3-1 帰省
高校での授業が始まってから初めての週末、土曜日。
「とーちゃーく! 陽善村!」
バスから降り立った聖菜が、快晴の空に向けて両手を高く挙げる。
周囲に見えるのは、木々の生い茂る斜面と、切り立った崖と、小さな畑と、片側一車線の一本道と、公衆電話ボックスと、そして遠くの木々。人の姿は見えない。数席の椅子と透明な雨よけが備え付けられた、田舎にしては少々立派なバス停。そんな場所で、少女は清々しい笑みを浮かべている。
聖菜の後ろから続いて、早馬、良也、鈴の三人がアスファルトの歩道に足をつけた。
「バスで二時間かかったか。やっぱり遠いな。あと、ちょっと寒い」
「山奥なうえに、村への道路が一本しかないもんね」
「でもまだ9時よ。早起きした甲斐があったものね」
早馬、良也、鈴はそれぞれ落ち着いた声で言う。
四人の後ろでバスの扉が閉まる。バスはすぐに発車して方向転換し、来た道を引き返していく。
彼ら彼女らは、運転手しか乗っていないその車両を、静かに見送った。
今の四人は全員私服だ。早馬は黒のジャージパンツに厚めの赤いパーカー。聖菜は赤いロングスカートに白のトレーナー。良也は色の濃いジーパンに白いシャツと黒いジャケット。鈴は色の薄いジーンズに黒いシャツと黒いジャンパー。靴は全員いつもの白いスニーカーで、手には白いボストンバッグが提げられている。
聖菜はバスからすぐに視線を外し、村のほうへと走った。
「おーい! なにしてるのー!? 早く行こうよー!」
彼女は他の三人に振り向き、バッグを持っていないほうの右手を大きく振る。
「そう焦るなって。まだ時間あるだろ」
早馬は子どもをあやすかのように言って、歩き出す。
「というより、時間はありすぎるくらいなんだけどね」
「いいんじゃない? 久しぶりの故郷なんだもの。いろんなところに行きましょ」
良也と鈴も、微笑みながら聖菜のもとへと歩いていく。
その後、四人は陽善村を歩いて回った。バス停のある最南端から、果樹園の多い北東地域、棚田が壮観な北西地域、大きな杉の木がシンボルの中央地域、そして、村の中心部の南地域、という順番で巡った。
村人たちは四人に気づくと、朗らかに声をかけてきた。
北東の果樹園では、
「おー、山坂さんところの早馬たち、帰ってきたかー!」
と、休憩中の中年男性から。
北西の棚田では、
「あら! 月宮の聖菜ちゃん! と、そのお友達! 久しぶりねー!」
と、田植え作業中の高齢女性から。
中央の大杉付近では、
「おうおう、月影んとこの良也とそのツレ! 活躍してるみてぇだな!」
と、談笑中の三十代男女たちから。
南の市街地では、
「まあまあ! 皆津木さんの鈴ちゃんじゃないの! ちょっと見ないうちに立派になって! そっちの三人も!」
と、買い物帰りの中年女性から。
さまざまな人々に声をかけられ、四人は軽く挨拶をしたり大きく手を振ったりして村人たちに応えた。
そうして村中を巡った後、四人は市街地の外れに行った。
そこには二つの学校、陽善小学校と陽善中学校があった。
この二校は隣接しているとまでは言えないが、両者の距離はかなり近い。それぞれ別々に運動場や体育館もあり、外見はほとんど同じだ。両校とも校章は桜を模している。違いと言えば、校章の中央にある文字が「小」なのか「中」なのか、というところしかない。
そんな二つの学校に挟まれた場所で、早馬、聖菜、良也、鈴は感慨にふける。
「一か月前はここに通ってたんだよな……こう、みんなに声をかけられると、村に帰ってきたって感じがするぜ」
「村のみんな、知り合いみたいなもんだからね」
「都会はみんな他人みたいで、ちょっと寂しいよね」
「帰ってきて早々いっぱい声をかけられるから、なんて返したらいいか困っちゃったね」
四人はそう言って、故郷の雰囲気に心地よさを感じる。
そこでふと、電柱近くに立てられた看板が目についた。そこには「ようこそ、妖怪の伝説が残る秘境、陽善村へ!」と書かれている。
早馬はそれを見て悪戯な笑みを浮かべた。
「霊能力者の村が、こんな大っぴらに言って大丈夫か? 村中にあるだろ、この看板」
「むしろ、そのほうが怪しくないじゃん?」
早馬の言葉に、聖菜はニヤつきながら言う。
良也と鈴は苦笑した。
「木を隠すなら森、ってやつなのかな?」
「外から来た人がここで変なものを見てしまっても、全部妖怪のせいにすればいいものね」
鈴の冗談交じりの言葉に、他の三人は微笑しながら同意する。
そうして、四人は看板から目を離し、再び歩き始めた。
しかしその時、早馬と聖菜は少しばかりの危険を感じ取った。二人は後ろに振り返る。そこには何もない。
だが、早馬は自らの危機感に従って、一枚の霊力防壁を自分の前に張った。
その直後、小さな青い光の玉が飛来した。
光弾は早馬の真正面から飛んできて、霊壁に当たって弾けて消える。早馬の張ったバリアはほぼ無傷だった。
それと同時に、小さな人影が聖菜に突進してきた。
その人物は光弾に少し遅れて聖菜に接近し、自身と同じ大きさの両刃斧を彼女に向けて水平に振った。
聖菜は反射的に霊力を活性化させ、身体を強化。斧の刃を両手で受け止め、払いのけるかのように全力で斧を押し返した。
大斧の持ち主は小さな女の子だった。女の子は斧とともに宙を舞い、柄から両手を離す。その直後に大きな戦斧は赤い光の粒子群へと変わり、霧散していった。
女の子は体の前面から地面に落ちる。
彼女はうつ伏せになったまま、唸り声を上げた。
「うう~いったぁい」
女の子はそう言った後、大きく息を吸って跳び起きる。
彼女は素早く後ろに振り向き、光弾が飛んできた方向を指差して怒鳴った。
「このバカ秀! 全然効かねぇじゃんか! このアホー!」
「真ん前からいったテメェがバカなんだよ! この紗夜ブタ!」
女の子が指差す方から、小さな男の子が姿を現して怒鳴り返す。
その二人は小学校低学年ほどの年齢だろうか。身長はその年代としては普通の高さ。二人とも平均的な体型で、顔の造形は整っていて、髪色はダークブラウン。男の子の髪はオールバックになっていて、女の子の髪はセミロングで肩のあたりから少し波打っている。
「ブタ言うなバーカ!」
「バカっつったほうがバカなんだよバーカ!」
「先にやろうって言ったの秀だろ! アホアホ!」
「ちげーよ紗夜だろ! このアホ!」
秀という男の子と紗夜という女の子は、互いに額を突き合わせて罵り合う。
そんな二人を見ながら、早馬と聖菜は臨戦態勢を解いて苦笑した。
「お前らなぁ……いたずらにも限度ってもんがあるだろ」
「でも、ちょっかいをかける相手はちゃんと選んでるね」
聖菜のその言葉で、良也と鈴が微笑む。
「僕だったら、結界張らずに秀くんを撃ち抜いちゃっているよ」
「わたしなら斬っちゃったかな。紗夜ちゃん今頃真っ二つよ」
二人の声色はとても穏やかだった。
しかし、その言葉は秀と紗夜を震え上がらせるには十分すぎるものだった。二人の顔が一瞬にして引き攣る。
「ご、ごめんなさい……」
「も、もうしない……」
児童二人は互いに抱き合いながら、泣きそうな顔で高校生四人に謝罪する。
鈴は満面の笑みを浮かべた。
「うん、よろしい」
彼女はそう言って良也とともに歩き出し、小学生二人の後ろに回り込んだ。
一方の早馬と聖菜は、秀と紗夜の正面でしゃがみ、目線の高さを二人に合わせた。そして、早馬は秀の、聖菜は紗夜の頭を撫でながら、優しく諭す。
「こんなところで霊力を使ったことについては、俺からは何も言わねぇ。でもな、自分のパートナーを悪く言うのはやめとけ」
「そうそう。命を預ける相手なんだから」
二人の言葉に秀と紗夜は頷く。
「うん、わかった」
「そーまとせーなが言うなら」
この返事に、早馬と聖菜は微笑む。
「おー、素直でいいな、お前ら」
「あとね、言葉遣いが汚いから、それも直したほうがいいよ。試しに、秀は『です』『ます』を付けて、紗夜は『だわ』とか『わよ』とか付けてみたら? お互いに『君』とか『さん』とか『ちゃん』とかも付けてみて」
真面目に褒めた早馬に対し、聖菜は冗談めいて言う。
だが、秀と紗夜は聖菜の言ったことを真剣に受け止めたようだ。二人は神妙な面持ちで頷き、互いに顔を合わせて口を開いた。
「これからは、紗夜さん? って呼びます」
「わたしも、秀ちゃん?って呼ぶわね」
二人は言葉を選びながら丁寧な声色で言う。
その直後、小学生ペアは吹き出し、腹を抱えて笑い出した。
「あはははは! なにこれすごい変!」
「ほんとほんとー! でも面白いかも!」
秀と紗夜は向き合ったまま、喉がねじ切れそうになるほど笑い合った。
そんな二人を横目で見ながら、早馬は道路の先に顔を向ける。
「さて、そろそろ来るかな」
彼は意地の悪そうな顔で呟く。
それと同時に、どこからともなく怒声が響き渡った。
「ゴラァああああああああ! 柳田んとこの秀と、水谷んとこの紗夜ぁああああああああ! お前らまたやりおったなああああああああ!」
「表でやるなって何度言ったらわかるんだい! このクソガキども!」
早馬の視線の先に、四人の老人が血相を変えてこちらに駆けてくるのが見える。
激怒したジジババを見た瞬間、秀と紗夜は青ざめた顔になった。
二人は咄嗟に逃げようとする。しかし、後ろに立っていた良也と鈴に肩を掴まれていたため、その場から動くことができなかった。
聖菜は悪い笑みを浮かべながら、秀と紗夜の頭を撫でる。
「クソガキはクソガキらしく怒られなさいな」
彼女がそう言ってから数秒後、老人たちが現場に到着した。
そばに寄るや否や、老父は秀を、老婦は紗夜を肩に担ぎ上げる。二人は無言で来た道を歩いて引き返していく。
残りの爺と婆は早馬たちに笑顔で声をかけた。
「お前らのは正当防衛だから、何の咎めもないわい」
「むしろ、あの秀と紗夜を引き留めてくれて助かったよ。ありがとね」
二人はそう言って高校生四人に背を向け、問題児二人のところへ走っていった。
秀と紗夜は老人の肩の上でジタバタしながら叫ぶ。
「もうしないです! もうしないですから! やめてくださいですー!」
「わたしもやらないわー! 約束しますわー! だから許してくださいですわー!」
二人は必死に許しを請う。
しかし、老人たちはそんな言葉に心を揺さぶられたりはしなかった。
「ええい! 妙な喋り方をするな! 決まり事を破った奴には罰があるんじゃい! 特にお前ら二人のような何度言ってもわからんようなクソガキにはな!」
「「うわあああああああああん!!」」
子どもの泣き叫ぶ声とともに、老人たちは曲がり角へと姿を消していった。
それから少しの間、泣き声と怒鳴り声が聞こえ続けた。しかしある時を境に、それらの声はすっぱりと聞こえなくなった。彼ら彼女らが、どこかの建物にでも入ったのだろう。
静かになり、早馬たち四人は脱力した笑みを浮かべる。
「俺らも、あんな感じで怒られてたな……」
「正座で説教されたっけ……懐かしいな」
早馬と聖菜は感慨深そうに言う。
ふと、彼らは校舎の時計に目を向けた。時刻は午前10時50分。
「さ、そろそろ時間だぜ。行こうか」
早馬のその言葉で、四人は歩き出し、村の中心部へと向かっていった。




