぬ者を連れて行くと、家の中に他人が二人もいることになってしまう。
それに、レニーニャの宇宙船はどこへ隠せばいいのだ。
ここは、田舎で、過疎地域だから人も少なくて、あのように岩の陰に隠せているが、僕の実家ではそうはいかない。
「すぐ帰れとは言わんが、お前は良いのか?」
「……レニーニャの家族が見つかるまで、僕はここにいるよ。夏休み中にはきっと見つかると思うから」
「そういえばレニーニャさん、ずっと家族と離れっ放しなのよね。家族の人もきっと心配しているでしょうよ。レニーニャさんは黙っているけど、きっと辛いはずよ」
祖母も口出しをしてきて、冷静を乱しつつあったが、話題になっているレニーニャがパジャマに着替えて脱衣所から出てきて、暖簾を潜って登場する。
「お風呂、ありがとうございます。気持ち良かったです」
「レニーニャさん、冷泉に変なことされなかった?」
「いえ、されませんでしたけど。された方が良かったですか?」
笑顔で冗談を言っている彼女を見て、僕は少しだけ泣きそうになる。
レニーニャとの別れは、遅かれ早かれ必ずやってくる。
頭では分かっていても、どうしてもそれを拒んでしまう。
「さ、たくさん食べて」
「はい! いただきまーす!」
元気に声を発して、両手を合わせると、満面の笑みを浮かべて彼女は刺身などを食べていた。
食べている途中、祖母はレニーニャに話しかける。
「レニーニャさん、家族のことなのだけど、大丈夫かい? ずっと一人ぼっちで、家族の人もきっと心配しているんじゃないの?」
「んー、しているかもしれないですけど、連絡手段もないので、どうしようもないですよ。ご迷惑をおかけしますが、何日かまだお世話になります」
「家に泊まるのは構わないけど、本当に大丈夫なのかい?」
「もう良いだろ。そう言う話は別のときにしてよ。レニーニャだって今は心配しながら、ご飯を食べたいって思っていないよ」
僕が少し苛立ち混じりに言うと、祖母は何も話さず、少量のご飯を口へと運んでいた。
つづく
いつかお風呂のシーンを書きたいと思っていましたが本当に書く日が来るとは思わなかったです。
出版社向けに書いたので過激なことは書きませんでした。もちろん書く気もなかったですが。




