page1:夜長の送迎
【夜長の送迎】
タクシー。
この50年で随分と数を減らした。オート運転なんてもののせいだ。だが、まだ生き残っているのは、オート運転下においても飲酒運転は違反となるからだ。
そんな半端な状況でも、俺はこの仕事を選んだ。
運転は自分でしてこそ。運転はいい。景色は変わるし、望まなくても客は勝手に俺を飽きさせない。
好きな歌声を流せていればもう言うことはない。この空間こそ、俺は一番落ち着ける。
「…好きなんですか、これ」
見知った客が後部座席から話しかけてきた。
「まぁな」
正直言って、バラードの方が好きだが。
だけど、この歌声が好きなんだ。
少しぶっきらぼうに返すと、そいつは静かに笑った。
「昔のあなたのタイプではないですよね」
「考え方が大人になったってだけだ」
「…もう少しお客様には愛想が良い方がいいですよ」
「お前は愛想づくりがうますぎる。キモい」
「…キモいは傷つきますね」
その客は本当に傷ついたように視線を逸らした。中性的なそいつは一応男。そして絶対年下だと思っていたのに一つ年上。
気に食わないやつだ。しかし、命の恩人だった。
楠木碧。
「…なんでお前タクシー乗ってんだ。運転できるだろ」
「…今日は、お酒を少々」
「だからってわざわざ呼び出すなよ…にしても酒か。面倒見てるちっこいのがいるんじゃなかったか」
CAMで育った女子を引き取った、と聞いている。聞いた時は正気を疑った。
「ちっこいの、ではありません。もう成人済みの女性で、寶川澪莉っていう名前があります。失礼ですよ」
「まぁ、この歳になると誰かの面倒見たくなるのはわかるけどよ…」
溜め息を吐いたタイミングで、信号待ちになった。少し無言の間ができる。
小さく、碧が息を吸った。
「この時期は、昔を思い出すんですよ」
…その話だろうと思った。
こいつは車の運転は嫌いではないはずだ。この時期、二人きり。そこに意味があるのだろう。
どうせまた、誤魔化し誤魔化しやっているのだ。この気持ち悪い丁寧な口調が物語っている。
省エネで小さくされた信号が青になったのを確認して、少しずつアクセルを踏む。
「もう四年も前だ。忘れろよ。俺は忘れた」
「忘れてたら、私の呼び出しなんて無視するでしょうに」
「…ちっ」
舌打ちした俺を面白がっているのか、碧は静かに笑う。
「…"俺"、友人が少なくてですね」
「まぁ、男友達は少なそうだな」
「……。」
「悪かったよ。で、なんだよ」
「…左バンパーの傷、聞いていいですか」
「っ…」
そっちかよ。
「関係ねぇだろ。眠かっただけだ」
ハンドルを握り直す。
碧の視線を感じた。俺の行動を全て見ている。
のらりくらりとしている癖に、鋭い一面がある。油断ならないやつだ。
「それなら、良いのですが。俺は貴重な友人を…失いたくありません」
ひしひしとプレッシャーを感じる。これが圏じゃないのが恐ろしい。
「…何もしてねぇよ」
「近頃、藤沢や江ノ島、片瀬江ノ島駅周辺でアウトサイド同士が小競り合いをしていました。それが、少し静かになりまして」
…。
一度、瞬きをする。バックミラーを見ると、碧は俺と目を合わせていた。
「まさか、違いますよね」
「…ああ。違う」
一度、碧は息を吐いた。
…負けた。
「C対が動き始めますよ。それほどの状況になります。全てからは逃げられません」
「そうか。ご苦労なこった」
「俺にできるのは、ここまでです」
「…ああ」
わざわざ酒を飲んだことまで言った後でこれか。
「そこで、停めてください」
「ああ」
カフェ・マグノリア。CAM湘南支部。
少し遠くに見えた。まだ、店の中に入ったことはない。キャリア関係とは距離をとっていた。
碧はピンと張った現金をトレーに置いた。
「…今時現金はないだろ。面倒なんだよ」
「電子では、お礼をできませんから」
受け取って確認すると、随分とお釣りが出る。現金ボックスを引っ張り出しているうちに、碧はドアに寄っていた。
「…はぁ」
その意図を汲み取って扉を開ける。
「では」
降りようとする碧を見て、言い忘れていたことを思い出す。小さな反抗だった。
「あ、そうだ」
「…はい?」
顔だけひょっこり覗かせた碧に言う。
「…結婚式、いつだ?」
聞くと、碧はとんでもない二日酔いが来たように口を歪ませる。
まだこんな顔をしているのか。金髪さんはなんて言ってんだろう。
俺は、こいつらの区切りは見てやりたいと思っているのだが。
「…流星群があなたのタクシーに落ちるまでは、ないですよ」
「え、見たいのに。金髪さんのドレス。いい歳だろ」
「…23も25もいい歳には早いです。今結婚する人たちの平均年齢は…いや、いいです。夜道に気をつけて」
もう構ってられない、と言ったように碧は一歩離れてしまう。
言いつつ、見送ってくれるようだ。
俺はこの歌声の中でも一番好きな歌に切り替えつつ、後続車を確認する。
「じゃあな」
「また」
ヤツをミラー越しに見ながら車を走らせる。
今度、あいつのコーヒー、飲みに来るかな。
ーーーーーーーーーー
【進路】
「えー、では。瑞葉ちゃんの…えっと、あー」
「瑞葉の頑張りを讃えて!カンパーイ」
「…かんぱい」
カツン、と控えめにグラスが三つ打ち合う。
私は手に持ったロイヤルミルクティーを軽くかき混ぜると、そのままストローで全て吸い上げた。
無音の空間からやがて、ココッという空気音が響く。
「「……。」」
その様子を、和美と茜は呆然と眺めている。
「…ぷは」
私が一息つくと、澪莉が近づいてきた。白いポロシャツに黒いパンツ、黒いエプロン。夏のマグノリア制服だ。こう見ると少し大人っぽい。
「約150キロカロリーです」
「…酷い。おかわり」
「…次はノンカフェインにしましょう。ジャスミンティーはいかがですか」
「じゃあ、それ」
私が言うと、澪莉は何か言いたげな顔をしてから、でも何も言わずキッチンに向かう。
「ワンアイスジャスミン、白湯、オールワンです」
「…はい」
澪莉の読み上げを聞いた楠木さんは苦笑を浮かべつつ冷蔵庫へ向かった。
それを見送るようにしてから、和美が口を開く。
「…まぁ、推薦とはいえ採用試験だから、落ちる人もいるよ。大学3、4年だって受けるらしいし」
頷いて、茜も続いた。
「バイト先の事故もあったし、あんまり対策する時間もなかったでしょ」
「…まぁ、それはそうなんだけど」
8月。狼男事件から二ヶ月が経った。
私は短大からもらっていた教員採用試験に落ちた。推薦枠で、だ。
私に推薦の話を持ってきた教授の、あのなんとも言えない顔は忘れられない。
推薦されるということは、大学の代表のようなものだったわけだ。
申し訳ないと思う。落ちたこと自体はまぁ、いいのだが。大学や教授への申し訳なさでいっぱいだった。
「…私には、澄空さんは本気に見えませんでしたが」
そう言ってテーブルにジャスミンティーを置いたのは、楠木さんだった。
茜はギョッとする。
「く、楠木さん!?」
まぁ茜も和美もそれは感じていたのだろう。あえて言わなかったことを楠木さんが言っただけだ。
図星なのだが。
楠木さんはそのまま、私の近くに胃痛予防と思える白湯、そして中心にデザート皿を三つ置いた。
「甘夏のゼリー、桃のタルト、レモンケーキです。夏のデザートの試食、皆さんでどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
和美は少し顔を赤くしつつ答えた。和美、こういう人がタイプなのか。初対面からなかなか刺さっていたようだ。
そんなことより、私は楠木さんに確認する。
「…楠木さんにはそう見えてましたか」
「少なくとも、教員になるしかない、と考えてるようには見えませんでした。もしくは、なってもいいのかと考えているのかもしれませんが」
「……。」
この人は、人生何度目なんだろう。数年後にこうなっている自信はない。
むぅ、と口を尖らせると、楠木さんはニッコリ笑って答えた。
「…ちなみに、ここに就職を希望するなら、他の内定を一つ取ってからにしていただきますよ」
「うっっっわ…」
「当然です」
何が当然なんだろう。しかも、茜たちの前で言うかそれを。楠木さんは時々容赦ない。澪莉も蓮華さんも言っていた気がする。
楠木さんは取り皿を四つ置いてテーブルを離れる。
「寶川さん、休憩どうぞ」
「え」
澪莉は視線を楠木さんと私たちで移動させる。それを受けて、茜は軽く手招きする。
「お、澪莉ちゃん!一緒に食べよ!」
「…は、はい」
二人は、澪莉と二ヶ月前に初めて会った。それから、あっという間に澪莉を可愛がり始めた。
澪莉はしばらくガチガチに緊張していたが、今では随分とマシになっている。
あの時期、明るい二人と一緒にいることができたのは、澪莉にとっても良かっただろう。
あの事件…狼男事件は、私と澪莉に影を落とした。そういう結末だったことを、私は言われずともどこかで感じ取っていた。
「…失礼します」
澪莉は私の隣に腰掛けた。
すぐさま、楠木さんは澪莉の分のアイスコーヒーをテーブルまで運んだ。そして何も言わずキッチンに帰っていく。
澪莉はその様子をしばらく見てから、私は視線を合わせた。
「瑞葉さんは、教員志望だったのですね」
「…うん。教育学部だしね」
「教員免許を取った人が、全員教員になるわけではありません」
「そりゃそうだ」
茜と和美は、私と澪莉の会話が好きらしい。ペットショップを眺める人のような顔をしてよく見ている。
和美も頷いた。
「私もそうだね。一般企業に行くつもりだよ」
茜は首を振った。
「私は四年制の大学に編入して、その後考える!」
実に元気で前向きだ。
「皆さん、異なるんですね」
きっと楠木さんは私の考えを知った上で、澪莉にも聞かせてやろうという魂胆だろう。私はともかく、茜や和美の例を知るだけでも、澪莉の世界は広がっていく。
澪莉の相槌に、茜が反応する。
「そうだね。でも、瑞葉は前、"くつろぎ"でバイトしてた時はそのまま就職も選択肢だったじゃん…楠木さんはああ言ってたけど」
茜の声量は絶妙だった。今のは楠木さんに聞かせている。楠木さんはカウンター前でブレンド用の豆を選別しているようだった。聞こえているだろうな。
「それはそうだけど…おば様達が誘ってくれただけで、何も返してはなかったし。実際ここは後継に困る年齢でもないしね」
茜達には、私がここでバイトを始めたのは、教育実習先で仲良くなった人の紹介、ということにしてある。咄嗟に考えた結果だ。今思うとひどい。
お陰で茜達は初め、楠木さんをそれはもう警戒していた。まぁ同じ屋根の下で暮らしているとなるとそうもなろう。
それを払拭したのが澪莉と、今はいないが時音さん、蓮華さんというわけだ。あのメンツに囲まれている男性は、もうそういうキャラで通る。時代は力押しなのかもしれない。
澪莉は、ナイフとフォークで三つのデザートを取り分けながら口を開く。
「瑞葉さん、特に試験の対策をしているように見えませんでしたが…どうして教員を」
「…所謂サラリーマンは想像できなくて、強い資格取りたくて、身近な職の教員を」
一番に浮かんだことを言うと、澪莉はポトと運んでいた甘夏を落とした。
「…落ちる人の発言では?」
「うえーん、和美ぃ、澪莉がいぢめる!」
私が叫ぶと、和美は澪莉にフォークを押し付けた。
「澪莉ちゃん!瑞葉ちゃんは今、甘夏を"あーん"してほしいと言っています!」
「言っていません」
「…あーんして」
「ほら言いました」
「…はい」
実につまらなそうな顔をして澪莉はフォークで私の口に甘夏を突っ込んだ。
…甘酸っぱ苦い。
「…真面目なことを言うと、出る杭を打たれなくなる環境って、いいなぁって思って...」
これも本音だ。中高時代の記憶が一瞬フラッシュバックする。
私のボソボソとした言葉に、茜はグイと体を伸ばしながら口を開く。
「あー…そう言えば面接練習でも言ってたね、それ」
「まぁね。さっきのよりはウケがいいし…こう、周りの空気読むのって…頑張るのがダサいみたいな風潮作るのって、小学校からあるでしょ。そういうのやだなぁって思ってさ」
「…それを言ったのなら、落ちた理由が分かりません」
澪莉は私に四分の一のデザートたちが乗った皿を渡しつつ言った。
「…言ったは言ったけど、迷って。それって、必ずしも社会のために正解じゃない気もするし、それを目指すにしたって、教員じゃなくてもいいよねって思ったらこう…自信なくて」
この場では言えないが、キャリアやシンドロームを知って、迷いが生じたのは確かだ。
日常の維持に、特異なものはノイズになる。一方で、織星さんのようなバランサーもいる。
…私は、何者になりたいんだろうか。
そんな風に考えていると、茜は笑った。
「なーんか、瑞葉、生きてるね」
「何…元から生きてるけど」
「ううん、瑞葉、今は生きてる」
茜に同調するように、和美も微笑んだ。
「…瑞葉ちゃん、春の時より楽しそうだよ」
「何さ、二人して」
まるで親のようだ…いや、わからないけど。きっと私を見てこんな感じに言ったのだろうか。
私が視線を逸らすと、目の前にズイと桃を乗せたスプーンが差し出された。
辿ると、澪莉だ。
「…桃、美味しいですよ」
「…ありがと」
澪莉も確か高校三年生だったはずだ。澪莉はどうするんだろう。
茜たちのおかげもあって、澪莉は随分と表情豊かになった…気がする。少なくとも、初めて会った時から比べたら。
澪莉の選択肢は増えたのだろうか。澪莉の当たり前は…変わったのだろうか。
デザートを食べ終えたところで、二人は帰って行った。
入れ替わりで、客が二人入ってくる。
スーツを着た女性だ。
その姿を見て、楠木さんと澪莉の様子が変わる。
なんだ…?キャリアではなさそうだが。
その客の一人、長い金髪をまとめている人は楠木さんに言った。
「店長、予約の受け取りだ」
それを受けて、楠木さんは頷く。
「少々お待ちを。澪莉さん、掛け札をお願いします」
「はい」
澪莉は小走りで店を出て、掛札を"close"に変える。
その客は私を見てから、楠木さんを見る。
楠木さんは視線を受け止めて言った。
「彼女は、CAM預かりのキャリアです。C対の話も問題ありません」
キャリア。
その単語を出すと言うことは。
金髪の女性は「そうか」と応えて続けた。
「…キャリア関与想定事件だ。今回はC対として合同捜査にあたってもらいたい」
…事件だ。
・3話まで毎日投稿。4話以降は1日おきに続きを投稿予定です。
・CASE FILE 02: 歌声は完結しています。全22話完結(8/22完結)予定。
・pixivで全編投稿済みです。先が気になる方はこちら(url: https://www.pixiv.net/novel/series/15989613)へ!
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