強襲! トーア・カマタ!(2)
一年D組の教室は、おかしな空気に包まれていた。
乱入してきたヤクザの鎌田は、凄まじい勢いで只野に吠えている。その様は、スーツ姿のゴリラ以外の何物でもなかった。
対する只野はというと、突っ立ったまま対応している。その顔には「うーん、困ったなあ」とでも言いたげな表情が浮かんでいた。ただし、鎌田を前にして怯む気配はない。
本来、生徒たちを守らなくてはならない担任教師の玉川は、腰を抜かし尻もちをついた状態で鎌田を見上げている。その目には、涙が浮かんでいた。よほど怖いのであろう。
そして只野の隣の席にいる芳賀は、顔を真っ赤にして必死で笑いを堪えているようだった。
そんな状況の中、只野が口を開く。
「それにしても、トーア・カマタさんは大したものだ。実は、イギリス文学にも詳しいとは……いや、お見それしました」
そう言うと、ペコリと頭を下げる。と、鎌田の表情が変わった。
「そ、そうか? いや、俺も若い頃はアーサー王の物語に心踊らせたもんだよ。円卓の騎士たちの悲劇は、現代人にも大いに学ぶ点がある。お前も、しっかり読んでおけ」
そんなことを言いながら、胸を張ってみせたのだ。そうなると、分厚い胸板がさらに強調される。
見ている木杉は、思わず首を捻った。こいつは、いったい何をしに来たのだろうか。只野にケジメを取らせるために来たのか? それとも、単に文句を言うためだけに来たのか?
いずれにせよ、暇なヤクザだなあ……などと思っていると、鎌田の態度が一変した。
「この野郎! 下らん御世辞で話を逸らしやがって! バカなこと言わせんじゃねえ! お前のせいでな、名刀の火之迦具土神がコンクリで固まってんだよ!」
「いいじゃないですか。コンクリで固まっていれば、組長さんが使う心配もない。みんな平和で、ウィンウィンですよ」
途端に、鎌田は足を踏み鳴らした。今度は五回である。さらに、右拳で己の胸をドーンと叩いた。
さすがに堪えきれなくなり、芳賀はプッと吹き出してしまった。だが、鎌田は彼女など見ていない。その口から、とんでもない言葉が飛び出す──
「バカヤロー! 平和なら俺も何も言わねえよ! 組長はな、そのコンクリ台座付きの火之迦具土神を気に入っちまったんだよ! これ台座ごとブン殴ればいいじゃねえか、なんて言ってんだよ!」
「おや、そうでしたか。それは失礼しました」
「失礼しましたじゃねえ! 組長はな、コンクリ台座付き火之迦具土神を持って庭に出て、毎日素振りしとんじゃ!」
横で聞いている木杉は、思わず表情を歪めた。
火之迦具土神がどんな名刀かは知らない。しかし、これだけはわかる。
それは、もはや刀ではない。ただの鈍器だ──
「ほう、組長さん凄いですね。あんなの振り回すんですか。大した腕力だ。ベルセルクのガッツみたいですね」
そんなことを言った只野を見て、鎌田の表情も歪む。
「いいか……ここからが本番じゃ。組長はな、コンクリ台座付きの火之迦具土神で朝昼晩と毎日欠かさず素振りしてたら、上半身の筋肉がとんでもないことになってしまったんじゃ! 六十過ぎた組長の体は、今やムッキムキやぞ! ムッキムキなんじゃあ!」
「おお、それは凄い。六十過ぎてもムッキムキになれるんですね。僕も頑張ろうかな」
「バカヤロー! 話はまだ終わっとらんのじゃあ! そんな組長の体を見て、今度は若い者たちのやる気に火がついちまったんじゃ! 東亜組の若い衆は、皆こぞって筋トレをするようになっちまった! 今じゃあ、東亜組の組員は全員がムッキムキになってしまったんじゃあ!」
そう言うと、またしても床を踏み鳴らした。正確に五回。さらに、胸も五回叩く。
横で聞いていた芳賀は、ふと気づいた。さっきから、鎌田は五回までしか床を踏み鳴らしていない。胸を叩くのも五回だ。
ひょっとしたら、五という数字には何か意味があるのか? 五回……つまり、ゴリラの五?
「えっ、それはいいことじゃないですか。組員が、みんなマッチョなんてカッコいい組ですよ。いっそ、東亜マッチョ組とかに名前変えたらどうです?」
軽い気持ちで聞いた只野だったが、鎌田は野獣のごとき顔つきで吠える。
「やかましい! 何が東亜マッチョ組じゃあ! 俺たちはヤクザだ! 極道だ! 極道が、健康的なマッチョになる……こんなの、おかしいだろうが! 俺たちはな、世間のはみ出し者じゃあ! 不健康そうでなくてはならんのじゃあ! 第一、これじゃドラッグが売れないんじゃ!」
「なんで売れないんですか?」
「当たり前じゃろうが! ムッキムキな組員にドラッグ売られてみい! 筋肉増強剤かと勘違いされて、ジャンキー共は買ってくれんわ!」
「そうかなあ……あ、わかった!」
そう言うと、只野はパチンと手を打ち合わせる。何かを思いついたらしい。
直後、鎌田をじっと見つめる。
「トーア・カマタさん、あなたがなぜ組員の筋トレに反対するのか、その本当の理由がわかりました。謎は、全て解けましたよ」
「は、はあ? お前、何を言ってるんじゃ?」
唖然となっている鎌田に、只野はビシッと人差し指を突き出す。その姿は、謎を解いた名探偵のようだ。
直後、その口からとんでもない言葉が飛び出る──
「トーア・カマタさん……あなたが、組員に筋トレをさせたくない理由! それはひとつ! 若い者に、自分よりマッチョになってほしくないから! 真実は、いつもひとつ!」
途端に、芳賀の口から笑い声が漏れる。修行の足りない彼女は、我慢しきれなくなったらしい。
それをきっかけに、クラスのあちこちから押し殺したような笑い声が聞こえ始めた。他の者もまた、笑いを堪えていたのだ。
しかし、この男には笑える要素など欠片ほどもなかった。
「お前なあ、自分で何を言ってるのかわかってるのか?」
妙に冷静な声で返していった鎌田だったが、只野の暴走は止まらない。
「もちろんですよ。トーア・カマタさん、どんなに優れた詐欺師でも、自分に嘘はつけません。さあ、認めるのです。あなたは、若い者が自分よりマッチョになってしまうと筋肉自慢ができない。だから、若い者の筋トレ……ひいては、東亜組マッチョ化計画に反対している。ズバリ、そうでしょう!」
その言葉に、鎌田の理性を止めるタガが吹っ飛んだらしい。彼は、まず地面を踏み鳴らす。正確に五回だ。芳賀は、ちゃんと数えていた。
次いで、胸を五回叩くドラミング(?)を披露した後、只野を睨みつける。
「んなアホなヤクザがいるか! もう許さん! お前だけは殺す! 必ず殺す! 八百万の神に約束する! お前を必ず殺すとな!」
喚くなり、只野に襲いかかっていく。だが、只野もこの動きは読んでいたらしい。窓から外に飛び出し、校庭を走り逃げ去っていった。
「逃がすか! 絶対殺す! 俺は誓うぞ! お前を殺すことを!」
喚きながら、鎌田も窓から出ていく。だが、いかんせん巨体のため時間がかかった。
それでも、どうにか校庭に出ると、只野を追いかけ走り出したのだ。
只野と鎌田が消えた後、教室は何とも言えない空気に包まれていた。祭が終わった後のような、おかしな空気である。
そんな中、玉川が立ち上がった。何事もなかったかのように、再び語り出す。
「いいか! 今のように、理不尽な暴力に対しては逃げる! それが一番の対処法だ! まあ、先生が本気を出したら命の奪い合いになってしまうから、ここまでにしておいてやったんだ!」
先ほど玉川は、鎌田の前で震えながら腰を抜かしていた。だが今は、その姿が嘘のような態度である。どうやら威厳を見せることで、醜態を「なかったこと」にしようとしているらしい。
その時、とんでもない声が聞こえてきた──
「ブワッハッハッハ!」
木杉である。腹を抱え、涙を流しながら笑っているのだ。
俺は何をやってたんだろう。
只野聖斗……あんな奴に、勝てるわけねえだろ。
日本で一本しかない刀を、コンクリの台座に固めちまう化け物だぞ。
やっとわかった。
そして認めるよ。
只野、お前は俺なんかより、遥か上の地点にいるんだな。
そして、さらなる高みを見ている──




