9鞍目 上からよんでも下からよんでも
十月、北海道では山々への初冠雪が記録されたというニュースが飛び交い、早朝には馬術部練習馬場の砂も霜柱で小さく浮き上がる。馬場に踏み入れた瞬間に奏でられるザクザクという音は目の前に冬の訪れが迫っていることを知らせてくれる。そんな季節になると、これから待つ二つの大きな出来事に部員たちの興味は注がれる。
一つは東京世田谷の馬事公苑で行われる全日本学生馬術大会、通称『全日』に出場する人馬がどこまでの成績を収めることが出来かというものだ。八月に行われる北海道と東北地方の大学で競われる北日本学生馬術大会(通称 北日)で入賞し権利を獲得すれば、馬術競技のインカレである全日への出場を果たすことが出来る。大学馬術界では関東地区の大学が圧倒的な強豪校として存在し、我ら北日本勢は一矢報いることが出来るのかというチャレンジャー精神をもって全日へ参加する。私たちの二年上の先輩は三人馬が北日で権利を獲得した。北の大地からの挑戦者たちは今年どこまでやれるのか、弱小大学の上京物語に興味は尽きない。
もう一つの興味の的は全日前に行われる四年生たちの引退。それに伴う新世代の役職と、一年間どの馬を誰が担当するのかという馬配の発表だ。私たちの一つ上の世代が最上級生となるわけだけど、役職はどうなるのだろう。佐々木先輩が主将になる事だけは何とか避けてほしいなと願う。馬の扱いも上手いし、いい人だし、大好きだけど、ハチャメチャが過ぎて振り回されることが目に見える。あの人が自ら進んで主将になるとは思えないけど。
引退式当日、四年生から最後の挨拶が終わり新たな世代の役職が発表された。無事というべきか、要職に佐々木先輩の名前はなくホッと一息なでおろす。馬配の発表は大方予想通りに進んだ。私たちの世代では唯一、荒川聡馬だけが担当馬を割り振られた。彼は二年生の時から担当馬を持っていたため特に驚くべきことではないのだが、前回の担当馬と違い先輩たちが手を焼く明らかに気難しい馬が割り振られたのは彼の実力に寄せる期待の大きさを示しているのだろう。
順番に馬配が発表され、残すは一頭アンサンブルのみとなった。それまで名前を呼ばれていない佐々木先輩だろうという私の予想は裏切られた。佐々木先輩に担当馬がいない。あんなに上手な佐々木先輩に。
「先輩! どういうことですか」
女子部室が佐々木先輩と可奈と私だけになった時、先輩の心中を察する余裕もなく不躾に聞いてしまった。
「佐々木沙々、私の名前変だと思わない?」相変わらず質問に対し明後日の方向を向く返答が返ってきた。
「八十パーセント さ 」「外国に行けばササササキ」
「山本山みたいな ですか?」「それを言うなら新聞紙」「私負けましたわ みたいな」以前から心に秘めていた名前についての疑問が可奈と私の口からあふれ出す。
「誰が回文ネームだ。普通この名字にこの名前は付けないよな。佐々木は母親の旧姓なんだ」
「どういうことでしょうか?」私の気持ちも乗せて可奈が質問した。私は言葉を発することに躊躇った。
「まぁ家庭の事情ってやつだ。私が小さな頃に離婚したって事。母は千葉の実家で保険の外交員をしていてな。女手一つで私を大学まで進学させてくれた」
離婚のほうか。それぞれの家庭でそれぞれの事情がある。幸せかどうかは当人しかわからない事だけど、離れたお父さんともいい関係であればいいなと私は思った。
「先月、母親が倒れてな。命に別状はないが今までの様には働けなくなった。私の大学生活はここで終了だ。一週間後の全日が終われば部活も大学も辞めて千葉に戻る」
「そんな、あと一年くら……」可奈はハッと口をつぐんだ。「すいません……」
「気にするな、可奈。誰でもそう思う。同期の男どもはズケズケと口にしていたよ」
あと一年、続けることが出来るのなら。先輩はエース馬に乗り、我が部だけでなく北日本を代表する人馬として全日へ出場していただろう。たった一年、だけど少しも無駄にできない一年なんだろう。大学の卒業よりも、大好きな馬術よりも選ぶべき時間がある。可奈と私はもう何も言えなかった。
「可奈、響くん。私から惜別の言葉だ、ありがたく受け取りたまえ」
私たちのやりきれない心情を察してか、佐々木先輩はわざとらしく大きな身振りを添えた。
「可奈、ずっと馬を愛し続けるんだぞ。君の愛が馬たちをそして部員達を支えてるんだ」
「でも私いつまでたっても下手くそだし、上手に乗ってあげられなくて馬たちに迷惑かけっぱなしです」
「上手に乗ることが全てじゃない。君の愛はどんなにいい成績を残すことよりも価値がある」
真一文字にそろった口元。佐々木先輩にからかいの表情は一切見てとれなかった。いつもふざけた言葉ばかり発していた先輩にそんな表情をされては、否が応でも心に強く刻まれたのだろう。「ありがとうございます」可奈にはその言葉しか選択の余地が無いようだった。
「次は響くんだ。君はさ、何を怖がってるんだい?」
「何の話でしょうか?」心当たりがなかったわけではない。ただ素直に認めたくなかった。
「聡馬との事だよ」もう最後だからだろうか。佐々木先輩の言葉には遠慮なく伝えるのだという決意が溢れているように思えた。
「彼の事、怖がってなんかいません」
「そうじゃない。聡馬と向き合わなければならない事はわかってるんだろう? なぜ必要とわかっている行動に移すことがそんなに怖いんだいと聞いてるのだよ」
そこまでわかっているのか。この先輩は。「それは……」戸惑いによってそれ以降の言葉は続かなかった。
「君自身が必要だと感じるように、可奈やイチも同期皆が求めているんじゃないのかい。聡馬と向き合う前に自分自身と向き合わなければならない。君はそれが怖いんだよね。過去に理由があるかもしれないから、深くは聞かないよ。誰も聞いてこないだろ? 皆の優しさだな」
「そうですね……」意図的に蓋をしている部分だから。だからこそ自分が一番よくわかる。これでも高校生の頃から比べると自分に向き合っているのだと思っていたからツラい。そして反面、まだまだ向き合えていないと気が付いている自分もいるから更にツラい。言葉にして伝えられたのが今で、相手が佐々木先輩でなければ、あなたに何がわかるんだという言葉で自己保身に走ったと思う。
「苦しい事を言って申し訳ないな。これ以上は私には踏み込めない部分だ。響くんが今後どうするかは君が決めるしかない。野暮になるかもしれないけれど、最後に一つだけ。響くんと聡馬はいいコンビだと思うぞ」
最後の一言はほんとに野暮で、そしてそんなはずない事ではあるのだけれど。それ以外は全て正しい。佐々木先輩は私の事をよく見てくれていたのだなと感謝の気持ちがより強くなった。
「ありがとうございます」可奈と同じ言葉でしか返すことが出来なかった。
「あー。キャラにない事すると疲れるね。終わり終わり」先輩は大きな身振りを添えて、可奈と私への話を終わらせた。
この後、部室を出て帰路についた。三人とも自転車で来ていたけれど、何故か歩きたくなって横並びで夜道を歩いた。いつものようにふざけた言葉が口からこぼれ続ける佐々木先輩。今までのようにバカ言って楽しめる雰囲気でいたいのだろうという事がわかったから、私も可奈もバカな後輩のふりをした。やっぱり私たち三人にはバカが似合ってるな。
「ところで! 佐々木紗々先輩はもともとのお名前は何だったんですか?」
「父親の姓か? 佐々岡だ」
ささおか……ささ。ササササオカ……。
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