11. 隠棲生活
セレンディンでの、イオフェンの隠棲生活が始まった。それなりに、実りある日々だった。
ある晴れ渡った秋の日。イオフェンは、穏やかな一日を過ごしていた。午前中はフローリンと果樹園を散歩し、よく熟れたリンゴを一籠分収穫した。その場で食べたリンゴの味は、初恋のように甘酸っぱく、爽やかだった。
昼食は、丘の大きな木の下でピクニックを楽しんだ。シートを敷いて美味しい昼食を食べ、お茶を飲みながら語り合った。リノンは大きな犬と一緒に、草原を駆け回って遊んでいた。
帰宅後は音楽教師の指導の下、楽器の練習をした。子どもの頃に教養として習ったことはあるが、今回は本格的に取り組んでいた。
そして、そのあとは隠棲生活の醍醐味とも言える昼寝の時間。窓を大きく開けて、涼しい秋風を感じながら、うたた寝に身を委ねていたそのとき。
うとうとする耳に、廊下を鳴らす力強い足音が響き、その直後、バンッという音と共に扉が勢いよく開いた。
(……クラシオンか。まったく、どうしてあいつはいつも扉を壊す勢いなんだ)
そろそろ来る頃だとは思っていた。
イオフェンが目を開けて扉の方を見ると、長い脚で一気に近づいてきたクラシオンが、彼の背を抱えて無理やり起こすなり、いきなり瓶を口元に突きつけた。
「さあ、飲めっ!」
イオフェンはあっけにとられたまま、瓶の中の液体をゴクゴクと飲み干してしまった。すべてを飲み終えて瓶が口元から離れたときになって、ようやく我に返ったイオフェンは、呆然とした顔で二人を見つめた。
「……なんだ? 一体、何を飲ませたのだ?」
クラシオンがにやりと笑った。
「魔獣トラコニアンの心臓で作ったエリクサーだ!」
隣でベルトランが得意げに言い添えた。
「どんな病でも治せるっていう、あの伝説の妙薬さ!」
「はあっ!?」
イオフェンは口をぽかんと開けた。
本で読んだことはある。そんなものが〈あるらしい〉という伝説のもの。実在するとは思っていなかったし、ましてそれを飲む日が来るとは夢にも思わなかった。
「そんなの、本当にあったのか? 誰がそんな魔獣を……」
「決まってるだろう? このベルトラン様とクラシオン様よ!」
ベルトランが豪快に笑った。
「正気か!? この大事な時期に、そんなもの狩りに行って……
万が一でも何かあったら、どうするつもりだったんだ!? そんな無責任な真似を!」
イオフェンが声を荒げたが、二人はまるで気にも留めていなかった。
「この私を誰だと思ってるんだ? 見ての通り、ちゃんと無事に戻ってきただろう? なら問題なしだ!」
にこにこと笑い、さまざまなポーズで筋肉を見せびらかすベルトランを見ていると、もう呆れて言葉も出ない 。
(ああ、この化け物め……恩を仇で返す気か!)
「どうだ? 体に力がみなぎってきただろ?」
クラシオンが目を輝かせて聞いた。
言われてみれば、確かに身体が軽くなり、元気が湧いてくる。否定できないほど、活力が戻ってきていた。
「おっ、顔色が戻ってきたじゃないか!」
ベルトランが嬉しそうに叫んだ。
そして二人はイオフェンを抱きしめ、陽気に声をあげた。
「これでまた3人一緒だな!」
「我らの友情、永遠に!」
二人の友情が、涙が出るほどありがたく、一方で、自分の仮病で彼らを命がけの冒険に行かせてしまったことが申し訳なくもあり、そして何より……せっかくの隠居計画がこれで吹き飛んだことに対する虚無感が、複雑に胸に押し寄せてきた。
はっきりしているのは、もはや「病気だから」という理由で引退するのは到底不可能になった、ということだ。
隠居生活の中で、イオフェンはひとつの新たな真実に気づいた。思っていた以上に、自分はこういうのんびりとした暮らしが性に合っていたのだ。なのに、今それを強制的に終わらせなければならないとは……。
二人に力強く抱きしめられ、イオフェンは心の中で叫んでいた。
(これからどうやって引退すればいいんだ……!? ああっ、本気で引退したい……!)




