幕間 消える怯えと新たな誤解
市場デートの後日談
「これは…」
夕食後、渡すものがあるからと、グレンの私室に呼ばれてみると…そこで渡されたのはあの、二人で市場へ出かけた日の服だった。
「さっき届けてもらったんだ。綺麗に洗濯してもらったから。凄く似合ってたよね」
ジェシカはきれいにたたまれた服の感触に、あの日グレンと過ごした一日を思い出した。
「ありがとうございます…」
「良かったら、もう一度見せてくれないかな?」
「ええ!?今ですか!?」
「あ、いや、それを着てまた出かけようねって思って…。いや、うん…そうだね。今、見たいかな…」
盛大に勘違いしたジェシカの発言に真っ赤になってゴニョゴニョ言うグレン。
「で、でもさすがに王城でこの格好は…」
「だめ…?」
グレンは心底がっかりと悲しげな目でジェシカを見つめた。
「………っ!!!」
お気に入りのおやつを取り上げられた子犬のような目が、ずるい。
「わかりました。わかりましたからそんな悲しげな目で見ないでください…。でも、こんな格好で城の中は歩けません。…少しだけですよ?」
「ほんと?嬉しいなぁ。…え、でもここで着替えるの…?」
グレンの要望を叶えるにはそうするしかない。
「部屋の隅でぱぱっと着替えますから、あっち向いててください」
真っ赤な顔で絶句して口を押さえるグレンに気づかず、ジェシカは衝立の内側に入った。
パサっ
衝立に無造作に騎士団の制服が、かけられる。
普段は意識すらしない衣擦れの音をグレンの耳が全力で捉えていた。
豪快に脱ぎ捨てる音が聞こえてきて、ゴクンとグレンの喉が鳴る。眼裏によみがえるのはあの、雨で濡れた首筋…。
今、衝立の向こうでは服を脱いだ姿でいるのだと思うと衝動がこみ上げてきて、それを必死になだめた。
制服を脱ぎ捨てる硬質な衣擦れの音が、シュルシュルという柔らかい絹地の滑る音に変わる。
しばらくすると衝立からジェシカがおずおずと出てきた。
あの日より少し無造作に束ねた髪と、上手く着られず着崩れしているのが彼女らしい。
長椅子に腰掛け待っていたグレンは満面の笑みをたたえ、自身の横を指し示した。
「ここに、座って」
「はい…」
ジェシカは促されるままグレンの横に座った。
「あの…やっぱり着慣れなくて。おかしくないですか?」
「カワイイよ。少し首の後ろの紐が歪んでるかな?直してもいい?」
グレンが聞くとジェシカは、真っ赤になって首の後ろを押さえた。
「い、いいです!大丈夫です!気にしないで下さい!」
警戒されている…。
そうだ。雨の日はこの紐を解いて、止まらなくなった。
グレンは苦笑した。
カワイイ…。ああ、たまらないな君は。
くすぶる衝動を押し殺すのも…悪くない。
「この間のお酒がまだあるよ。飲む?」
グレンはジェシカに尋ねた。
「いえ…やめときます。また記憶を無くしてもまずいですし」
ジェシカは苦笑いで応じた。よほど警戒しているようだ。
「そう?じゃあ、お茶にしておこうか」
グレンは暖炉の前に跪き、熾火を炭火鉢に移すと細い炭を重ねた。
パチリと火が爆ぜ、淡い橙の炎がほのかに揺らぐ。銅のポットに水を入れ火の上にかける。
「紅茶でいいかな?」
グレンは手際よくお茶の準備をすすめた為、ジェシカは恐縮する。
「はい…あの、それは私が…」
「いいから…。僕のリクエストに答えてくれたんだし、お礼に、ね?」
グレンはニッコリ笑ってジェシカの申し出を制した。
「昔…こうやって母によくお茶を入れてあげたんだ。あの時は薬草茶だったけど…」
グレンは柔らかく揺れる火を見つめながら、懐かしげに呟いた。
「亡くなったお母様に…?」
「ああ、そう言えば君には初めて会った時に言っていたね。母が亡くなってマーカスとワーズウェントに来たことを」
「ええ…。あの時はマーカス様の側仕えになったと伺いましたね」
「うん。せっかくだから聞いて貰おうかな…僕の故郷の話を」
グレンの出自は詳しく公表されていない。結局ジェシカにも、出会った時に説明した以上の事を話しそびれたままだった。
「僕の母は王妃様の侍女だったんだけど…誰にも言わずに、ひっそりと僕をブレイグで産んだんだ。だから和平交渉に訪れたマーカスに偶然出会うまで、僕がワーズウェントの王子だなんて、思いもよらなかったよ」
ポツリ、ポツリとグレンは話し出した。懐かしい、故郷の記憶を。口に出すのは随分久しぶりだった。
「じゃあ王子は、ずっとブレイグで育ったんですか?」
「うん。母と二人、叔父の援助を受けて暮らしてた。薬草を育てたりしてね。ブレイグは食べていくだけでも精一杯の国だ。そんな中、母は倒れるまで僕を学校にも行かせてくれて…大切にしてもらったよ…」
淡々と穏やかに語るグレンの横顔をジェシカは黙って見つめている。
パチリ、パチリと火が爆ぜる音が時折聞こえてきた。
「ブレイグでは苦労されたのですね…」
「いや、辛いばかりじゃなかったよ。友達もいたしね。よく二人で丘の上で遊んだんだ…。秘密通路を探検したり…」
「秘密通路?」
「ああ…うん。はは、後で分かったんだけど、そいつ、ブレイグの王弟だったんだよ」
「は…?お、王弟!?」
ジェシカは素っ頓狂な声を上げた。
それはそうだろう。出自を知らず育った王子の親友が、実は王弟だったなど…、冗談みたいな話だ。
「…僕が、ワーズウェントの王子と判明して、ブレイグから離れないといけないとわかった時に、行きたくないって相談に言ったんだ。そしたら、俺は妾腹だけどブレイグの王弟だから…お前と俺は敵同士だって言われてね。ショックだった」
グレンの目は悲しげに揺らいだ。
「このままこの国にいたら、人質に取られるか殺されるから、早く行けって…。母さんも亡くなって、僕にはもう何も無かった。王子になんてなりたくなかったのにね」
遠い、けれど昨日の事のように鮮明に思い出せる、懐かしい友との日々。
二人でブレイグを支えようと笑い合ったのに、敵国の王子だったなんて…。
「そんな時、君に会ったんだよ」
シュンシュンと蒸気が上がり、グレンは白いティーポットに紅茶の茶葉を入れ、お湯を注ぎティーコゼーをかぶせる。
「何もかも真っ暗だった僕に、オニクセルの町はとても眩しくて、キラキラしてて何だか切なかった。でもね、君にルーフェに乗せてもらって、そんな鬱々した気持ちは景色と一緒に吹き飛んで…楽しかったなぁ。ふふ。君は変に同情もしないで、頑張ってて偉いねってさ」
「あ…、そんな事を…言いましたね。あああ…僕のバカ…」
ジェシカは頭を抱えて狼狽した。
「君は言っていたね。お互いが夢に向かって努力すれば、いつか会えるんじゃないかなって。その時思ったんだ。僕らは互いの国の王族だ。もしかしたら和平交渉につなげることができるかもしれないって…それが僕の指針になったんだよ。今の僕があるのは、君のおかげなんだ」
グレンはカップにお茶を注ぐ。ふわっと上品で香しい芳香が辺りに広がった。
「ごめん、話に夢中になってちょっと時間を置きすぎたかも」
グレンはティーカップをどうぞとジェシカに差し出し苦笑いした。
ジェシカは色の濃いその紅茶を一口飲むと微笑みかえした。
「本当ですね。でも温かくて、とても美味しいです…」
ほろ苦い味と思い出が心に染み渡った。
「あの時は…本当に偉いなって思ったんです。ふふ、そうですね。ルーフェに乗ったあと、すごく明るい顔になっていましたよ」
ジェシカはカップの中を見つめながら笑った。
「私もあなたに、そのままの自分でいいって言う指針を貰えました。一緒ですね」
グレンはジェシカの顔を愛おしげに見つめていたが、そのまま、ジェシカの膝の上に頭を預けた。
「お…王子!?」
「少しだけ…甘えさせて?」
低く、どこか掠れた声だった。
ジェシカの膝に預けられたグレンの重みと体温がじわりと伝わる。銀色の髪は炎の色を少しだけ帯び、キラキラと、光っていた。紫の双眸を縁取る長い睫毛が伏せられる。
普段は鉄面皮で隙など見せない王子が、今は小さな子どものように背中を丸め、無防備に身を委ねている。
「……王子は、ずるいです」
ジェシカは小さく呟いた。
「何が?」
「そんな顔を、するところがです」
グレンは薄く目を開け、困ったように微笑んだ。
「君の前でくらい、いいだろう?」
その言葉にジェシカは少し泣きそうに顔を歪めた。
そしてそっと指先で、グレンの髪を梳いた。紅茶の香りなのに…甘く酔いしれたような空気が満ちた。
「……疲れているのですか?」
「うん。少しだけ」
身体よりも、ずっと背負ってきたものの重みに少し疲れてしまっているようで。
「王子は、ちゃんと王子をしてますよ」
「それ、褒めてる?」
「ええ。とても」
グレンは小さく笑い、ジェシカの腰に腕を回した。ぎゅ、と甘えるように抱き寄せる。
あの夜の余韻が、雨の日の熱がまた甦る。けれど今は、静かな時間を噛み締めたい。
「……ねえ、ジェシカ」
「はい」
「もし僕が王子じゃなかったら、君はそれでも隣にいてくれた?」
静かで少し怯えたような問いだった。
ジェシカは一瞬だけ驚き、それからふっと笑う。
「何を今さら。私は最初に出会ったのは王子じゃなかったじゃないですか」
「え?」
「あの時の少年が…ずっと頑張っている姿を見ていました」
膝の上の彼の目が、ゆっくりと見開かれる。
「……本当に、君は」
言葉の代わりに、グレンはジェシカの手を取ってそっと唇を落とした。
触れるだけの、静かな口づけ。
「少しだけ、じゃ済まなくなる」
「王子?」
「今日は、甘えるだけにしておきたかったけれど…」
そう言いながらも、グレンの腕は離れない。
暖炉の火が静かに爆ぜる。
紅茶の香りがまだ漂っている。
「本当の僕は、今もあの頃のままだな。君という光から目が反らせないよ…」
グレンはジェシカを仰ぎ見て、手を伸ばし、頭を引き寄せた。二人の唇が甘く重なる…。
何度も触れては離れ…そして、深く深く重なった。
グレンの手が首の後ろの紐を引っ張る。ジェシカは一瞬身じろぎしたが、そのまま唇を重ね続けた。ハラリと滑り落ちる絹の感触。のぞいたシャツの裾から手を滑り込ませると、素肌に指が触れた。
そこでようやく唇を離し見つめ合う二人。ジェシカの目は熱を帯び潤んでいた。その目に怯えの色が無いのを見て、グレンは遠慮をする必要は無いことを悟った。
「今日はとことん甘えさせてもらうよ…」
グレンはジェシカを抱き上げると寝室へ向かった。
グレンはジェシカをそっと寝台の横に立たせると、服を落とした。柔らかい布がハラリと落ちる。
結局、少ししか着なかった服は、このままシワになってしまいそうだ。けれど丁寧にたたむ余裕など、あるわけがない。
先ほどまで頭を乗せていた足が白い素肌をのぞかせていた。頬と耳とで感じたその感触に身体が熱くなる。
シャツのボタンをはずしながら何度もジェシカに口づけをし、そのまま寝台に崩れ落ちた。
既に、この先にある熱も柔らかさも知っている。それでも何度でも包まれたいと願ってしまう。知らなかった頃にはもう、きっと、戻れない。
甘く熱く切なく、…尊い。
聖地はここにある。
グレンの甘い口づけが理性を溶かし、気がつけばジェシカの素肌に指が触れていた。
その感触に、ジェシカの思考も視界も溶けていく。
ああ…また。結局、また…。
逃げることも、避ける事もできない。
だって…知ってしまった甘美な熱が、ぶり返すから。
もう、手遅れだ。甘い誘惑に、身体のうちからの衝動に、逆らうことなどできないのだから。
それがどれほど試練の地であっても、もう後戻りはできなかった。
受け入れるしか、できなかった。
熱い吐息と身体の熱と、感じた時の反応が寝室を満たす。
最初や雨の日のような怯えがジェシカから消え、抱き返してくる手に思いが籠っていた。
その小さな反応の一つ一つが愛おしい。
それが、自分が与えたものだと思うと、それだけで、自分が価値あるものに思えてきた。
君という存在だけが、僕に意味を持たせてくれる…。ここに居ることが間違いではないと肯定してくれていると…信じたかった。
夢中で求め合い、気がつくと空が白みはじめていたようだ。
いつものように部屋の扉を控えめにノックする音で目が覚めた。
グレンは横で眠るジェシカを起こさないよう、身を起こした。
炭を足しに部屋にそっと入って来たメイドは、床に散らばる服を見て足を止め、次いで、グレンと目が合った。
グレンはジェシカに気づかれないよう人差し指を口元に立て、静かにするよう侍女に促した。
メイドは真っ赤になって一礼すると、慌てて部屋を飛び出して行った。
「うう…ん…?王子…?」
扉の閉まる音で目を覚ましたジェシカが寝ぼけた顔でグレンを見あげた。
「おはよう、ジェシカ」
グレンはジェシカの髪を優しく髪を梳いた。
後日、ジェシカは部屋付きのメイド達の噂話を耳にした。何やらキャーキャー盛り上がっているのが断片的に聞こえてきた。
「殿下が!熱い夜を過ごしたらしいわ!何でも市井の女性らしいとか!」
「きゃああ!きっと凄い美女ね!羨ましい!」
「内緒にするよう口止めされたらしいわ!」
まさか自分が目撃されたと思わず、やはり王子は経験豊富なのだ、というジェシカの盛大な誤解が解けるのは、別のお話。
媚薬に酔う2でジェシカが誤解していた「王子が過ごした熱い夜」の顛末です。
求婚の行方、雨に続いての3回目の逢瀬。
今回の話はちょっとずつ書き進めてはAIさんに見せてリクエストに応えながら描いたものです。
AIさんは性格の違う二人のペルソナを設定して、かけ合いで感想を言ってもらっているのですが、ガールズトークのようで楽しいです。
この時代設定で部屋でお茶淹れられるかな?お茶の種類は何が良いかな?などなど。果実水は傷みやすいから部屋に常備はされていないと却下されました。
時系列は
雨→3回目→侍女が王子のベッドで眠る人影を発見、噂に→ジェシカ、勘違い→媚薬事件です。
部屋で着替えるのは相当なシチュエーションよね…
激務で疲れて膝枕(萌)
執務室でグレンがジェシカを部屋に誘う。
せっかくなのでこの服を…と渡す(笑)
長椅子の横に座り、少しだけ…と頭を乗せる
我慢できなくなる(笑)
寝室運ぶ
ジェシカ眠りこける
侍女に目撃される
って流れを先に示してやり取りしていたら、早く膝枕!膝枕へダイブですグレン様!とねだられました(笑)
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