29.完遂
アルクとジーナによる母猫の討伐は、非常に静かに遂行された。
魔王城へと侵入する際、アルクは心配そうにジーナに向かって言った。
「ねえ、ジーナさん。従魔は逃げ足が速いって言ってたのは、転移魔法が使えるから、ってことだよね?もし僕達の気配に気が付いたら、きっとしょこらのお母さんはすぐどこかへ転移しちゃうんじゃ……」
「そうだね。私もそれが一番心配だった。だけど大丈夫だよ、君の聡明な友人のお陰でうまくできそうだ」
「聡明な友人……?って、ウィルのこと?」
アルクはポカンとして尋ねる。
ジーナは微笑みながらこくりと頷いた。
「ああ。ヘイデン家に滞在した際、少し話をしたんだよ。君がもう眠った後でだけどね。話の最後に彼は、幻影魔法の使い方を私に教えてくれた。
どうもバルダン帝国でその技術に触れたらしいんだけど、とても便利だね。一時的に敵から姿を隠すことができるんだ」
そう言われてアルクは、バルダン帝国の巨大な船が、海上で姿を隠していたことを思い出す。
そしてウィルがバルダン帝国から帰国後に、ジークから幻影魔法を教わっていたという事実もだ。
「簡単ではなかったけど、私は一応今は勇者だし、何度か練習したらできるようになったからね。アルク君にも幻影魔法をかけてあげるから大丈夫だよ」
そうして二人は姿を隠し、魔王城へと侵入する。
これで三度目となる城内の螺旋階段を上りながら、アルクは先を歩くジーナの背中を見つめた。
頭の後ろで結ばれた明るく茶色い髪が、ジーナが歩を進めるごとに、小さく左右に揺れている。
アルクはその後ろ姿を見つめながら、小さく声をかける。
「ねえジーナさん。魔王が転移先としてこの時代を選んだのは、何か理由があるのかな?」
大きな声は出していないのに、その声は魔王城の中に反響する。
ジーナは前を見つめて歩きながら言った。
「そうだね。私にも確かなことは分からないけど、もしかするとこの時代にしょこら君がいるから、母猫はそこへ魔王を転移させたのかもね。魔族の血を裏切った者に制裁を与えるために。……さあ、もうあまり話さない方が良い。声を聞かれて、逃げられたら厄介だからね」
それからは二人とも、無言で歩を運び続けた。
アルクは黙っていると、どうしてもこの先のことに意識を引っ張られてしまう。
『これが終わったら、ジーナさんは、未来の世界に……』
そう考えて、アルクは小さく頭を振る。
『いや、今は集中しないと………』
一番大きな棟へと辿り着き、本来魔王がいるはずの部屋の扉の前に二人は立つ。
アルクは以前そうしたように、隣に立つジーナの顔をじっと見つめた。
同じ術者によって幻影魔法を行使された者同士では、互いの姿を視認する事ができるのだ。
しかし、その視線に気が付いているのかいないのか、ジーナは真っ直ぐに扉だけを見つめている。
そのまま二人は声を出さずに、ゆっくりと扉を押し開けた。
真っ黒な母猫は、果たしてその部屋の中にいた。
部屋の一番奥、魔王が本来座るはずの玉座の下で、丸くなって眠っている。
二人が部屋に侵入したことには、幸い気が付いていないようだ。
そこで二人は目を見合わせ、同時にこくりと頷く。
足音を忍ばせて玉座へと近づき、母猫の目の前で二人は足を止めた。
幻影魔法の効果で、母猫からはまだその姿は見えていない。
そしてそれは、静かに行われた。
ジーナは剣を地面に対して直角に持ち上げ、そのまま突き立てるように降り下ろす。
その剣は安らかに眠っていた母猫の体を、真上から心臓ごと貫いた。
その時突然、母猫は目を開く。
ギアアアアアアアァァァ!!!!!!!
怒りの形相で二人を睨みつけ、醜悪な顔で声にならない声を発した後、やがてぐたりと動かなくなる。
そして魔王を倒した時と同様に、その体は黒い煙のようなものへと変化し、消え失せた。
部屋の中に沈黙が降りた。
アルクはぐっと喉元に込み上げるものを飲み込み、拳を握りしめて、くるりとジーナに頭を向ける。
そして、努めて明るい声を出して言った。
「やったね、ジーナさん!これで、もう魔王が過去へ転移することはないんだよね。……ねえ、これでもう、ジーナさんの仕事は終わりなんでしょ?」
ジーナも今度はちゃんとアルクを見つめた。
その視線は、無理に明るく振舞うアルクを見透かしているかのようだ。
アルクはそれでも、構わすに話し続ける。
「前に言ってたよね、僕に協力できるのは20日間だけだって。まだジーナさんと出会って、14日しか経ってない。まだ時間はあるよね?良かったら、また僕達の新居に来てよ。前はあまりゆっくりできなかったしさ、しょこらもきっともうすぐ帰って来るんでしょ。だから……」
しかしジーナは、ゆっくりと首を横に振る。
「ごめんね。確かに私は20日間は協力できると言った。それが私がこの時代に滞在できる限界だからだ。だけど、任務を果たしたら転移魔法陣が発動し、すぐに元の時代へと送り返される。もう数分しか残されていないはずだ」
「そんな!!だけど、だって……そんなの、あんまりだよ……!!」
ついに堪えきれずに、アルクの黒い瞳からは涙が零れる。
ジーナは微笑みながら、手を伸ばしてその涙を拭った。
「あはは、そんなに私のことを好きになってくれたの?嬉しいなあ、たった14日間だったのに」
「そんなの、当たり前じゃないか!!」
せっかく拭ってくれたのに、アルクの瞳からは次々に涙が溢れ出していた。
「ジーナさんがいなきゃ、僕はきっと耐えられなかった……ジーナさんが助けてくれたから、これまで戦ってこられたんだ……」
肩を震わせるアルクを見つめて、ジーナは悲しげに笑い、心の中だけで答える。
『君達に助けられたのは、僕の方だよ。アルク君』
再びアルクの涙を拭っていたジーナは、ふと気が付いたようにポケットから何かを取り出した。
「そうだ。これを君に渡そうと思って、すっかり忘れていた。探していたんだろう?」
アルクが目を上げて、言われるがまま右手を差し出すと、何かがその手に落とされる。
それは森の中で失くしたと思っていた、ハルトの魔石だった。
「これは……どうして……」
「森の中で偶然見つけたんだよ。その後、アルク君がセイレーンに襲われてたんで、忘れてしまっていた。ごめんね」
「だけど、僕は……」
僕は、魔石を探していたなんて、一度も言っていない。
アルクは頭の中でそう言って、改めて目の前の人物を見つめた。
そこには、懐かしい優しい笑顔があった。
本当はずっと分かっていたのだ。
ただ、期待することが怖くて、結論を先送りにしていただけだ。
「ありがとう。そんな魔石を大切にしてくれて」
ジーナはそう言って、アルクの頭にポンと手を置いた。
「ごめんね、悲しませるつもりじゃなかったんだ。……しょこら君に会えなかったのは残念だけど、でも、君に会えて本当に良かったよ。……じゃあ、元気でね、アルク君」
そう言って手を離すと、ジーナの姿は、徐々に光に包まれる。
だんだんと薄れていくその姿に向かって、アルクは必死に手を伸ばした。
「そんな、待ってよ!せっかくまた会えたのに………」
しかし次の瞬間には、そこからジーナの姿は消えていた。
アルクはその場にがくりと膝をつき、床に手をついて嗚咽を漏らした。
涙がポタポタと落ち、石造りの床に黒い痕を残す。
「………ハルトさん………」
日が沈み、部屋の中が完全な暗闇に包まれるまで、アルクはそこから動けなかった。




