1.峠のカフェ
初投稿です。
車好きなんですが、某映画のようなストーリーが読みたくて書いてみました。
「コル・ド・ラ・リベルテ」ってなに?
大学二年生の春。
窓の外では桜が散り、新入生たちの浮足立った空気もようやく落ち着きを見せ始めていた。そんな季節の移ろいとは裏腹に、おれの日常は澱んだ水のように停滞していた。
高校時代、机にかじりついて夢見た「薔薇色のキャンパスライフ」は、いざ手に入れてみれば驚くほど無味乾燥なものだった。
出席確認のためだけに受ける大教室の講義。コールを回すだけの、中身のないサークルの飲み会。そして、ただ時間を切り売りして稼ぐだけの深夜のコンビニバイト。
友人はいる。それなりに笑い合える時間もある。
けれど、ふとした瞬間に心に広がるこの空虚感は何だろう。誰が書いても同じになるような、平凡すぎるシナリオ。このまま何者にもなれず、何事も起きないまま、おれの四年間は摩耗していくのだろうか。
「……何か、変わったことないかな」
日曜日の昼下がり。四畳半の自室に、独り言が力なく溶けていった。
カーテンの隙間から差し込む陽光には埃が舞い、窓の外には見飽きた住宅街の屋根がどこまでも続いている。スマホをスワイプしても、流れてくるのは「映え」を意識した友人たちの、記号化された日常ばかりだ。
不意に、視線がデスクの隅に留まった。
そこに置かれているのは、使い込まれた革製のキーホルダー。去年、親父が新車に買い替える際「足代わりに使え」と譲り受けた、古い国産セダン。
正直、車にはこれっぽっちも興味がない。エンジンの仕組みも知らないし、車種を見分ける自信もない。毎月の駐車場代やガソリン代を考えれば、学生の身分には分不相応な金食い虫だ。
それでも手放せなかったのは、きっと、あの感覚を知っているからだ。
アクセルを踏み込み、視界が後ろへ流れていく時の、自分だけが世界の中心から切り離されるような、あの奇妙な全能感。
「気晴らしに、ドライブでも行くか」
目的地なんてどこでもいい。ただ、この停滞した空気から抜け出したかった。
おれはよれかけたTシャツの上に適当なパーカーを羽織り、財布とスマホをポケットに押し込むと、逃げるように部屋を飛び出した。
特に目的地も決めず、ただフロントガラス越しに流れる景色に身を任せた。
混雑する駅周辺を抜け、郊外の幹線道路を北へと向かう。信号の数が減るにつれ、アクセルを踏み込む右足に力がこもる。重たいエンジン音が低い唸りを上げ、それと呼応するように、都会の喧騒で凝り固まっていた思考が少しずつ解きほぐされていった。
住宅街を抜けると、風景は一気にその表情を変えた。アスファルトの隙間から溢れ出すような鮮やかな緑が、左右からおれと車を包み込む。
カーナビの青いラインを眺めながら、吸い寄せられるように細い脇道へとハンドルを切った。ギアが一段下がり、古いセダンが一生懸命に勾配を登っていく。タイヤがアスファルトの継ぎ目を拾う振動が、ダイレクトにハンドルから伝わってくる。
いくつものカーブを抜け、標高が一段と高くなったその時、唐突に視界が開けた。
そこにあったのは、山肌に寄り添うように建つ、年季の入った木造のロッジ。
雨風に晒されていい具合に枯れた看板には、『峠のカフェ「コル・ド・ラ・リベルテ」』と控えめな文字で書かれている。
広めの砂利の駐車場には、色鮮やかなイタリア製のスポーツカーや、磨き上げられた大排気量のバイクが数台、羽を休める猛禽類のように整然と並んでいた。
おれの乗る実用一点張りのセダンは少し場違いな気もしたが、不思議と居心地の悪さは感じなかった。
「へえ、こんなところに……」
ドアを開けると、カウベルの乾いた音が店内に響いた。
中は外観以上に落ち着いた、木の温もりに満ちた空間だった。高い天井、使い込まれた飴色のテーブル。そして何より目を引いたのは、壁一面の大きな窓だ。そこからは、おれがさっきまでいたはずの窮屈な街並みが、まるでミニチュアの模型のように眼下へと広がっていた。休日の午後という贅沢な時間帯だが、客は数組だけ。皆、思い思いの静寂を楽しんでいる。
カウンター席に腰を下ろすと、真っ白なシャツに黒いエプロンを締めた初老の男性が、静かな足取りで現れた。ブレンドコーヒーを注文すると、マスターは言葉少なにおれの車に一瞥をくれ、小さく、だが確かな敬意を込めたように頷いて奥へと消えていった。
待っている間、おれは壁の装飾を眺めていた。
セピア色に焼けた古いル・マンのレース写真や、異国のサーキットを描いたポスター。車に詳しくないおれでも、それらが持つ独特の熱量は伝わってくる。
「ああ、ここがそうか」
ふと、大学の先輩が酔った席で語っていた話を思い出した。「峠の頂に、魂を洗うようなコーヒーを出す店がある」と。
ドライバーやライダーたちの間で「聖地」と呼ばれている場所は、おそらくここだ。
やがて、丁寧にハンドドリップされたコーヒーが運ばれてきた。湯気とともに立ち上るのは、鼻腔をくすぐる濃厚な焙煎の香り。一口含むと、どっしりとした苦味の後に、かすかな甘みが追いかけてくる。
窓の外では、ゆっくりと雲が形を変えていく。
これだ。おれが求めていたのは。
誰にも邪魔されず、スマホの通知に追いかけられることもない。日常という大きな流れから少しだけ脇道に逸れた、この贅沢な空白。
古びたセダンを走らせてたどり着いたこの場所で、おれはやっと、深く息が吸えたような気がした。
心地よい静寂に浸っていたのも束の間、カウベルの音が再び鳴り、二人の男が店内に足を踏み入れてきた。
一人は黒のスーツを着た、いかにも「できるビジネスマン」といった風貌の中年男性。冷徹なまでに整えられた身なりは、山中のカフェにはあまりに不釣り合いな匂いを漂わせている。
もう一人は、対称的に野性味の強い若い男だった。ラフなジャケットを羽織り、深く刻まれた彫りの深い顔立ちには、どこか飢えた狼のような鋭さがある。
彼らはおれの背後、三メートルほど離れた奥のボックス席に陣取った。
店内を流れるジャズの調べを縫うように、低いトーンの会話が漏れ聞こえてくる。
最初は、不動産か何かのきな臭い取引だろうと高を括っていた。だが、耳に飛び込んできた単語が、おれの脳内の警戒アラートを最大音量で鳴らした。
「……で、報酬は?」
若い男の声には、隠しきれない焦燥と欲望が混じっていた。
「一千万。成功報酬だ」
スーツの男の声は、地を這うように低い。感情を排したその響きに、心臓の鼓動が不自然に速まる。
一千万? 大学生の日常とはあまりにかけ離れた数字に、おれは反射的に耳を澄ませてしまった。
「ターゲットは?」
「来週の火曜日、深夜二時。中央高速を北上する軍用トラックだ」
軍用、トラック。
その一言で、背筋に氷の塊を押し当てられたような悪寒が走った。
窓の外に広がる穏やかな街の景色が、急に遠い世界の出来事のように感じられた。
「積荷は?」
「国防関係の機密物資。詳細は知らなくていい。お前の仕事は、そのトラックを物理的に停止させ、積荷を奪取すること。……あるいは、運搬を不能にするだけでも構わん」
「護衛は?」
「民間の警備会社が前後を固めている。だが、奴らの装備は表向きのものだ。こちらが仕掛ければ、派手な抗戦はできまい。迅速に、静かに片付けろ」
指先が冷たくなり、握りしめたコーヒーカップが微かに震える。これはただの仕事の話じゃない。国を揺るがしかねない「犯罪」の、それも実行段階の謀議だ。
「リスクが高い。一千万じゃ割に合わないな」
若い男が、交渉の椅子を引き寄せるように言った。
「……では、二千万でどうだ。ただし、失敗は許されない。失敗すれば、お前の存在そのものがこの世から抹消される。わかるな?」
スーツの男の声に、明確な殺意が滲んだ。店内の空気が一気に凍りつき、呼吸をすることさえ躊躇われるほどの圧迫感がおれを襲う。
「……わかった。やる」
短い承諾。
その決定的な瞬間、恐怖で強張っていたおれの右手がカウンターに置いていたスマホに触れ、それが床に落ちた。硬い床に叩きつけられたプラスチックの音が、静寂に包まれた店内に、銃声のように響き渡った。
「…………」
会話が、ぴたりと止まった。
時間が止まったような錯覚の中、震える手でスマホを拾い上げる。画面には蜘蛛の巣のような亀裂が入っていたが、そんなことを気にする余裕はなかった。
「お客さん、大丈夫かい? 派手な音がしたが」
マスターがカウンターの奥から心配そうに顔を出す。
「あ、ああ、すみません。手が滑って……大丈夫です」
奥歯が鳴りそうになるのを必死で抑え、おれは掠れた声で答えた。
耐えきれず、チラリと背後のボックス席を盗み見る。
そこには、氷のような冷徹な眼差しでこちらを射抜く、スーツの男の姿があった。
その瞳は、おれの正体を探るというより、害虫を排除すべきか品定めするような、底知れない暗さを湛えていた。
おれは弾かれたように視線を逸らし、冷めきったコーヒーを胃の奥へ流し込んだ。もはや香りを味わう余裕などない。
「……お、お会計、お願いします」
喉の奥が引き攣り、裏返りそうになる声を必死に押し殺して、おれは財布を掴み取った。
いかがでしたでしょうか。
主人公、名を名乗れ!とツッコミできたあなたはプロですね。
再三読み返してるのに、それに気付いたのが今頃なので、このまま投稿します。
ということで、登場順に人物を整理します。
主人公:一人称「おれ」、たぶん男
マスター:峠のカフェのマスター、初老の男
スーツの男:怪しいビジネスマン
若い男:スーツの男の仕事仲間?
男しかいないですね。すみません。期待しても巨乳美女は現れません。
前書きの問いのこたえ
カフェの名前です。おしゃれにしようと思ったら長くなってしまいました。
自由の峠という意味ですが、なかなか覚えられません。




