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神官殿と庭師


 少年はベッドから降りて歩き回れるほどには回復していた。時折矢を受けた肩が痛み、苦い顔をしたりする。

 少年の服は汚れた七分の短パンにボロボロのスニーカー。上半身は包帯だらけと言う体である。

 少年には馴染みのない石造りの壁、窓が無いために昼か夜かもわからない。ドアを開けて頭だけ廊下に出してみるが、人の気配がまるでない。それどころか物音一つ立たないほどの静寂に包まれている。

 少年はドアを閉め。ベッドに腰掛ける。脇にある化粧台のランタンの灯をジッと見つめて、これからの事を考えていた。

 同年代の子供ならは取り乱しても不思議ではないが少年は遥かに冷静で落ち着いていた。それは父親の暴力によって早くに大人にならなければならず危機管理能力が早熟していた事や、死に神の魂の影響しているからなのであった。

 少年は暫く揺らぐ灯を見つめていた。外に脱出したとして、また大きな犬に襲われる可能性を考えてもそれは命を危険に晒すだけの意味の無い事。第一に自分はこの世界に関して知識が無さすぎる。今までの状況を考えてもここは自分の住んでいた国、時代、もしかしたら世界からして違うのかもしれない。と少年は最悪の事態を想定して、今後の方針を考えていた。


 その時、廊下の方からシャンシャンと金属が擦れる音がして、少年の居る部屋のドアが開かれた。


「む、起きておるようだな」


「神官殿、まだ意識がハッキリとしているかわかりませんよ?尋問は明日にしては?」


「案ずるなラルゴ。少し話しをするだけだ。直ぐに乱暴するような真似はせん」


「いえ、その神官殿の乱暴の認識の問題で」


 扉の入り口で軽く揉めている、カナリアとラルゴ。少年はポカンとその様子を眺めているだけである。

 カナリアはカツカツと、銀製のブーツを鳴らし少年の前に仁王立ちになる。


「私はヴァーテの神官であり、紅蓮の聖十字軍東方拠点隊長の職を兼任しているカナリア=ヴァレンシアと言う者だ。そして後ろのデカいのはラルゴ……」


「(ラルゴ=ウルフスタンです神官殿)」


「ウルフスタンだ。さてキミはどこの村の誰かかを聞かせてくれないか?」


 少年はどう答えたら良いのかわからなかった。正直に話しても信じてもらえないし、全くこの世間の事がわからないので適当な嘘もつくこともできない。

 その返答に戸惑っている様子の少年にカナリアの眼差しが厳しくなる。


「答えよ。さもなくば斬る。動いても斬る」


 カナリアはレイピアを抜き、少年の頬に刃先を押し当てる。少年は頬に触れる冷たい感触に血が逆流するほどの恐怖を感じ。同時にそのカナリアの眼力にまるで蛇に睨まれた蛙の如く動く事が出来なかった。


「……わ、わかりません」


「……よい覚悟だ」


 カナリアには経験上蓄積された罪人達を見極める鑑定眼が備わっている。その上で少年の真っ黒な冷徹の瞳と隠し事をしていると思われる行動から条件反射的にレイピアを抜いたのであった。少年の頬から血がしたたり、レイピアの切っ先から血の雫が落ちる。カナリアの目にさらに力が入り、レイピアを振りかぶった。


 しかしその刃は少年に届く事はなかった。カナリアの細腕を丸太の様な腕によって掴まれていたからだ。


「申し訳ありません神官殿。ご無礼をお許しください」


 とラルゴはカナリアの腕を放して、その場で跪く。


「決して反逆心からの事ではなく、ただ俺はもう子供が目の前で死ぬのは見たくないだけなんです。俺の嫁は昨年に腹の子を流してしまいました。それは俺が今まで沢山の命を奪った報いと受け止めています。それがなんだと言われれば心苦しいですが、相手はまだ子供です。どうか、剣を納めてください」


 カナリアのつり上がった目が段々と緩んでゆく。そして血を払うとレイピアを鞘に閉まった。


「ラルゴ。この事は私にも非がある不問にしよう。だが、私は子供と言えど容赦はしない事を覚えておけ」


「ありがとうございます!」


「しかし、それではどうしろと言うのだ?嘘の芽は殺人の大樹とも言うぞ?この子供がいつか大罪を犯すともかぎらんではないか」


「お、俺が!変えてみせます!俺にこの少年の監視を命じて下さい!」


「なに?お前が育てると?」


 ラルゴの申し出に流石のカナリアも面食らったようで、言葉を失う。しかしそのような継続的な負担を強いる命令などカナリアに下せるわけもなく。カナリアは腕を組みながら、跪き頭を下げるラルゴを見下ろす。そして溜め息を吐く。


「わかった……そこまで言うなら立派に育て上げてみせろ。ただし、ヴァーテ教に改宗した後に少年を一月に二、三度この砦の守衛として雇う事が条件だ……こうなったのもヴァーテの導きであろうしな」


「ありがとうございます!感謝いたします神官殿!」


 そのやりとりを見つめていた少年は自分の命運が他者によって握られる事に不安を覚えた。しかし同時にどこかホッとしている自分が居ることにも気づいた。

 カナリアは冷たい目で少年を見下ろすと自身の首に巻いてある真っ赤なスカーフを外した。


「このスカーフはこの度の情報提供に対する褒章とする。これからお前はラルゴの言うことを守り、その助けとなるように励むのだぞ。よいな?」


「はい」


「しばらくは砦の雑務などをしてもらうことになるが……まあ詳しいことはラルゴに聞いてくれ。ラルゴ!後は任せる」


「ハッ!」


 そうカナリアは無愛想に告げるとシャンシャンと甲冑を鳴らして部屋を後にする。


 少年は「はぁ」とため息、そして同時にラルゴも「ふぅ」とため息をついた。

 ラルゴは少年の了解無しに、ベッドに腰掛け重たい鉄兜を外す。ラルゴの容姿は髪が赤味ががった長髪で髭面でそしてなかなかの強面である。ベッドを軋ませラルゴは少年に向き直る。

 少年は叩かれると思い目を瞑ったが、ラルゴはただグシャグシャと少年の頭をこねただけだった。


「ひとまず、お前の身柄は俺が預かることになった。んん……まあよろしくな」


 ラルゴは後ろ手に頭を掻く。少年はこくりと頭を振る。


「しっかし、怖かったな!カナリア神官殿は!盗賊どころか男も逃げ出すわな!あれじゃあ結婚もできないはずだぜ!」

 げらげらと笑うラルゴをみて少年の強張った体が弛緩していく。


「さて、さっきの話なんだが十日後には俺の故郷アリシア村にお前も行くことになるわけなんだけどな。あれだ。なんつーか。お前、本当に帰るとこがないのか?いやいや迷惑ってことじゃねぇよ?もし言いにくい事情があって黙って帰りたいなら俺はそれでもいいって思ってるんだ。カナリア神官殿には俺が上手く伝えるしよ」


「……」


「でも、それでもお前が家に来てくれるなら歓迎するよ。あの時俺が来て欲しいと思ったのは嘘じゃないんだ。自分勝手な理由で申し訳ないが仕事の人手が欲しいし、それに妻が日に日に弱ってる気がしてな。もしお前が来てくれたらなにか変わるんじゃないかとか……うん。すまん。なんかわけわからん事言ってるな俺」


 色々言って勝手に落ち込むラルゴ。だが少年の目にはそんなラルゴの姿がむしろ新鮮に映った。裏表なく、妙な建前も感じられないその真っ直ぐな言葉は誠意に満ち、少年が知っている大人達とは違い信用に値するだけの説得力があった。


「たぶん……信じてもらえないですが。僕は一度死んだんです。でも気がついたらあの村にいて」


 少年は静かに自分が居た世界の事、両親の事、死に神の事。自分が思いつく全ての事をラルゴに話した。変な奴と思われようと少年は構わなかった。ただ真剣に話してくれたラルゴの誠意に答えたいと。ラルゴはただ黙って耳を傾けていた。


「……」


 話し終って数分。沈黙だけが辺りを包む。少年は少々後悔した、こんなわけわからない事言ってる自分でも信じられないのに突然聞かされたおじさんが受け止められるハズがないと。

 しかし、少年の期待は簡単に裏切られた。

 ラルゴは少年を小脇に抱えるとまたもや頭を大きな手でこねくりまわす。


「なんだよ。そんなことかよ!余計に気に入っちまうじゃねーか!違う世界から来たって?すげぇーじゃねーか!一度死んだんなら怖いもんはねぇーだろ?お前はきっとこの世界で何かを成すために送られて来たんだ。もっと胸を張れ!」

 少年の背中を力強く叩くラルゴ。少年はヒリヒリと痛む背中に、暴力とは違う暖かさを感じた。


「……信じてくれるんですか?」


「信じるよ。いや、信じてみたいかな?実はお前を最初に見たとき、悪い奴じゃないと妖精に囁かれた気がするんだ。そう言う時はどんな戦場でも生き残れた、だからその……どちらかと言えば俺の使命感かな?」


 にやりと冗談っぽく笑ったラルゴは自分の言葉に所在無くなったようで、ボサボサの頭を掻く。


「本当に僕でいいんですか?」


 少年の目からはいつからか涙が溢れ、顔が拭った涙と頬の傷の血でぐちゃぐちゃになっていた。


「ばっか男が泣いてんじゃねーよ。ほらこれで拭けよ」


 ラルゴにあてがわれた布で、血と涙を拭う少年。


「あ!」


「ん?」


「このスカーフ……」


「誰からもらったスカーフだろうが所詮はただの布さ。血も涙も拭っちゃいかん布なんて俺は聞いたことがねぇーぜ!」


 げらげらと笑うラルゴを横目にかすかに少年は笑った。この時本当の意味で少年はラルゴに頼ってみようと思ったのだった。





「ほう。その少年に名をな」


 砦の敷地内にある聖堂で、カナリアは手に持っていた聖書を閉じて立ち上がる。藍に近い濃い青の修道服に長い三つ編みの髪は左胸に下ろされている。銀の甲冑は無く、そのように静かに佇んでいればそれこそ女神と見紛う美貌の持ち主である。が、カナリアと一度でも対峙すれば鋭い目の奥に光る迫力と口から発せられる語気に、到底敵わぬ胆力を思い知ることになる。砦の兵士達も一度は見惚れたに違いないが、神官と言う格と他を寄せ付けぬ高貴なオーラで勝手に自滅していくのであった。

 そんなことに一ミリの興味すらないカナリアは、女神を象ったヴァーテ像の前で跪く少年とラルゴを見下ろす。


「ハッ。この者がヴァーテに洗礼を受け、新たに我が家族として向かい入れるに当たって、是非とも神官殿にこれからのこの者の新しき人生を幸あるものにしていただきたくお願いに参りました。どうか新たな名をお与えください」


「お願いします」


 少年に悔いは無かった。むしろ現世での名前では事あるごとに記憶が想起され、この世界に馴染めないのではという不安から変えなければ変われないと言う決意すらあった。


「そう畏まる必要はないがなかなか殊勝な心がけだ。では……ふむ。そうだな、かつて紅蓮の聖十字軍を率い、このアーガイアの全土を踏破し、後に聖将軍と讃えられた英雄。”ヴェルハルト”の名をお前に与えよう。その名に恥じぬよう精進するのだぞ」


 カナリアもそう言った類いの願い事は慣れているのか、全く悩む素振りも見せずに答えた。


「ヴェルハルト……」


「さよう。”V“から始まる名前は縁起が良いのだ。気に入らぬか?精悍で高潔な名前だぞ?」


「いえいえ!神官殿!この者も大変気に入っております!ほら!お礼!」


「ありがとうございます!」


 少年、もといヴェルハルトは自分の名前に違和感を覚えながら慌ててより頭を深く下げる。ヴェルハルトは気に入らないと言う感情は無い。ただまだ馴染まないと言う方が正しい。


 そうしてヴェルハルトとラルゴは聖堂を後にして広場の練兵所に移動する。


「固い名前だな!ヴェルハルト!俺もそう言うカッコいいのが良かったぜ!しかしまぁその長い名前で言うのも恐れ多い。これからはベルと呼ぶが良いか?」


 練兵所に続く廊下で軽装備のラルゴが解放されたように緩んだ口で話す。

 ヴェルハルト以後ベルはコクコクと頭を振るだけだった。


 それからベルは九日の間、砦の掃除や、食事の手伝い。他の兵士に弄られながらの軽い訓練。そして現在聖堂でカナリアによるアーガイアの歴史や文化、文字の教養を教え込まれている。


 ベルが聞いたアーガイアの歴史について少し説明しよう。かつてこのアーガイア(世界)には大小数百の村が点在し、そのどれもが一族血縁で構成され。日夜他の村々との小競り合いが生じ、さらに気候の変化で食料生産能力が著しく落ち込み死者が沢山出た事が原因で村々を武力で襲う盗賊などが大量にはびこり、治安は最悪と言えるほど凄惨で酷たらしい不遇の暗黒時代を迎えた。

 その事を心に病んだ女性ヴァーティリアが献身的に村々を周り、治療や食物の種やその他知識を教え。他人を思いやる慈愛の精神を説いた。現在の女神像に見られる右手を差し伸べ、左手に種もみの入った袋を携えている姿はこの伝承から来ている。

 これが後のアーガイアで広く信仰されるヴァーテ教の始まりであった。その後ヴァーティリアが没するとその信者によって遺灰を練り込んだ聖十字が作られ、各地へと布教を始める。その中で生まれた護衛組織が聖十字軍であり。現在の紅蓮の聖十字軍へと続く。

 その中でヴァーテ教と村々結びつきが強くなり、ヴァーテ教の縁者を中心に発展したのが”ヴェルヘルム竜皇国“である。現在ベルが居るバズトレイル砦もその領内にある。竜皇国の”竜“にはヴェルヘルム竜皇国が周りの四カ国の連合での盟主になりえた歴史が隠されているが、それは後に記述しよう。

 前にヴァーテ教の縁者によって建国されたのがヴェルヘルム竜皇国と書いたが、過去の政教癒着による腐敗により。現在では完全に政治からヴァーテ教は分離され、その役割を院に移し、王の相談役に留め、各地方の守護を任されている。

 ヴェルヘルム竜皇国の体制は立憲君主制をとっており。元を辿ればヴァーテの縁者でもある王家、アークリュース王が中心とした他国と同じく、貴族に爵位を与えその領地から税をとり成り立っている。

 近い所で言えばラルゴの地元、アリシア村とその他の八農村を束ねる。侯爵家シルヴァニアがある。ラルゴ曰わくアリシア村はヴェルヘルム一の農業地帯でまず食うには困らないそうだ。大まかに言ってそのような内容の話しを詰め込み学習の如くベルはカナリアから教えられた。


「そして現在ヴェルヘルム竜皇国世情は少し問題をかかえている」


 と空気を変えたカナリアは、エルフ族の問題に対して言及した。

 エルフ族が大半を占める北の大国、ガーランド帝国がヴァーテ教を異端だと言い始めたのだと言う。

 エルフ族と言うのは遥か太古の時代より栄えてきた民族で、その血を何よりも誇りに思う反面その他部族をどこか不浄の者として扱う所があり。ヴァーテが元々人であることが許せず、人以外の部族を解放すると言う名目でアーガイアに宣言したそうだ。

 「まあ直ぐに戦争になると言うわけではないがなガーランド帝国に居るヴァーテ信者が心配だ」とカナリアは遠い目をして溜め息をついた。


 


 

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