第02話 青年の事情
アルメキア王国最北端に位置する要塞都市アルベルクは、グラン王国との国境に接する大森林地帯に隣接していた。グラン王国との有事には、この都市が最前線の要とされ、軍備も整い、海路、陸路からの補給体制も万全を期していた。
この都市とその周辺を領土とするグナイティキ家は、幾度となく王族の降嫁を受け入れた大貴族であり、アルメキア建国者の血筋を少なからず受け継ぐ公爵家だ。アルメキア王国屈指の大貴族であり、現当主シグムンド・フォン・グナイティキは先王の妹姫を妻に迎えている。その権力は強く、良政を敷くことで民からの人気も高い。最前線の都市にもかかわらず、治安は安定していた。
また、魔獣の生息地帯が近隣にあり、討伐や未開の地の探索などを請け負う冒険者たちも立ち寄る場所でもあった。
物資と人が集まる、アルメキア王国第二の首都。アルベルクは、まさにそう呼ばれるにふさわしい街だった。
その土地柄、商人や冒険者にも寛容な点が、アルベルクの際立った特徴だ。外部からの来訪者を厚遇することで、都市は発展を遂げた。その資金を元に褒賞金が設けられ、魔獣や賊といった脅威に対しては、冒険者たちが率先して討伐に向かい、街の防衛を担っている。アルベルク軍は傭兵を公募しており、冒険者の中には軍に加わる者も多かった。
その傭兵の一人、レリュート・レグナスは、ここアルメキア王国の国境にある城塞都市アルベルクに居を構え、傭兵として軍に参加していた青年である。
黒髪で鋭い瞳を持ち、精悍な顔立ちだが、よく見れば鼻筋はすっきりと通り、端正な顔立ちをしていた。
青み交じりの黒髪に、耐魔布で編まれた黒いロングコート。そして腰には、やや大振りの立派な拵えの古代魔導器である黒い刀身の長剣と短剣――これら特徴的な外見から、レリュート・レグナスの名は、広く知られるようになっていた。
三年前のとある事件をきっかけに、アルメキア王国四大貴族の筆頭であるグナイティキ公爵の信頼を得た彼は、公爵専属の護衛として活動する、相応の有名人となっていた。
グナイティキ家の仕事がない時は、冒険者として生計を立てている。主に騎士たちが戦争準備で手薄になった村々を盗賊や山賊から守ったり、あるいは旧時代の魔法生物から人々を守ったりして、護衛、配達、探索をこなす便利屋として暮らしていた。
この世界では、貴族とは「偉大な魔力を受け継ぐ高貴なる血族」を意味する。高位の魔法の扱いは、平民は魔力が低く、知識にも乏しいため、使うことはできないというのが定説だった。そのため、貴族は強い魔力を持って生まれることが多く、複数の属性に才能を持って生まれる。平民であっても高い魔力を持って生まれることはあるので、一概には言えないものの、訓練次第で魔力を伸ばすことは可能だ。しかし、高度な魔法の知識は貴族に占有されており、その教育を受けるにはかなりの大金を要するため、平民がそれらを得る機会は極めて少ない。
また、魔力は身体能力の増加にも影響する。たとえ肉体が脆弱でも魔力が高い者と、筋肉質な力自慢で魔力が低い者が腕相撲をすれば、前者が勝ってしまうこともあるのだ。そのため、魔力の低い平民が正式な訓練を受けた貴族に戦いを挑むことは、蟻がドラゴンに挑むがごとく無謀だと言われていた。
レリュートは貴族ではないが、生まれながらにして貴族や王族を凌駕するほどの高い魔力を持ち、《とある組織》で剣技や格闘術、そして魔法の高度な訓練を受けているため、戦闘能力は非常に高い。その高い魔力と剣の才能から、傭兵という仕事はまさに彼の天職と言えるだろう。
*
アルメキア王国最北端の要塞都市アルベルク。グナイティキ公爵の広大な邸宅の一角、使用人用の部屋を間借りして暮らすレリュートは、公爵の呼び出しに応じ、今日も執務室へ向かっていた。
彼の胸には、傭兵としての冷静な職務意識と、だが、それだけでは割り切れない、ある温かな感情が静かに息づいていた。この邸宅での生活は、いつの間にか彼にとって、かけがえのない「居場所」となっていたのだ。
廊下を歩いていると、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。その香りが導く先に、亜麻色の髪を揺らしながら駆け寄ってくる、愛らしい少女の姿があった。それがユリア・ルクス・グナイティキ。グナイティキ公爵の愛娘であり、彼が護衛を務める「最重要任務」の対象。そして、レリュート自身が「大切にしたい」と強く願う特別な存在だ。
「レリュートさん、おはようございます!」
彼女の声は、朝の光のように弾んでいた。レリュートの顔に、自然と笑みがこぼれる。ユリアはシンプルな丸襟ブラウスと春色のフレアスカートという飾り気のない部屋着姿だが、それがかえって彼女の純粋な魅力を際立たせていた。彼女の首元に輝くネックレスを、レリュートはその強力な古代魔導器であると見抜いていた。彼女が王家の聖剣ユグドラシルの継承者であり、その聖痕を宿しているという事実もまた、彼が密かに守り抜くべき「秘密」であった。
「おはよう、ユリア」
レリュートは優しく微笑みかけた。彼女が自分に向けたまっすぐな好意が注がれ、彼の胸に心地よい熱を灯す。
「公爵からの仕事の要請を受けてね。君のその身軽な格好を見ると、今日の仕事は外出の護衛ではなさそうだ」
ユリアははにかむように頬を染め、視線をわずかに下げる。指先をそっと絡ませながら、問いかけた。
「はい、今日は邸から出る予定はありません。もしかして、別のお仕事のお話ですか?」
「そのようだな」
彼らの間には、雇い主と傭兵という立場を超えた、言葉にはできない親密な空気が流れていた。ユリアが自分を慕い、恋慕に似た感情を抱いていることをレリュートは理解していた。そして、彼自身もまた、彼女との時間が何よりも優先すべき事項になっていることを自覚し始めていた。
公爵の執務室の扉の前で、ユリアは少しもじもじしながら、上目遣いに彼を見上げる。その仕草は、まだあどけなさを残しつつも、十五歳の少女の秘めたる想いを雄弁に物語っていた。
「あの、あの、えっと……お父様のお話が終わってからでいいので、少し外出したいのですが、お付き合いいただけませんか?」
その誘いは、彼女がレリュートとの「二人きりの時間」を求めていることを、レリュートはすぐに察した。彼は意地悪な笑みを浮かべ、少し身をかがめて彼女の顔をのぞき込む。
「おや?今日は外出しないんじゃなかったのか?」
彼女の可愛らしい嘘に、レリュートは思わず笑みがこぼれた。ユリアは、顔を真っ赤にして慌てる。
「えっと!その……急に買い物がしたくなったの!……ダメ、かな?」
上目遣いに不安げに尋ねるその様子が、レリュートには愛おしかった。これほどまでに自分との時間を望む彼女の純粋な気持ちが、彼の心を温める。
「はは、もちろん構わないさ。公爵の仕事が急用でなければ、話が終わった後で大丈夫だと思うよ」
「本当ですか!?嬉しい!待っていますね!」
ユリアの顔がパッと輝き、その喜びが全身から伝わってくる。彼女は、くるりと背を向けると、弾むような足取りで自分の部屋へと戻っていった。
その背中を見送りながら、レリュートは自然と、三年前の幼い彼女との出会いを思い出す。あの頃は、まだ手足も伸びきっていない、本当に小さな女の子だった。それが今では、身長も伸び、顔つきも大人びてきて、驚くほど女性らしくなった。
(まったく、油断も隙もないな……)
レリュートは内心で苦笑した。彼女が自分に対して抱いている感情は、もはや隠しようもないほどに膨らんでいた。彼自身も、彼女の純粋な好奇心や、屈託のない笑顔に触れるたび、任務の重さを忘れさせる心地よさを感じていた。いつの間にか彼女の存在が「最上位の優先事項」となり、彼女を守ることは、もはや組織の指令だけでは割り切れない、彼自身の「願い」へと変わっていたのだ。
人心の機微に疎いレリュートであったが、彼女が自分に対して慕情に近い感情を抱いていることぐらいは理解していた。出会った頃の幼い少女の時から、まっすぐな好意を隠さず向けてくるこの少女を、レリュートも意識し始めたのは最近のことだ。
レリュートは一人の男であり、女性に興味がないわけではない。自身も二十歳と若く、彼女も十五歳とそれほど年齢差があるわけではない。年下の少女とはいえ、標準をはるかに上回る容姿の美少女が好意を隠さずに接してくる状況に、彼は決して表情には出さないものの、内心では心躍るものがあった。いつの間にか彼女と過ごす時間が、彼の中で最上位の優先事項となっていることを自覚すると、照れくささはあったものの、彼女を大切にしたいと強く願っていた。
本気でその想いに応えるとなると、多くの障害がある。
まず、いかんともしがたい身分の差が最大の壁となる。彼女はアルメキア王国屈指の大貴族の娘であり、その母親が王家より降嫁した姫であることから、アルメキア王家の血を引く分家でもあるのだ。アルメキア王家には現国王のレオンハルト・ディス・アルメートしかおらず、彼にはまだ子供がいない。彼に万一のことがあった場合、次代の国王は彼女の兄ジークフリード・フォン・グナイティキに譲渡されることになっている。その妹であるユリアは、王位継承権第二位の保持者でもある。
※アルメキア王国の家督の継承権は生まれた順番であり性別は考慮しない。
よほどのことがない限り彼女に王位が回ってくることはないが、政略結婚の相手としては非常に優良な縁談相手である。彼女と婚姻を結び、子が生まれれば、その子はアルメキア王国の王位継承権を持つことになり、その地位は安泰である。今のところ聞き及んではいないが、婚約者が現れてもおかしくない状況だ。
一方、レリュート自身は多少名が知れた傭兵ではあるが、平民であり、しかも外国人。特殊な出自のため、特定の国籍を持たない。この国は貴族階級が特権階級であり、平民であるレリュートの立場は、彼女の身分にははなはだ分不相応と言わざるを得なかった。
そんな立場にあるユリアの想いを受け入れれば、現在の立場ではグナイティキ公爵の信頼を失い、確実に共に過ごす時間を維持できなくなるだろう。
彼がグナイティキ家に仕えたのは、傭兵として足がかりを築き、名声を得て成功するためだと周囲には公言している。これはあくまで名目上の口実だ。実際には、彼が所属する組織の指令により「ユリア・ルクス・グナイティキをあらゆる障害から守る」という命令を受け、三年前にグナイティキ家に仕えた経緯があった。
当初は任務の都合上、護衛対象である少女に慕われていることは、仕事がしやすく都合が良いという理由から、良好な関係を維持しつつ一定の距離を保ちながらユリアと接していた。次第に、レリュートは任務のためだけでなく、自主的に彼女の力になり、守りたいと思うようになった。三年近くともに過ごすうち、グナイティキ家に居場所と愛着を感じ始めたのだ。未熟な青年であった彼は、情に絆されたのか、あるいは惚れた弱みとでも言うべきか、このまま彼女の成長を見守り、隣で過ごすのも悪くないと思い始めていた。
彼女を守ること自体は組織の意向通りであり、護衛対象に感情移入するな、などとは指示されていないので、組織を裏切っているわけではないと考えていた。当然ながら、グナイティキ公爵やユリアには組織のことは秘密であり、特に彼らに対して不利益になる行動はしていないとはいえ、多少の後ろめたさを感じていた。
レリュート・レグナスの表向きの経歴は、十六歳のころからアルメキア王国で傭兵稼業をしていた青年で、三年前にとある事件を解決し、グナイティキ家との繋がりを得て、現在は同家の専属護衛として仕えている。これが彼の表向きの経歴だ。だが、本来は『エントラルト』と呼ばれる組織に属していた。
エントラルトは、この世界の魔法や古代魔導器を管理する組織だ。彼らは、世界の国家間の均衡を崩しかねない強力な失われた魔法やアーティファクトを、現代人類には早すぎるものと位置づけ、悪用されないよう管理、あるいは封印することを目的としている。
国家機関に属さないながらも、大海の果てにある孤島を拠点とした領土を持つが、国という体系は持たず、あくまで組織として存在していた。古くから存在するこの組織の起源は謎に包まれているが、かつてこの地上を支配していたとされる高度な文明を誇った古代超文明国家メルトラームの生き残りが、この組織を創立したと伝えられている。魔導士ルベルもこの古代超文明国家の生まれとされており、その国の滅亡の原因もまた、魔導士ルベルにあるとされていた。
人類の管理者を自称するこの組織は、多くのアーティファクトを占有しており、古より高度な技術や魔法を継承し、高い能力を持つ戦闘部隊も擁しているため、各国からも警戒されていた。
レリュートはエントラルトで調停者と呼ばれる、アーティファクトの探索と回収を任務とし、世界中を駆け回る特殊訓練を受けた戦士であり、同組織の幹部候補である。専門的な知識や、秘密裏に悪用する者たちに対抗できるだけの武力を要する場面も多いため、場合によっては実力行使でアーティファクトを回収することもある。
調停者はエントラルトという組織の性質上、基本的に秘密であるため、仮の身分で活動している。身分が特定されにくい冒険者や、高い戦闘能力を活かし傭兵や賞金稼ぎをしている者が多いが、国家の重職についている者もいる。
そんなエントラルトがユリアに着目した理由―――
アルメキア王家に代々受け継がれるアーティファクトの中でも最上位に位置する神器。全ての魔術を退け、あらゆる封印を解除できると伝えられる、かつての英雄フィーア・レス・アルメートが所持していた伝説の剣「聖剣ユグドラシル」。その真の所持者としての証である聖痕が、ユリアの体に顕れたことがその発端だった。
ユグドラシルはアルメキア王家に代々引き継がれてきたが、歴代の王族に使い手が現れることがなく、その力を完全に扱える者は存在しなかった。現国王で、現在の仮の所持者でもあるレオンハルト・ディス・アルメートも当然、聖痕を持たないため、その力を完全に扱うことはできないが、剣自身が魔力を退ける能力を持つため、真の所持者でなくとも魔法の盾として使うことは可能だ。しかし、所持者とその指定範囲に魔法を霧散させる結界を築いたり、大気から魔力に変換して使用者に与えたり、封印を解除するといったアーティファクトとしての真の能力を引き出すことはできていなかった。なぜなら、ユグドラシルは魔力を退ける聖なる剣に聖痕の力が宿って初めて、アーティファクトとしての能力を発揮する武器だからである。
アーティファクトは誰でも使えるわけではなく、その種類によって特定の呪文、特定の血筋、あるいは特定の能力を持つ者のみが使えるものが数多く存在する。ユグドラシルもその類のアーティファクトであり、使用条件は使用者である証の聖痕が存在することだった。
フィーア・レス・アルメート以来、誰にも顕れることのなかった聖痕がなぜユリアに宿ったのかは不明だ。しかし、ユグドラシルには「フィーア・レス・アルメートの魂が宿っている」とまことしやかに伝えられ、神格化されていった経緯がある。この剣の所持者になるということは、「象徴的存在」すら超越した、国王の権威をも上回る「錦の御旗」として扱われ、王位の証としての権威を示すものとなる可能性を秘めていた。
グナイティキ公爵は、娘が権力闘争に巻き込まれることを恐れ、聖痕の件を家族と一部の部下のみの秘密として隠匿したが、エントラルトには知られてしまった。
エントラルトはユグドラシルの持つ能力の一つである「全ての魔術的な封印を無効化する力」に着目した。世界中には魔術的な封印が施され、立ち入りできない場所や封印されたアーティファクトが存在する。それらを開放できる力は、極めて重要かつ貴重であると同時に、危険な能力だとエントラルトは判断した。これまでは使い手となる継承者が現れなかったため、継承者以外には使用できず、エントラルトも無理にこのアーティファクトを回収しようとはしなかった。しかし、継承者が生まれたとなれば話は別だ。
国家や危険な組織に渡れば世界の均衡を崩しかねないものだと判断し、エントラルトで管理しようと考えたのだ。そのためエントラルトは、ユリアがアルメキア王国や他組織にその貴重なアーティファクトを渡すことを阻止し、またその能力をエントラルトで活用すべく、ユリアの護衛と監視役として、当時アルメキア王国で調停者として活動していたレリュートを派遣したのだった。




