第04話 公爵の依頼と父親としての悩み
「失礼致します、公爵様」
レリュートが客間に入ると、グナイティキ公爵はすでに大きなソファに座り、書類を手に待っていた。
「うむ、おはよう。まあ座りなさい」
老境に差し掛かった白髪に涼しげな目元。整った顔立ちの男性は、アルメキア王国屈指の名家グナイティキの当主、シグムンド・フォン・グナイティキ公爵だ。彼はレリュートを護衛として雇用しており、ユリアの父親でもある。
「早速だが本題に入ろうか。先週あたりから『大樹海』の結界が一部綻びているという連絡が入っている。騎士団を派遣し、補修に向かわせる予定なのだが、それにユリアも同行させたいと考えている」
「ユリアお嬢様を大樹海にですか?少々危険ではありませんか?」
要塞都市アルベルクの北に位置し、アルメキア王国とグラン王国の国境を塞ぐように広がるのは、『国境の大樹海』と呼ばれる場所です。アルメキア王国とグラン王国を繋ぐ唯一の陸路でもあるため、樹海の真ん中には結界で守られた道が切り開かれています。そのため、道を通る分にはそれほど危険はありませんが、奥の方は魔境と言っても差し支えないほど、多数の魔獣が生息する危険な場所である。
「娘も十五歳になった。アルメキア王国の貴族として、民を守る力を養わなくてはならない。それに、ユグドラシルの継承者である以上、本人が望まなくても戦いを避けられない事態に直面することもあるだろう。今のうちに実践の心構えと経験を積ませてやりたいのだ」
レリュートは少し思案する様子を見せ、意見を述べた。
「確かに入口周辺はそれほど強い魔物もおりませんので、訓練にはうってつけの相手だと思いますが、なぜあの樹海に?」
「遺跡の調査をするためだ。表向きは訓練のための遠征ということにして、あの子が樹海に赴く理由を作る。グナイティキ家の姫が何の目的で樹海に行くのかと勘繰られないための処置だ」
レリュートは納得した表情を見せる。
「……なるほど。三年前、教会の者たちが彼女を拉致して大樹海の例の遺跡を目指していたことから、遺跡に彼女を連れていくことで、聖痕の力で何らかの事象が起きるとお考えなのですね?」
「その通りだ。以前より、教会があの遺跡で何をしようとしていたのかを調査したいと思っていた」
教会とは、この世界の宗教の一つである『蒼清教会』を指し、一般的には単に『教会』と略される。教会は王家とは独立した権力を持ち、信仰によって人々を導く集団である。
表向きはどの国にも属さず、中立な調停者として活動する権威ある非営利組織だが、実際は魔術の管理・発展を使命とし、魔術の研究機関と魔術による犯罪抑止のための法律を持つ魔術結社だ。危険な魔物の退治や、人の道を外れた魔道士、あるいは人外となり強大な力を得た魔人の討伐をする『執行者』と呼ばれる少数精鋭の戦闘部隊を擁している。
彼らは「蒼き清浄なる世界のために」という思想のもと、すべての異端を消し去り、人の手に余る神秘を正しく管理する組織だ。三年前、ユリアを誘拐した組織の中には教会の戦闘部隊と思われる武装をした者もおり、レリュートは彼らと交戦している。教会もユグドラシルの担い手となるユリアを、何らかの目的で必要としていると目されている。
「聖痕のことは外部に漏らさないためにも、あくまでも戦闘訓練という目的で秘密裏に行動を取ってもらいたい。確かに訓練も積ませたいと思っていたので、その辺もついでで構わんのでよろしく頼む」
「はい、承知しました」
「例の事件から彼らがこちらに接触してきたことはないが、その可能性も考慮すべきだと思ってな」
「そうですね。教会の者たちがどこまで知っていて彼女を狙っているかはわかりませんが、一番警戒すべき勢力でしょうね」
三年前、ユリアは誘拐され、この大樹海の最奥に連れていかれようとしていた。あまりにも広大な樹海で、危険な魔獣も多数存在するため全容は明らかになっておらず、未開拓の場所が多数存在する。古代メルトラームの遺跡も存在するという噂もあることから、犯人は聖痕の力で遺跡の封印を解こうとしていたのだと考えられている。エントラルトの調停者としても、いずれ調査する必要があり、個人的にも遺跡の調査には興味があるため、この依頼はレリュートにとっても好都合であった。
その後、いくつかの案件を話し合った後、レリュートは退出することにした。
「では、失礼します」
レリュートが部屋を立ち去ろうと一礼をしたところで、グナイティキ公爵は声をかける。
「この後ユリアと外出するのだろう?言われるまでもないと思うが、護衛の方もよろしく頼むぞ」
(娘の予定をきっちり把握しているな、と内心思いながら)レリュートは肯定した。
「お任せください」
レリュートは釈然としない表情を浮かべ、退散することにした。
*
グナイティキ公爵は、彼が愛娘の意中の相手であることは承知している。娘の淡い恋心は座視して見守ることにしているが、娘の願いが成就し、彼と恋人になりたい、あるいは婚約したいなどと言い出したらどうしたものかと考えている。彼のことは認めているものの、それはまだ時期尚早だと考える。
グナイティキ公爵は大事な娘を政略の道具にする気はない。故に、年頃になった娘に貴族の慣例に従って婚約者を募ることをしなかった。グナイティキ家はアルメキアの貴族の中でも最上位に位置する権力を持つ家だ。そのため、わざわざ他の貴族と婚姻による権力拡大を必要としない。グナイティキ家の家督は長男である息子が継承するため、娘には家のことは気にせず、娘自身が相手を選んでほしいと常々思っていた。
これは、彼にかつて親友であり側近でもあった男がおり、彼が平民出身であったことに起因する。その男は貴族の娘と恋に落ち、愛し合ったが、周囲に婚姻を認められず、彼らは駆け落ちという形で国を出奔したのだった。その男は傭兵であったが武勇に優れ、多くの武勲を挙げて「不敗の剣聖」と呼ばれる英雄にまで上り詰めたが、最後まで貴族たちに認められることはなかった。彼らの話はアルメキア王国の平民の中では有名な英雄譚として語り継がれている。
シグムンド・フォン・グナイティキ公爵は思案する。娘が入れ込んでいるあの青年は、平民の生まれで外国人だという点を除けば、娘の相手としては申し分ない男だ。剣士としての技量はこの国でも確実に五本の指に入るほどであり、魔術にも優れている。実際、三年前の事件でも数人の教会の執行者を相手にユリアを守りながら立ち回り、苦もなく撃退した上に、数年前にアルメキア王国最強の騎士セイル・フォン・トラマティスとも互角に剣を交えたというその実力は実証済みだ。
護衛としてだけでなく、今ではグナイティキ家の抱える表沙汰にできないいくつかの問題の処理も任されており、実績をもって有能さを示している。その問題の中には、ユリアの聖痕と古代魔導具の関係の秘密も含まれていた。だが、貴族社会において、貴族でも騎士でもない上に平民である外国人がその伴侶となるのは、様々な問題を抱えることになるだろう。上記の武官としての実力、三年前の事件での手柄、そして娘の意中の相手であることもあり、グナイティキ公爵はレリュートに対してはかなり厚遇しているが、彼をかつての親友と重ねて見ている部分が大きいと自覚している。
身分の問題で彼が遠慮するだろうが、この国の公爵たる自分が彼に適当な爵位を与えて貴族にしてしまえば済む問題だ。彼に他の貴族、王族、諸侯たちに認められるだけの功績を得られる機会を与え、活躍させて箔がつけば、グナイティキ家の婿養子として迎えることも可能だろう。護衛以外の仕事を頻繁に与えているのはこういう意図がある。
*
レリュートが応対室から出ると、ユリアとティーユに出迎えられた。
「待たせたな。行こう」
「そんなに待っていませんよ。ティーユとお話をしていましたから」
ユリアは笑顔でレリュートを出迎える。
「今日、兄さんが戻ってくるそうなので、早めに戻ることになりそうです」
レリュートは露骨に嫌そうな顔をする。
「……ふむ、君のお兄様にはどうも俺は嫌われているからな。君を屋敷まで送ったら退散するかな」
レリュートはグナイティキ家の護衛ではあるが、毎日常駐して屋敷内の護衛をしているわけではない。屋敷には彼以外の護衛騎士もいるため、その辺は彼らに任せている。外出しないときなどは、グナイティキの屋敷の近くの自宅で生活している。
「私としてはもう少し仲良くしてほしいんだけどな……」
レリュートは困り顔で言った。
「俺にも妹がいるが、自分の嫌いな男が妹の周りをうろちょろしていたら不愉快だし、その気持ちはわからなくもない。」
「妹さんがいるんですか?」
ユリアは初耳のようだった。
「ああ……話したことなかったかな?」
「初めて聞きました。歳は?名前は?」
ユリアは興味津々のようで、レリュートに詰め寄るように問いかける。
「俺の育ての親の娘なので血縁関係はないのだが、名前はカレン。歳は君より二つ下の十三歳だ。もし会う機会があったら仲良くしてくれ」
「はい!ぜひ」
「まあ、そんなわけで君のお兄様も君を大切に思っている故の嫌悪なのだろう。性格の不一致という可能性もないわけではないが、俺もお兄様に好かれようとは思わないので、お互い顔を合わせる必要もあるまい」
「……はい。無理強いはできませんが、歩み寄ってくれると嬉しいです」
「はは……まあ善処するよ。言っておくが、俺が彼を嫌っているわけではなくて、あっちが俺を嫌っているのだからな。」
その時、邸の玄関に一台の豪華な馬車が止まる音がした。
「……おや、タイミングが悪かったかな?」
レリュートは止まった馬車の方を見ると、見事な二頭立ての馬車から、軍服に身を包んだ眉目秀麗な青年が降り立つ。ユリアの兄、ジークフリード・フォン・グナイティキだった。
ユリアと同じようにアルメキア王家の血を受け継ぐこの青年は、現国王であるレオンハルトに子が生まれず、退位、もしくは亡くなった場合、王位継承権第一位ともなりうる、グナイティキ家の次期当主である。彼は今年、士官学校を卒業し軍属となるため一時帰郷したのだった。士官学校を卒業したばかりにも関わらず、軍での階級も少佐と非常に高い地位にある。アルメキア王国では四大公爵家の嫡子に限り、軍の階級も少佐からスタートするという特権を持ち合わせている。他の貴族の嫡子達は少尉や准尉からスタートである。
「今、帰ったぞ、ユリア」
ジークフリードの優雅な声が響くと、ユリアは彼のもとへ駆け寄った。
「お帰りなさいませ、兄さん」
「うむ、息災であるようだな」
ジークフリードは妹の無事な帰還を喜び、その視線をユリアの隣に立つレリュートへと向けた。その眼差しには、傭兵であるレリュートに対する露骨な嫌悪感が宿っている。
「貴様も私の迎えに来たのか、レリュート・レグナス?」
レリュートは、その挑発的な問いに薄ら笑みを浮かべて返答した。
「出かけようと思ったら、運悪く次期当主殿が帰ってきただけですよ。会ってしまった以上は、挨拶くらいはしておこうと思っただけです」
「……ちょっ……!何言っているんですか!」
ユリアはレリュートの遠慮のない物言いに、慌てて小声で抗議した。ジークフリードは鼻で笑い、軽蔑の眼差しをレリュートに向けた。
「ふん……相変わらず不遜な奴だな。ちゃんと護衛をしているのだろうな?」
「もちろん。今日もこれから外出するユリアお嬢様の護衛の任に着くところですよ」
レリュートは涼しい顔で答えた。
「……二人で行くのか?まるで逢引のようだな」
ジークフリードの言葉は、ユリアの頬をさらに赤く染めた。彼は、レリュートとユリアの間に漂う、雇用主と傭兵という関係だけでは説明できない親密な空気を察しているようだった。
「あ……逢引!?」
ユリアは慌ててジークフリードに詰め寄った。
「兄さん! 変なこと言わないでください! それに、逢引だなんて……」
顔を赤くしながらレリュートへの思慕を隠そうとするが、今となっては隠しきれないほど膨らんだ彼女の感情を前に、それは無意味な抵抗だった。レリュートも、これ以上は余計なことを言わない方が良いと考え、苦笑いをするにとどめた。
「もう!行きましょう?レリュートさん!」
ユリアはレリュートの腕をそっと引くと、その場から離れるよう促した。
「あ……ああ、そうだな。では、失礼する、ジークフリード様」
ユリアに手を引かれて、レリュートたちはその場を離れるのだった。
残されたジークフリードは、妹の背中を見送りながら、不愉快そうに呟いた。
「まったく……本当に気に入らない男だな。私の可愛い妹に好かれているというだけで、まったくもって気に入らない!」
ティーユはそんな彼の言葉に、苦笑しながら、やさしげな瞳でジークフリードを見つめた。
「あはは……やっぱりそこだけが気に入らないんですね?」
ジークフリードは、ティーユの言葉にため息をついた。
「三年前にあいつがユリアを救出してきたことには感謝もしているし、父上もあいつをずいぶん信頼しているようだし、少しは認めてやってもいいのだがな。兄としてはあいつを認めるわけにはいかないのだ」
彼の心中には、レリュートの傭兵という身分に対する貴族としての矜持と、ユリアを大切に思うが故の複雑な感情が渦巻いていた。
「レリュートさんも最近はユリアお嬢様にはとても優しいですし。他の使用人の皆さんも『カッコいい』って評判ですよ?」
ジークフリードは少し拗ねた感じで尋ねる。
「……君もあの男の事がカッコいいなどと思っているのか?」
「え……?それはその……客観的に見てもハンサムだし、使用人の皆さんにも気遣いができて紳士的な人ですけど、私としてはその……ジーク様の方が素敵だと思っていますよ」
ティーユは恥ずかしそうに最後の言葉をつぶやく。その返答にジークフリードは、照れくさそうにそっぽ向く。
「馬鹿なことを聞いた。屋敷に入るぞ」
ジークフリードは振り向くことなく、屋敷に入るのだった。




