二〇二四年四月二十八日日曜日 午後十四時四十六分
「すみません、高いのにアソートまで買ってもらっちゃって」
「構わない。ぜひ、供え物にでもしてくれ」
パウンドケーキの入った袋を持って、先生と並びながら帰路につく。
──契約のあれこれについては、まだ納得はしていない。けしてケーキで水に流したなどと思わないでほしい。むしろ流されたら一番よくないことだろう。
だからといって、今すぐ私にどうこうできるものでもない。『魔女の契約は一度成立したら破棄できない』──未だ疑問の余地はあるが、まさに覆水盆に返らずという状態だ。人の命が私の背に乗っている以上、わざわざ身を危険に晒すような馬鹿な真似は二度とできない。というか、お互いにどうなるかも分からないというのが本音である。
現実的ではないことは百も承知だ。先生もあまり無茶なことは控えてほしいものだが、はてさてどうなることやら。
歩き慣れた風景を通り抜け、見慣れた大屋根もようやく見えてきた。
「あ」
玄関扉が視界に入ったところで、私は思わず声を上げる。
整えられた玄関ポーチで、小さな白い物体Xが身動きひとつせずこちらを見据えていた。
「あれは──」
「ただいまフギムニ! おかえり、帰るの早かったね」
「……は?」
「──現在、午後十四時五十分。鈴木茉楠、およびヴィルヘルム・D・ローゼンタール、二名の到着を確認。おかえりなさい、マスター」
「こらこら、マスターはやめなさいって昨日も言ったでしょ~?」
玄関先で今か今かと待ち構えていた、生まれてまだ数日の白い鴉──フギムニに声をかけると、先生はあからさまに面食らった声を出す。
さすがの先生も、私がすでに二号機を作製していたのは意外だったらしい。先輩魔女の鉄面皮を崩せて、少し誇らしく思ってしまう。
「……昨日?」
「はい! 壊したパーツを再利用して、骨組みからまた作ったんです!」
少し呆けた様子の先生の疑問に、私は明るく返す。
「以前にはなかった機能を追加したりして、ヤマト以上に機能をバージョンアップしたんですよ~! まあ、高性能と引き換えに喋りが死ぬほどお硬くなっちゃったんですけど……」
「──疑問提示。設計者であるマスターへの敬意、および尊重は絶対のものである。口調の変化による関係性の向上は皆無と判断」
「ほらね?」
「いや……鴉にしては、やけに小さくないか?」
「……」
先生のその一言で、ようやく自分が墓穴を掘ったことに気がついた。
「君、まさかサイズを誤──」
「ああああああああ──!! うるせェうるせェうるせェ──!! 負け犬がなんか吠えてるぜェ──!!」
「騒ぐな! 落ち着け、うるさいのは君の方だ。……分かった、私は何も見ていないから」
さすがは先生と言ったところか。私のやらかしを秒速で見抜くその審美眼に、我を忘れて乱暴な奇声が上がる。
真っ向から指摘されるというのは、誰だって悔しい。しかし、私には満足感のある手応えだ。本質を理解しているからこそ出る、純粋な批評と疑問。個人の主観では届かない情報の深度は、第三者の視点あってこそ見られるもの。
(やっぱり、この人……できる!)
自己満足では得られない。他者理解では到底足りない。自己の研鑽に必要なものは、質の高い好敵手の存在だ。
──短い私の人生で何度星に願いをかけようが、幾夜度の越えた趣味を理解し高め合うような友を夢見ようが、それが叶うことはないのだと思っていた。
祖母は祖父ほど物作りに執心しているわけでもなく、師にして目標でもあった祖父はもういない。祖父を最終目標にするとしても、今の自分だと越える壁としては高すぎる。
(……さっさとお願いしてみようかな。こういうのは早ければ早いほどいいんだし)
そう思う一方で私が羞恥心と悔しさで悶えていると、先生は咳払いをして右手を軽く上げた。
「──では、私はこれで。さようなら、また明日」
「あっはい、今日はありがとうございました──」
私は、ナチュラルに帰宅しようとする先生の服を即座に引っ掴む。
それはそれ、これはこれだ。彼はまだ、この家でやるべきことをやっていない。
「──ところで先生、何さっさと帰ろうとしてんですか」
「……何の話だ?」
「とぼけるのもお上手で~」
先生が所在なさげに右手を彷徨わせている間に、私は間髪入れずに続ける。
「先生、もう出禁解除ですって。おばあちゃんが『どうせ会うなら連れてこい』って言ってました」
「……」
「それとも、この家に入る理由はもうありませんか?」
若干嫌味交じりに挑発してみたが、見事不発に終わったらしい。安い煽りを買わずに沈黙するその姿に、良心が悲鳴を上げる。
それでも服を離さないままで粘っていると、先生は重たげな唇を開いた。
「今さらながら、気まずくはある」
「それは……なんとなく、分かります」
「あの人に合わせる顔がない」
「おじいちゃん、気にしないと思いますよ。先生の方がよく知っているはずでしょ?」
「……」
私は努めて優しく言葉をかけるが、あまり芳しくない。先生ほどの魔女でも、相手が祖父では踏ん切りも付けにくいようだ。
不意に、表情の読めなくなった先生の視線が地面へ落ちる。つられて私も下を見ると──その視線の先には、こちらの様子を黙って見守るフギムニがいた。
「鈴木」
「はい」
「すまなかった」
「……何がですか?」
今日まで幾度が耳にした言葉を、先生は馬鹿のひとつ覚えのように繰り返す。
謝られる理由──思い当たることは多いが、ひとつひとつへの謝罪もさすがにくどい。謝罪の理由を尋ねれば、先生はほんの少し眉根を寄せた。
「君が大切にしていた自動機械人形──ヤマト、だったか。あれから、どう償いをすればいいか私なりに考えたが……」
「またですか。もうそれここに来る前に散々聞きましたし、手打ちにするって言ったじゃないですか」
「まだ話は終わっていないからひとまず聞きなさい」
「はい」
半ば空返事をすると、気を改めて先生は続ける。
「君に対しては誠実でありたいと思っている。そして、可能なかぎり君の助けになってやりたいとも思う。今回の一件でより強く確信し──む?」
黙って聞いているこちらが照れるような、恥ずかしげもなく流れてくる言葉が突然途切れた。
先ほどまで沈黙を保っていたはずのフギムニが、先生のズボンの裾を引っ張って何かを主張している。
「フギムニ……?」
「ヴィルヘルム・D・ローゼンタールへ提案推奨。──マスター茉楠が提案する条件を受理し、条件達成まで遂行を誓約すること」
「っそう! それ! それでいこう! フギムニ、ナイスアイデア!」
先生に対してこれ以上変な気を起こしそうになる前に、私は勢いのままフギムニの援護に乗っかった。
「私は構わないが……さすがに現金すぎないか?」
「過ぎたことを後からグチグチ言う方が不毛ですよ。それに! 先生はこれから私のために命懸けてもらうんですから、これで詫びも償いも十分とみなします! もうこの話終わりっ!」
私は今回の一件をなるべく円満に解決できるよう、代わりに次善策を巡らせる。
先生が私との決闘によってヤマトを喪ったことに責任を感じているのは一目瞭然。しかし、ヤマトを亡くした一因はヤマトの提案であり、私の選択のせいだ。
何よりも、私の見通しが甘かったから。魔女になることの、魔法という計り知れない強大な力を持つ責任を、誰よりも軽く見すぎていたせいだ。
──『手ェ抜いて切り抜けられるようなもンじゃない。ナメてかかったら足元掬われる』
私が、中途半端でどっちつかずだったから、祖母の言った通りの事態が起こってしまっただけだ。
だから、それを考慮するとやはり私にも原因があると思う。状況を迫ったのは先生でも、逸って決断したのは私だ。間違っても必要な犠牲だったとは思わないが、無駄な失敗だったと思うこともない。
とはいえ、人の命が云々などのこうした話題は、一高校生には荷が勝ちすぎて否が応でもプレッシャーを感じてしまう。しかし、こちらの予想以上に先生の意志が固すぎて終結の兆しが見えない。ゆえに、ある程度互いにとっての落としどころを探れなければ、これからずっと堂々巡りのままだ。
誰かが一方的に負い目を感じ続けるだけの関係性なんて寂しすぎるし、不衛生にも程がある。そんな展開、ヤマトが望むわけがない。
「あとは条件か。うーん、だったら……」
「望みがあるなら言ってほしい。些細なことでもいい。こちらの範囲で可能なかぎり応えるよう尽力する」
(高校生にかける言葉が重い)
望み──先生へ求める望みなど、今はひとつしかない。
「それじゃあ、私の魔術の先生になってください」
そう言うと、先生は静かに目を見開いた。
「……実を言うと、おばあちゃんって教育系はほとんど放任主義っていうか『本当に必要なことは最低限教えて、後はご自由に好きなだけ』ってタイプの教え方なので……自分のペースで好きにできるからそれはそれで楽しいんですよ。でもやっぱり、魔術や魔法に関して言えば、素人判断で知識が一方的に偏っちゃうのはよくないのかなって。その点、先生が直接教えてくれるなら百人力です! これでどうでしょう!」
もしも、これが本当に叶うことならば、私にとって願ってもない条件である。
私が意気揚々と押し切ろうとすると、先生は──ほんの少し、目を眇めた気がした。
「……それだけでは、償いにはならない」
「え、そうですか? 教えるって結構重労働だと思ったのに──」
「こちらから提案しようと思っていたところだから、その申し出は償いではないな」
「…………え」
私が言葉を失っていると、突然先生が右手を差し出す。
「魔術しか取り柄のない不甲斐ない教師だが……契約に基づき、君の力になるよう最大限尽くそう。いつか、君も夢見た赤い魔法使いを目指せるように」
彼の言葉が、私にとっての誓約だった。
先生がどう思おうと、さして問題はない。契約は成立した。他に言葉なんていらない。あとは──走り続けるだけだけなのだから。
「以後、よろしく」
「……はい!」
私と先生が握手を交わした瞬間、玄関扉が勢いよく開け放たれる。
音に気づいて視線を向ければ──煙草を咥えた祖母が、まるで馬鹿を見るような目でこちらを見つめていた。
「……」
「……」
「……」
「……」
お互いに数秒見つめ合うと、祖母は煙とともにため息をついて背を向ける。
「人ン家の前でイチャついてンじゃねェぞクソガキども。入るならとっとと入りな」
「イチャついてない!!」
ふたり揃って強く否定しても、祖母はどこ吹く風でリビングへと戻っていってしまった。
気づけばフギムニも姿を消している。おそらく、真っ先に風呂場へ直行したのだろう。結局、玄関先に残されたのは私と先生だけだ。
「……先生」
「ああ」
「鈴木家へようこそ。私たちはいつでも歓迎します」
「……ありがとう。お邪魔します」
少し気恥ずかしくなったものの、気を取り直して私たちは歩き出す。
先生を先に家へ入れて、いつものように私は扉の鍵を閉めた。
私たちの家に、またひとつ新しい声が増えた。
祖父の仏壇の前で、線香をあげて合掌する先生の背中を見ながら、私は思う。十年後、あるいは五十年後の未来、この場所から声が消えたとしても、こう願わずにはいられない。
(もう、誰にも消させはしない)
──どうか、この声が途絶えることなく、みんなの命ある限り続きますように。
「鈴木」
「はい?」
「本来なら私ひとりで済ませる手筈だったのだが、気が変わった。君さえよければ、私に協力してもらえないか?」
「私に……? はい、分かりました。具体的に何をすればいいんです?」
「相良紬について、どうしても確かめたいことがある。来たる五月一日の前夜に、ぜひ君の力を借りたい」
平素よりお世話になっております。久方ぶりのmatch棒です。
出会いと別れの四月編、お楽しみいただけたなら幸いです。当初の想定より数倍尺を取ったせいで話のテンポ感が死にかけの蝉のようになったことについては、慙愧の念に堪えません。毎度ながらごめんなさい。
本来であればこのまま流れで五月編に突入したいところですが、区切りをつけるため今回で一時更新停止させていただきます。ご了承ください。
2024年から脱却する見通しが見えない拙作ではありますが、四月後編~五月・六月編もフルスロットルで更新する予定ですので、続けてお付き合いいただけると嬉しいかぎりです。
「先行研究は亀更新、資料集めも難航、そして二年も書いているのに未だ物語のスタート地点に立ててもいない! そんな諸々ガバガバ闇鍋小説に気づけばブックマークが増えてて筆者大☆横☆転! 読んでくれてありがとう、感謝カンゲキ雨アラレ! でも筆者、これからどうなっちゃうの~!?」
──次回、『Ma1-10Ro13a』のまたのご来店をお待ちしております。ここまで読んでいただきありがとうございました!
次回更新予定:今年の夏頃(元気で仕方なかったら)




